『サムライと英語』明石康/NHK「英語でしゃべらナイト」取材班

明石康の略歴

明石康(あかし・やすし、1931年~)
元国連事務次長。
秋田県北秋田郡扇田町(現在の大館市比内町扇田)の出身。
東京大学教養学部アメリカ学科を卒業。バージニア大学大学院を修了。

『サムライと英語』の目次

まえがき
序章 サムライ、英語と出会う
第一章 サムライが英語で叫んだ
第二章 サムライ、アメリカ大陸に上陸
第三章 西洋との出会いが日本を変えた
第四章 サムライが日本を見つけた日
明石康の異文化コミュニケーション英語
あとがき
参考文献

概要

2004年5月10日に初版が発行。角川oneテーマ21。新書。250ページ。

まえがきには、明石康とNHKのテレビ番組「英語でしゃべらナイト」取材班の文章。

あとがきには、「英語でしゃべらナイト」のチーフ・プロデューサーである丸山俊一(まるやま・しゅんいち、1962年~)の文章。

また各章の終わりに対訳の4本のコラムも掲載されている。

この事件をきっかけに、一八〇九年、幕府はオランダ通詞(通訳)に英語も学ぶように命じる。オランダ商館のブロムホフに頼んで「面名口授(オーラル・メソッド)」による英語教育を開始した。(P.18「序章 サムライ、英語と出会う」)

この事件というのは、1808年に長崎で起きたフェートン号事件。

イギリスの軍艦であるフェートン号が、オランダ船を装って、長崎湾に。奉行の制止も聞かずに上陸し、食料などを略奪した事件。

これまで、オランダ語を学んでいた通詞に、英語も学ぶようにとの指令が出る。

そこで白羽の矢が立ったのが、イギリス赴任の経験があるヤン・コック・ブロンホフ(Jan Cock Blomhoff、1779年~1853年)。オランダ通詞たちに指導する。

オランダ通詞の本木庄左衛門(もとき・しょうざえもん、1767年~1822年)が中心となり、1811年に英語の単語と会話の本『諳厄利亜興学小筌』(あんげりあこうがくしょうせん)。

1814年に英和辞書『諳厄利亜語林大成』(あんげりあごりんたいせい)の完成にも繋がる。

黒船来航から九年後の一八六二年、日本ではじめての本格的な英和辞書が印刷・出版された。『英和対訳袖珍辞書』。編纂責任者は、堀達之助である。総語数は三万語に上る。(P.55「第一章 サムライが英語で叫んだ」)

幕末のオランダ通詞で英学者の堀達之助(ほり・たつのすけ、1824年~1894年)。30,000語という膨大な言葉が掲載された辞書が1862年に完成した。

953ページの構成。先述の1814年に完成した英和辞書『諳厄利亜語林大成』の不十分な点を補う意味もあった。

ちなみに、2003年度から施行された新学習指導要領による中学英語の目安の語数は、900語。高校英語では、1,800語。

専門家によると日常の言語活動を自由に行なえる語数は、20,000語という記述もある。

「袖珍」は、しゅうちん、と読み、袖に入る程度の小型のもの、という意味。

日本では、一を知って十を察するといい、ある程度勘を働かせて相手のことを察するが、西洋では言葉にして初めてその人がそう考えているという認識に立つ。日本流の「あうんの呼吸」とか「言わずもがな」といったコミュニケーションのあり方は、国が違えば通用しないのだ。(P.96「第二章 サムライ、アメリカ大陸に上陸」)

ここでは、明石康がアメリカのバージニア大学の大学院に通っていた時のエピソード。

寮ではドイツ人留学生と同室であった。冬にドイツ人留学生は、寒くても窓を開けて寝ていた。

明石康は寒がりなので、締めた。しかし、ドイツ人留学生は再び窓を開ける。そういった行動が繰り返された。

「俺は寒がりだから窓を閉めたい」ということを、言葉で明確に相手に説明する必要があったという話。行動だけでは、伝わらないということも表されている。

つまり、国連の理念に従って行動すれば、当面利害が矛盾しても、長期的には自国の利益に合致してくるという発想だ。大久保でいえば、明治政府をうまく軌道にのせ、日本の近代化を速やかに行えば、それがひいては鹿児島にもよい結果をもたらすという信念と見通しを持つことである。(P.152「第三章 西洋との出会いが日本を変えた」)

国連の理念というのは、“啓蒙された国益”という概念。

今現在という短期的な視点ではなく、長期的な視点でより効果的な自国の利益を目指すということ。

ここに出て来る大久保とは、薩摩藩(現在の鹿児島)出身の政治家である大久保利通(おおくぼ・としみち、1830年~1878年)のこと。

大久保利通の改革は、出身である鹿児島の侍たちに不満と苦しみを与える。だが将来的には利益を与えるだろうと、大久保自身が確固たる信念を持っていたのだろうという記述。

ちなみにUSJの経営を立て直したマーケターの森岡毅(もりおか・つよし、1972年~)も大久保利通を評価している。

よく勘違いされて理解されることが多いが、武士は決して死ぬことを好んだわけでも、死そのものをよしとしたわけでもない。命を賭しても成し遂げる心構えが必要だという方便なのである。(P.202「第四章 サムライが日本を見つけた日」)

この文章の前には、思想家で教育者の吉田松陰(よしだ・しょういん、1830年~1859年)が、一番弟子である政治家で軍人の高杉晋作(たかすぎ・しんさく、1839年~1867年)に送った手紙の内容が引用。

「生きて大業をなす見込みあらば、いつまでも生きるべし」という部分が特に重要かもしれない。

また、その後には、教育者で思想家の新渡戸稲造(にとべ・いなぞう、1862年~1933年)の言葉も引用される。

武士道では「死に値しないことのために死ぬのを『犬死』といって卑しめてきた」という文章。

新渡戸稲造の著作『Bushido: the soul of Japan』の該当箇所の原文は「Death for a cause unworthy of dying for, was called a “dog’s death.”」。

感想

NHKの番組「英語でしゃべらナイト」は、放送当時に面白くて観ていたということもあり、この本を手に取った。

この本では、日本と英語の関わりの歴史を学ぶことができる。また英語との関わりというのは、日本が鎖国から開国への歴史であり、江戸幕府の終わり、侍の終わり、明治維新ということでもある。

まずは、1600年4月19日に、豊後(現在の大分)に漂着したオランダ船のリーフデ号に乗っていたイギリス人のウィリアム・アダムス(William Adams、1564年~1620年)、日本名では、三浦按針(みうら・あんじん)から始まる。

そのため、日本の歴史をざっくりと約400年、復習できる内容でもある。その中では、さまざまな歴史上の人物たちも登場。

海外の視点からの日本、日本の視点からの海外。二つの視点で歴史を読むことができるのも、この本の面白いポイントである。

この本には、合間合間に英文が数多く掲載されているので、気軽に英語に触れたいという人にも良いと思う。あるいは英語の勉強のモチベーションを上げるために役立ちそうな感じ。

250ページであり、新書版としては、少し多めの分量ではあるが、その分、読み応えもある。

参考文献も豊富に掲載されている。「英語と日本人について」「歴史関係全般について」という項目から、各章ごとに分類されていて、「明石康に関する著書」まで。

ここからさらに読書を展開していけるようになっている。英語と日本の歴史について興味のある人は非常にオススメの本である。

書籍紹介

関連スポット

バージニア大学

バージニア大学(University of Virginia、通称UVA)は、アメリカのバージニア州シャーロッツビルに本部を置く州立大学。

公式サイト:バージニア大学