『私の履歴書 第4集』日本経済新聞社

『私の履歴書 第4集』の目次

岩田宙造
荻原井泉水
河合良成
佐藤春夫
杉山金太郎
永田雅一
野村胡堂
橋本宇太郎
藤原義江
藤山愛一郎

概要

1957年10月25日に印刷。10月30日に発行。日本経済新聞社。377ページ。ハードカバー。127mm×188mm。四六判。当時の定価は、280円。

日本経済新聞社の朝刊最終面の文化面に掲載されている1951年3月1日に開始した連載。

その第4集で、取り上げられている人物は以下の通り。

岩田宙造(いわた・ちゅうぞう、1875年~1966年)…弁護士、政治家。山口県光市の出身。東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。

荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい、1884年~1976年)…自由律俳句の俳人。東京都港区浜松町の出身。東京帝国大学文科大学言語学科を卒業。本名は、幾太郎(いくたろう)、後に家名である藤吉(とうきち)を受け継ぐ。

河合良成(かわい・よしなり、1886年~1970年)…政治家、実業家。富山県南砺市の生まれ、高岡市で育つ。東京帝国大学を卒業。

佐藤春夫(さとう・はるお、1892年~1964年)…詩人、作家。和歌山県新宮市の出身。慶應義塾大学文学部を中退。

杉山金太郎(すぎやま・きんたろう、1875年~1973年)…実業家。和歌山県の出身。大阪商業学校(現在の大阪市立大学)を卒業。豊年精油(現在のJ-オイルミルズ)の中興の祖とも呼ばれる。

永田雅一(ながた・まさいち、1906年~1985年)…映画プロデューサー、実業家。京都府京都市の出身。大倉商業(現在の東京経済大学)を4年で父親の急逝により中退。

野村胡堂(のむら・こどう、1882年~1963年)…作家。岩手県紫波郡の出身。盛岡中学校、第一高等学校を卒業、東京帝国大学法科大学を中退。本名は、野村長一(のむら・おさかず)。

橋本宇太郎(はしもと・うたろう、1907年~1994年)…囲碁棋士。大阪府大阪市の出身。

藤原義江(ふじわら・よしえ、1898年~1976年)…男性オペラ歌手、声楽家(テノール)。大阪府の生まれ、山口県下関市の育ち。

藤山愛一郎(ふじやま・あいいちろう、1897年~1985年)…政治家、実業家。外務大臣などを遍歴。東京都北区王子の出身。慶應義塾大学政治科を病気療養のために中退。

上記の10人の半生記がまとめられた作品。それぞれの最初のページには、目次的に章題が列挙されている。

感想

尾崎放哉(おざき・ほうさい、1885年~1926年)や、種田山頭火(たねだ・さんとうか、1882年~1940年)に改めてハマった。

その二人の師となるのが、荻原井泉水である。

色々と荻原井泉水に関連した書籍を漁ってみたが、自伝や評伝、小説などは特に無いようだった。

その中で、辛うじて見つけたのが今回の著作『私の履歴書 第4集』日本経済新聞社である。

様々な人物たちと併せて、荻原井泉水の自叙伝も掲載されている。

あまり、市場に出ていないようで、最終的にはヤフーオークションで購入した。

そして、その内容である。

それぞれの人物たちの最初のページには、章題というか、小見出しが、目次的に列挙されている。

荻原井泉水の場合は以下の通り。

①延命地蔵のお告げ
②乳とともに酒も
③生運説による俳号
④十六歳の“国学論者”
⑤十九歳で俳句作家
⑥「ゲエテ対話」訳を出版
⑦「層雲」創刊
⑧自由律提唱
⑨大震災で無情を痛感
⑩奥の細道―芭蕉探究
⑪“一茶発見”―四十年の研究
⑫東山剣宮の庵居
⑬観音霊場巡礼
⑭国詩運動のころ
⑮「随所に主となる」

全体として、とても面白く読めた。

尾崎放哉についての記述はあったが、種田山頭火については特に記載はなかった。

やはり尾崎放哉が第一高等学校、東京帝国大学と一緒で、仲間的な感じだったのかもしれない。

種田山頭火についても評価はしていても、弟子の一人であるといった感じだろうか。

どちらかと言えば、二人とも素晴らしいが、より尾崎放哉に思い入れがあったというのが正確かもしれない。

その他に、夏目漱石(なつめ・そうせき、1867年~1916年)や石川啄木(いしかわ・たくぼく、1886年~1912年)の記述があったのも興味深かった。

以下、気になった部分などの引用など。

学生時代には体操が何よりニガテだった。今日でも散歩すら好んではしない。一日、家の中に閉じ籠もっている。それで至って健康、病気というものは一度もしたことはない。運動をして、エネルギーを消費しないということが、私の健康法と言ってもいい。(P.62「①延命地蔵のお告げ」)

これは、思わず笑ってしまった。

さらに続いて、気の向かないことはしないし、嫌いな人とは一切の付き合いもしないし、嫌いなものは食べない。

だから、ノイローゼ的なものにならない。そして、これで天寿が全うできないならば、オカシイ的な結論。

実際に、荻原井泉水は、91歳まで生きているので、一つの健康法として、成立しているのかも。

もともとは、家業を営む家の子供として生まれ、長男をはじめ、他の妹なども早逝してしまって、箱入りの息子のように、両親が大切に育てたということも背景にある。

私が俳句を作るようになってから、イクタロウ、オギハラの頭文字をとってIO、これを愛桜子ともじって俳号としたが、後に「井泉水」と改めたのは、母のいう五行納音表にある「井泉水」という生運説によったのである。(P.67「③生運説による俳号」)

愛桜子は、“あいおうし”、納音は、“なっちん”と読む。

納音とは、六十干支を陰陽五行説や中国古代の音韻理論に応用、木・火・土・金・水の五行に、形容詞を付けて、30に分類したもの。

荻原井泉水は、1884年生まれで、甲申(こうしん、きのえさる)であり、“井泉水”となる。

種田山頭火の俳号も、納音からであるが、生年に関係がなく、音の響きで選んだだけだとか。

自分のものを調べてみたら、“柘榴木”であった。なかなか面白いものである。

一高のなかに「一高俳句会」をおこした。当時、一高と一ッ橋高商とが端艇部でせりあっていたので、高商との俳句仕合をしたりした。夏目漱石が英国から帰朝して一高の教授になってきたので、早速、漱石歓迎の句会をした。当時、文壇的には全く無名な漱石先生のために会をもったのは私たちだけだろう。(P.71「⑤十九歳で俳句作家」)

夏目漱石のイギリス留学及び日本への帰国についても調べてみた。

1900年9月10日にイギリス留学のために日本を出発。

後に神経衰弱のために日本への帰国が検討。

1902年12月5日に帰国のためにロンドンを出発。

1903年1月20日に日本に到着。

同年4月に第一高等学校、東京帝国大学の講師となる。

その辺りの時代の物語。様々な歴史的事項というか、歴史的な人物たちが、擦れ違ったり、重なり合ったりしていて面白い。

私は既成の俳句界を全く無視した。むしろ詩壇と短歌壇に目をつけた。石川啄木は朝日新聞に入社した当時でまだ無名だったが、私は啄木に加盟をこうた。啄木は喜んで寄稿した。「層雲」は原稿料を一切出さなかったが、啄木の生活を知っていたので、金五円の為替をおくった。(P.75「⑦「層雲」創刊」)

俳句誌「層雲」の創刊の頃の話。

石川啄木も出てくるのも、興味深い。石川啄木は生活に困っていたので、原稿料を支払った荻原井泉水。

石川啄木は喜んで、礼状を送ってくれたといったエピソードも綴られる。

というのと同時に、荻原井泉水の俳句に対する理想、精神的な姿勢、芸術に向かう情熱も、垣間見える文章。

大正が昭和にうつる年の春、放哉は歿した。彼は俳句の上では私の弟子であるが、同窓の親友なので、私は肉親を失ったように悲しかった。それからも私は東山の庵に居り、あるいはそこの橋を通る巡礼と同じ姿をして三十三所の巡礼をして歩いたりしたが、私はつくづくと自分は独りであるとことを感じ、またこの独りが一番好いのだと思った。文壇にも俳壇にも、「壇」というものには全く無関心となった。
空をあゆむろうろうと月ひとり
(P.87「⑫東山剣宮の庵居」)

上記、少々長いけれども、引用した。

まず、尾崎放哉の死について。尾崎放哉は小豆島で、俗世間との関わりを極力少なくして、俳句を創作する生活を送っていた。

その生活を整えたり、問題を処理していた人物の一人が荻原井泉水である。

また、それ以前に子供や妻を失っている荻原井泉水。

その男が感じる“独り”。

寂寥感、諦念、清澄、といった感じか。

しかも、最終行に俳句も。

“空をあゆむろうろうと月ひとり”

調べてみたら、他の文献とかでは、“朗々と”と漢字で書かれている場合もあるようだ。

“空をあゆむ朗々と月ひとり”

といった具合に。

これは、尾崎放哉の俳句を受けているはず。

“咳をしてもひとり 放哉”

さらに、尾崎放哉に対して直接的な面識はなかったが、尊敬していた種田山頭火の俳句が、こちら。

“鴉鳴いてわたしも一人 山頭火”

上記は、種田山頭火が尾崎放哉の墓参りに小豆島へ行った時に創ったとされるものである。

年代順に改めて並べてみる。

“咳をしてもひとり 放哉”
“鴉鳴いてわたしも一人 山頭火”
“空をあゆむろうろうと月ひとり 井泉水”

かなり趣深さというか、大きな感情の流れを底に感じる。

荻原井泉水について、とても勉強になった。

また、その他の人物たちの記述も興味深いものが多い。客観性は、どの程度まで担保されているかは疑問ではあるが。

荻原井泉水の部分に関しては、とても満足できた。

その他の人物たちに関しても、興味のある人や、他の関連書籍などでは情報が少なくて、少しでも周辺の知識を深めたい人、本人の記述を読んでみたい人には、オススメの著作である。

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