- 城野宏の独自視点
- 織田信長の合理性
- 東西英雄の戦略比較
- 人間評価と歴史再評価
城野宏の略歴・経歴
城野宏(じょうの・ひろし、1913年~1985年)
陸軍軍人、評論家。
長崎県西山町の生まれ。東京府立四中(現在の東京都立戸山高等学校)、愛知県名古屋市の第八高等学校、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。
徴兵され中国へ。敗戦後に毛沢東が率いる中国人民解放軍と戦う。1949年に捕虜となり禁錮18年の刑。1964年に解放され帰国。
『東西古今 人間学』の目次
はじめに
「人間学」とは 古代人の脳の構造と現代人の脳の構造
「人間関係」は生きていく根本 人間を知るには
序章 二つの局面をみる脳の訓練
(一)戦国策の場合
(二)現代日本の場合
第一章 桶狭間の合戦の信長に学ぶ
(一)信長の戦略決定
(二)信長の戦術決定
第二章 信長に学ぶ科学的計算
(一)戦いに挑む信長の姿勢
(二)もう一人の信長
第三章 ナポレオンと秀吉に見る科学的計算
(一)ナポレオンの戦略と戦術
(二)失敗した戦略と戦術
(三)秀吉の時間差攻撃
(四)秀吉の戦略決定のうまさ
第四章 毛沢東に見る戦略統一
(一)当たり前のことをやった毛沢東
(二)山頭主義を解消して理念統一
第五章 人間評価の方法
(一)人間を判断する五つの標準
(二)毛沢東を判断する
(三)信玄と謙信を検証する
第六章 人間の在り方と社会的基盤
(一)中国古代に見る謀略的人物像
(二)古事記に見る非謀略的人物像
(三)英雄不在の客観的条件
(四)英雄型社会の客観的条件
第七章 組織と人間の関係学
(一)英雄体制の社会と人間
(二)英雄の神格化と人間の在り方
(三)英雄を必要としない組織と人間
あとがき
『東西古今 人間学』の概要・内容
2008年1月27日に第一刷が発行。不昧堂出版。237ページ。ハードカバー。127mm×188mm。四六判。
副題は「成功と失敗の戦略と戦術」。
1985年6月に竹井出版から刊行された同名の書籍を再編集したもの。
目次に登場している人物を紹介。
織田信長(おだ・のぶなが、1534年~1582年)…武将。尾張国(現在の愛知県)出身。
ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte、1769年~1821年)…フランスの軍人、革命家。
豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし、1537年~1598年)…武将、天下人。織田信長の後を継いで天下を統一。
毛沢東(もう・たくとう、1893年~1976年)…中国の政治家、思想家、最高指導者。中国共産党の創立党員の一人。
上杉謙信(うえすぎ・けんしん、1530年~1578年)…越後国(現在の新潟県)など北陸地方を支配した武将。
武田信玄(たけだ・しんげん、1521年~1573年)…甲斐国(現在の山梨県)などを支配した武将。
『東西古今 人間学』の要約・感想
- 稀代の戦略家・城野宏とは:その生涯と人間学への道程
- 常識を覆す織田信長の実像:戦略家としての冷徹な計算
- ナポレオンと秀吉の戦略眼:東西の英雄に学ぶ計算と機動
- 毛沢東に学ぶ大衆扇動、戦略統一、そして撤退のタイミング
- 人間を見抜く眼力:城野式評価基準とその実践的意義
- 定説への異議:武田信玄と上杉謙信は果たして名将だったのか
- 中国古代史の深淵なる謀略:蘇秦と張儀の連携と非情なる結末
- 時代を超えて響き渡る『東西古今 人間学』の普遍的な教え
- 人間探求の果てしない旅:何度でも再読したい、魂を揺さぶる一冊
現代社会は、かつてないほどの速度で変化し、その複雑性は増す一方である。
私たちは日々の生活や仕事、そして人生の大きな岐路において、絶えず判断と選択を迫られている。このような時代において、確固たる指針を持ち、的確な行動をとるためには、一体何を学ぶべきなのだろうか。
その答えの一端は、人類の歴史が紡いできた成功と失敗の無数の物語の中に、そして人間という存在そのものへの深い洞察の中に見出すことができるのかもしれない。
城野宏(じょうの・ひろし、1913年~1985年)の手による『東西古今 人間学』は、まさにこの普遍的かつ根源的な問いに対し、鋭いメスを入れる一冊である。
本書は、1985年6月に竹井出版から刊行された同名書籍を再編集し、2008年1月27日に不昧堂出版から第一刷が世に出たもの。
その内容は時代を超えて現代に生きる我々に多くの示唆を与えてくれる。
この書物を紐解くことは、東西の歴史を舞台に繰り広げられた人間ドラマを通じて、「人間学」という深遠なテーマを探求し、未来を切り開くための知恵を獲得する旅路に他ならない。
稀代の戦略家・城野宏とは:その生涯と人間学への道程
本書の著者、城野宏の生涯は、波瀾万丈という言葉だけでは語り尽くせないほど壮絶なものであった。東京帝国大学法学部政治学科という当時の最高学府を卒業後、彼は陸軍軍人として激動の中国大陸へと渡る。
そこで待ち受けていたのは、日本軍の敗戦、そして毛沢東(もう・たくとう、1893年~1976年)率いる中国人民解放軍との熾烈な戦闘であった。
戦後、捕虜となった彼は、実に18年間にも及ぶ禁錮刑を宣告され、異国の地で想像を絶する苦難の日々を送ることになる。
この長きにわたる獄中生活は、彼に人間という存在の醜さ、弱さ、そして同時に強さや気高さを骨の髄まで見つめさせる機会となったであろう。
1964年、ついに解放され日本へ帰国を果たした城野宏は、その特異かつ過酷な体験と、そこから生まれた深い思索を土台として、人間洞察、戦略論、戦術論に関する独自の思想を築き上げ、評論家として数多くの著作を世に送り出した。
彼の言葉には、単なる書斎での学問的な知識の集積とは一線を画す、生死の境界線を幾度も越えてきた者だけが持ち得る圧倒的なリアリティと、研ぎ澄まされた洞察力が宿っている。
『東西古今 人間学』もまた、そうした彼の人間観、歴史観、戦略思想が余すところなく凝縮された結晶であり、その一言一句が読者の心に深く刻まれることだろう。
彼の生涯そのものが、人間学の実践であり、探求であったと言っても過言ではない。
常識を覆す織田信長の実像:戦略家としての冷徹な計算
日本の歴史上、最も人気の高い武将の一人として知られる織田信長(おだ・のぶなが、1534年~1582年)。
彼の名を不朽のものとした桶狭間の合戦は、しばしば寡兵が大軍を打ち破った奇跡的な奇襲戦として語り継がれている。
しかし、城野宏は本書の第一章「桶狭間の合戦の信長に学ぶ」および第二章「信長に学ぶ科学的計算」において、この一般的に流布する英雄譚に大胆な異議を唱える。
彼によれば、信長の勝利は決して偶然の産物や単なる勇猛果敢さの結果ではなく、周到な情報収集、冷静な状況分析、そしてそれらに基づく極めて合理的な戦略・戦術決定の賜物であったという。
敵将であった今川義元の油断や驕り、進軍ルートの地理的特性、合戦当日の天候の急変である有名な豪雨といった諸要素を、信長は事前に、あるいは即座に計算に入れ、最大限に活用した。
それは、感情論や精神論を一切排し、冷徹なまでに科学的な思考を貫いた結果としての勝利であったと城野宏は喝破する。
例えば、信長は今川軍の正確な兵力や配置、義元本隊の位置といった情報を、合戦直前まで執拗に収集し続けていたとされる。
また、桶狭間周辺の地形を熟知し、どのルートで進軍し、どこで奇襲をかけるのが最も効果的かをシミュレーションしていた。
これは、現代のビジネスにおける市場調査や競合分析、リスクマネジメントにも通じる考え方である。
城野宏は、信長のこのような姿勢を「科学的計算」と呼び、従来の「うつけ者」というイメージや、単なる天才的ひらめきに頼った武将という見方を退ける。
むしろ、信長は既存の権威や慣習にとらわれず、常に合理性を追求した革新者であった。彼の行った兵農分離や楽市楽座といった政策も、その戦略的思考の延長線上にあると解釈できるだろう。
本書が提示する信長像は、我々が歴史上の人物や出来事を評価する際に、いかに表層的なイメージや通説に惑わされやすいか、そして事実に基づいた多角的な検証がいかに重要であるかを痛感させる。
信長が行ったのは、結果として奇襲の形をとったが、その根底には周到な準備と計算に裏打ちされた「王道の戦い」があったという指摘は、成功の本質を考える上で非常に示唆に富んでいる。
ちなみに、こちらの歴史小説の記事「新田次郎『梅雨将軍信長』あらすじ・感想」も参考に。
ナポレオンと秀吉の戦略眼:東西の英雄に学ぶ計算と機動
第三章「ナポレオンと秀吉に見る科学的計算」では、歴史の舞台を世界に広げ、西洋と東洋を代表する二人の英雄の戦略と戦術が比較分析される。
その二人は、ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte、1769年~1821年)と、豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし、1537年~1598年)。
フランス革命後の混乱を収拾し、一時はヨーロッパ大陸のほぼ全域を支配下に置いたナポレオン。彼の名は、アウステルリッツの三帝会戦のような輝かしい勝利と共に記憶されている。
城野宏は、ナポレオンの軍事的才能、特に戦術レベルでの卓越性を認めつつも、その最終的な失敗の原因を大戦略の欠陥に見出す。
例えば、広大なロシアへの遠征は、焦土作戦と冬将軍の前に惨憺たる結果に終わった。
これは、現地の気候や地理、兵站の重要性といった基本的な戦略要素を軽視した結果であり、いかに戦術に優れていても、それを支える大局的な戦略が脆弱であれば破綻するという教訓を我々に示す。
また、イギリスを経済的に困窮させることを狙った大陸封鎖令も、結果的にはフランス自身の経済をも疲弊させ、諸国民の反感を招いた。
こうしたナポレオンの栄光と没落の軌跡は、戦略的計算の重要性と、それを過信することの危険性を浮き彫りにする。
一方、日本の戦国時代を終結させ、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉。城野宏は、彼の戦略家としての資質を高く評価する。
特に有名な「中国大返し」は、主君織田信長が本能寺で討たれたという報を受けるや否や、備中高松城から京へ向けて驚異的な速度で軍を移動させ、仇敵明智光秀を討ち取ったという離れ業である。
これは、正確な情報把握、迅速な意思決定、そして兵士たちの士気を巧みに操る人心掌握術が一体となった結果であり、秀吉の類稀なる戦略眼と実行力を示している。
また、秀吉は敵の力を削ぎ、自軍の損害を最小限に抑えるための兵站や調略にも長けていた。
例えば、小田原攻めにおいては、圧倒的な兵力で北条氏を包囲しつつ、巧みな外交交渉や心理戦を展開し、戦わずして屈服させるという高度な戦略を見せた。
ただし、晩年の朝鮮出兵である、文禄・慶長の役は、明確な戦略目標の欠如や補給の困難さから失敗に終わり、豊臣政権衰退の一因となったことも指摘されるべきだろう。
これは、いかに優れた戦略家であっても、状況認識を誤り、現実離れした目標を追求すれば、破滅的な結果を招くことを示している。
城野宏は、これらの東西の英雄たちの成功と失敗の事例を通して、戦略と戦術の本質、情報と計算の重要性、そして何よりも人間的要因が歴史を動かす原動力となることを鮮やかに描き出す。
彼らの行動原理を分析し、その思考プロセスを追体験することは、現代社会における様々な競争や課題に対処するための普遍的な法則性を見出すことに繋がるのである。
毛沢東に学ぶ大衆扇動、戦略統一、そして撤退のタイミング
第四章「毛沢東に見る戦略統一」は、本書の中でも特に注目すべき章の一つである。
著者である城野宏自身が、毛沢東率いる中国共産党の下で長期間にわたる捕虜生活を送ったという特異な経験を持つからこそ、その分析には他の追随を許さない深みとリアリティがある。
城野宏は、毛沢東がいかにして広大な中国の民衆の心を掴み、強大な国民党軍を打ち破り、中華人民共和国という新たな国家を建設し得たのか、その戦略と戦術を多角的に解き明かしていく。
その手法の核心の一つとして、城野宏は「理論」の持つ力を指摘する。
これは戦術問題だから、どちらがいいとか悪いとか簡単にはいえませんが、多くの人に呼びかけるには、書き方によっては、本などはかなり威力のあるものになる筈です。ともかく、毛沢東は本を書いて、一つの理論として呼びかけ、人を動かしてきました。(P.94「第四章 毛沢東に見る戦略統一」)
毛沢東は、「矛盾論」や「実践論」といった著作を通じて、自らの革命思想を体系化し、それを党員や大衆に広く浸透させた。
ウラジーミル・レーニン(Vladimir Ilyich Ulyanov、1870年~1924年)や、ヨシフ・スターリン(Joseph Vissarionovich Stalin、1878年~1953年)といった他の革命指導者の事例も引き合いに出す。
城野宏は、明確な理論やイデオロギーを提示し、それを効果的なメディア、当時は書物やパンフレット、演説などを通じて訴えかけることの戦略的重要性を強調する。
大衆を動かすためには、まず彼らが共感し、信奉するに足る「物語」や「大義名分」が必要なのである。
しかし、城野宏は、単に崇高な理論や美辞麗句を並べるだけでは、人々は真に動かないことを見抜いている。
どうすればいいかというと、その人達が持っている一番の悩み、欲求を引き出してやらないと人を集まりません。(P.94「第四章 毛沢東に見る戦略統一」)
この言葉は、人心掌握術の極意を端的に示している。
毛沢東と中国共産党は、当時の中国の農民や労働者が抱えていた貧困、搾取、外国からの圧迫といった切実な苦しみや、土地の分配、民族の独立といった強い願望を的確に捉え、それらに応える形で具体的な政策やスローガンを打ち出した。
だからこそ、多くの人々が彼らの運動に共鳴し、命を懸けて参加したのである。
これは、現代の政治キャンペーン、企業のマーケティング戦略、あるいはNPO活動など、人々を動員し、協力を得る必要があるあらゆる場面において、普遍的に通用する原理と言えるだろう。
相手のニーズを深く理解し、それに応える価値を提供すること。これこそが、人を動かす力の源泉なのである。
さらに、城野宏は、毛沢東の戦略に見られる「退き際」の判断、すなわち「止まるべき地点を最初から決めておく」ことの重要性にも光を当てる。
事業も同じことなんです。もうちょっと、もうちょっとと欲を出すと危ない。株の売買と同じです。株は、「もう少し上がるのではないかと欲を出すと、そのうち暴落してしまう。八分でがまんして、ちょっと上がったところでうまく整理してやると、大体儲かる」。これと同じことで、退き際が大切なのです。(P.98「第四章 毛沢東に見る戦略統一」)
これは、国民党と交戦しながら1万2,500キロを徒歩で移動し続けた、有名な1934年~1936年の長征のような、絶体絶命の状況からの戦略的撤退を成功させた毛沢東の判断力を念頭に置いた言葉であろう。
一時的な後退や損失を恐れず、大局的な勝利のために最適なタイミングで戦線を整理し、力を蓄える。
この「腹八分目で止める」「深追いしない」という発想は、戦いや事業運営だけでなく、投資や個人のキャリア、さらには人間関係においても適用可能な、非常に実践的な知恵である。
目標達成への執着と、状況に応じた柔軟な撤退・転進のバランス感覚。これこそが、持続的な成功を収めるための鍵となる。
そして、戦略と戦術の有機的な関連性について、城野宏は毛沢東のやり方から極めて明快な指針を引き出す。
「自分の現実問題をちゃんと自分の目で見る。確定的事実を集めて、それで処理する。そのために戦略を間違えないようにして、戦術は何でもやってみる」こうすれば必ずうまくいくのです。(P.120「第四章 毛沢東に見る戦略統一」)
この言葉は、戦略立案と戦術実行の黄金律とも言える。
まず、感情や願望、先入観を排し、客観的な事実、つまり確定的事実を徹底的に収集・分析し、直面している現実問題を正確に認識する。
その上で、達成すべき目標と、そこに至るための一貫した大方針となる戦略を誤りなく策定する。
戦略が一度定まれば、それを実現するための具体的な手段となる戦術は、状況に応じてあらゆる可能性を試し、最も効果的なものを柔軟に選択・実行していく。
この、不動の戦略と変幻自在の戦術の組み合わせこそが、困難な状況を打開し、最終的な勝利を手繰り寄せるための確実な方法論であると城野宏は力説する。
これは、計画性と柔軟性という、一見矛盾する二つの要素を高い次元で統合するリーダーシップのあり方を示唆している。
人間を見抜く眼力:城野式評価基準とその実践的意義
第五章「人間評価の方法」において、城野宏は、彼自身の長年の経験と深い洞察に基づいて練り上げられた、独自の人間評価の基準を提示する。
これは、組織のリーダーを選任する際、ビジネスパートナーシップを組む相手を見極める際、あるいは単に他者と信頼関係を築き、協力して事を成し遂げようとする際に、極めて実践的かつ有効な指針となるだろう。
城野宏が挙げる「人間を判断する五つの標準」は以下の通りである。
・理論を持っているか
・確定的事実で判断しているか
・意気込みがあるか
・成果を持ったか(自分の変化・成長、他者の変化・成長、動員・組織・継続)
・今後の政策を持っているか(P.130~抜粋「第五章 人間評価の方法論」)
これらの基準は、単に個人の能力や学歴、表面的な経歴といった外面的な要素を評価するものではない。
むしろ、その人物が持つ
- 思考の論理性や体系性(理論)
- 現実を客観的に認識し分析する能力(確定的事実での判断)
- 目標達成への情熱や粘り強さ(意気込み)
- 実際に結果を得て自己の成長、他者への良い影響、そして組織化と継続(成果)
- さらには将来に対する明確なビジョンや計画性(今後の政策)
といった、より本質的で多面的な資質を総合的に評価しようとするものである。
特に注目すべきは、「成果」の定義である。城野宏は、単に目に見える業績や数値目標の達成だけを成果とは見なさない。
「自分の変化・成長」といった内面的な成熟、「他者の変化・成長」を促す影響力、そして人々を「動員・組織」し、その活動を「継続」させる力までを含めて「成果」と捉えている。
これは、リーダーシップの本質が、単に個人の優秀さにあるのではなく、他者の潜在能力を引き出し、組織全体のパフォーマンスを高め、持続的な発展を可能にする点にあることを示唆している。
また、この評価基準の根底には、相手の話に真摯に耳を傾け、自らの足で現場に赴き、事実を確認するという、地道で誠実な姿勢の重要性が流れている。
結局のところ、一人の人間を真に評価するためには、言葉だけでなく行動を、そして過去の実績と未来への展望を、総合的に吟味する必要があるという、普遍的な真理を我々は再認識させられるのである。
この五つの基準は、自己評価のツールとしても活用でき、自らの強みと弱みを客観的に把握し、今後の成長のための指針とすることも可能だろう。
定説への異議:武田信玄と上杉謙信は果たして名将だったのか
この第五章では、さらに読者の歴史認識を揺るがすような、大胆かつ衝撃的な見解が展開される。
それは、日本の戦国時代を代表する二大英雄として、しばしば双璧と称えられる武田信玄(たけだ・しんげん、1521年~1573年)と、上杉謙信(うえすぎ・けんしん、1530年~1578年)に対する、極めて辛辣な評価である。
特に、両雄が数度にわたり激突したとされる川中島の合戦について、城野宏は容赦ない言葉を浴びせる。
『日本戦史』にも、名将同士の傑作であると書かれていました。冗談ではありません。全くボンクラ同士の愚作なんです、これは。どこから見ても誉められない。どうしてこのような馬鹿げた戦をやったのかと思います。(P.167「第五章 人間評価の方法論」)
これは、一般的に「龍虎相打つ」名勝負として、講談や小説、映画などでロマンティックに描かれることの多い川中島の合戦のイメージを、根底から覆そうとする挑戦的な主張である。
城野宏は、単に既存の歴史書の記述を鵜呑みにするのではなく、自ら実地見聞を行い、関連史料を丹念に読み解き、独自の視点から分析を加えた結果、このような結論に至ったと述べる。
彼によれば、信玄も謙信も、その武名に反して、真に強力な敵と正面からぶつかり合って戦略的な勝利を収めた経験は乏しい。
多くの場合、自軍よりも兵力数で劣る弱小な敵に対して、圧倒的な数的優位をもって勝利を重ねたに過ぎず、戦略家としての手腕には疑問符が付くというのだ。
例えば、川中島の戦いにおける両軍の布陣や戦術、つまり妻女山への謙信の布陣、それに対する信玄の啄木鳥戦法などは、結果として双方に多大な損害をもたらしただけで、戦略的な観点からは得るものの少ない消耗戦であったと城野宏は断じる。
むしろ、先に触れた織田信長のように、不利な状況下でも知略を尽くして格上の敵を打ち破った武将こそが、真の戦略家として評価されるべきであるというのが、彼の基本的なスタンスである。
この信玄・謙信評価は、単に歴史上の人物に対する異説を提示するに留まらない。
それは、我々がいかに権威や通説、あるいは作られたイメージに影響されやすいか。
そして、物事の本質を見抜くためには、常に批判的な精神を持ち、一次情報や事実に立ち返って自ら思考することの重要性を、改めて強く訴えかけるものである。
歴史ファンにとっては刺激的すぎるかもしれないが、この「常識を疑う」姿勢こそが、人間学を探求する上で不可欠な要素なのである。
中国古代史の深淵なる謀略:蘇秦と張儀の連携と非情なる結末
第六章「人間の在り方と社会的基盤」では、物語の舞台は再び古代中国へと移り、そこに渦巻く複雑怪奇な人間模様と、壮大なスケールの謀略が描かれる。
特に、群雄が割拠した戦国時代に活躍した縦横家、つまり外交戦略家の蘇秦(そ・しん、?~紀元前284年?)と、張儀(ちょう・ぎ、?~紀元前309年)のエピソードは、読者に強烈な印象を残すだろう。
彼らは、諸国を巧みな弁舌と外交術で操り、秦以外の六国が同盟して強大な秦に対抗する策の「合従策」(がっしょうさく)と、各国が秦と個別に同盟を結ぶ策の「連衡策」(れんこうさく)を駆使して、国際秩序を形成しようとした。
城野宏が紹介するエピソードは、その中でも特に劇的なものである。
蘇秦の提案を張儀は受け入れます。張儀の秦は遠交近攻で切り崩しをし、蘇秦は六か国を連合して対抗するという均衡状態が続きます。二人は肚を合わせ歩調をそろえたのです。張儀と蘇秦の連携作戦がしばらく続いているうちに、蘇秦が暗殺されます。蘇秦という指導者を失って六か国の連合は崩れ、張儀の切り崩し策が一つ一つ成功していくことになりました。そして、とうとう六か国全部を滅ぼし、秦は天下を統一したのです。その結果何が起こったか。蘇秦の予想通り張儀は殺されそうになります。そのために張儀は、蟄居してしまうことになります。まさに蘇秦が言った通りになったわけです。(P.178「第六章 人間の在り方と社会的基盤」)
この記述は、歴史の教科書ではライバルとして描かれることの多い蘇秦と張儀。
実は水面下で互いの立場と利益、さらには生命の安全を保障するために、一種の偽装対立構造を維持しつつ協調していたという、驚くべき構図を明らかにする。
蘇秦が合従策で六国をまとめ、張儀が連衡策でそれを切り崩そうとする。この緊張感あるバランスこそが、両者の存在意義を保ち、結果的に彼らの安全にも繋がっていたというのである。
しかし、歴史の大きな歯車は、個人の緻密な計算や策謀を容赦なく飲み込んでいく。蘇秦の暗殺という予期せぬ出来事によって均衡は破れ、合従策は瓦解し、秦による天下統一への道が加速する。
そして、その立役者となった張儀自身もまた、用済みとなれば権力闘争の中で粛清の対象となりかねないという、蘇秦が生前に予見した通りの危機に直面するのである。
このエピソードは、人間関係の複雑さ、権力の本質、そして歴史の非情なダイナミズムを凝縮して示している。
個人の知恵や努力がいかに優れていても、時代の大きな流れや組織内部の力学、そして予測不可能な偶然の出来事によって、その運命は大きく左右される。
中国史の奥深さと、そこに繰り広げられる人間ドラマの複雑さに圧倒される。
と同時に、このような歴史の教訓は、現代の国際政治におけるパワーバランスの分析や、企業内の派閥抗争、あるいは個人のキャリア戦略を考える上でも、多くの示唆を与えてくれるだろう。
まさに「人間学」の宝庫である。
時代を超えて響き渡る『東西古今 人間学』の普遍的な教え
城野宏による『東西古今 人間学』は、単に過去の出来事を詳述する歴史書でもなければ、安易な成功法則を説く自己啓発書でもない。
人間とは本質的にどのような存在なのか、そして歴史を通じて繰り返される成功と失敗のパターンから、私たちは何を学び取るべきなのか、という根源的な問いに対するもの。
古今東西の具体的な人物の生き様や、歴史的な事件の深層構造を丹念に解きほぐしながら、読者自身に深く考えさせようとする、真摯な知的格闘の記録である。
織田信長の冷徹なまでの合理性、豊臣秀吉の変幻自在な戦略眼、毛沢東の巧みな人心掌握術と大衆動員力、そして上杉謙信や武田信玄といった従来の英雄像に対する大胆にして痛烈な再評価。
これらの記述は、我々が知らず知らずのうちに抱いてしまっている固定観念や先入観を心地よく揺さぶり、物事を多角的かつ批判的に捉えることの重要性を、改めて強く認識させてくれる。
本書で縦横無尽に展開される戦略論や戦術論は、現代の熾烈なビジネス競争の現場で即座に応用可能な実践的な知恵に満ち溢れている。
またそれだけでなく、私たちの日常生活における意思決定の質を高め、より良い人間関係を構築していく上でも、非常に有益な視座を提供してくれるだろう。
特に、客観的な事実である確定的事実に基づいて大局的な戦略を練り上げ、その戦略を具現化するためにはあらゆる戦術を柔軟に駆使するという基本原則。
そして、人間の本質を見抜き、その能力を正しく評価するための具体的な基準は、変化の激しい現代社会を生き抜く私たちにとって、強力な羅針盤となり得るはずだ。
人間探求の果てしない旅:何度でも再読したい、魂を揺さぶる一冊
『東西古今 人間学』は、その深遠な内容と多岐にわたるテーマの故に、一度通読しただけでは、その真髄をすべて汲み尽くすことはおそらく難しいだろう。
しかし、それこそが本書の持つ尽きせぬ魅力であり、何度でもページをめくり、その都度新たな発見と深い学びに浴することができる、稀有な一冊であると言える。
歴史上の英雄豪傑たちの栄光と挫折、成功と失敗の物語は、時空を超えて現代の我々に静かに、しかし力強く語りかけ、人間という存在への理解を一層深めてくれる。
城野宏が提示する独自の鋭い視点や、常識を覆すような大胆な分析は、時に読者に知的興奮を、時には心地よい戸惑いを与えるかもしれないが、それこそが思考を活性化させ、新たな視点を開くための起爆剤となる。
本書を通じて、歴史を学ぶことの真の面白さ、すなわち過去の出来事から普遍的な教訓を引き出し、それを現代、そして未来へと活かしていくダイナミズムを実感することができるだろう。
そして、「人間学」という、答えの出ない、しかしだからこそ探求しがいのあるテーマの奥深さに、改めて魅了されるに違いない。
著者の城野宏は、本書以外にも、官僚で実業家・古海忠之(ふるみ・ただゆき、1900年~1983年)との共著『獄中の人間学』をはじめとする、その壮絶な体験に裏打ちされた貴重な著作を遺している。
本書を読了し、その思想に触れた読者は、きっと彼の他の作品にも手を伸ばしてみたくなることだろう。
複雑さを増す一方の現代社会を航海し、より豊かで意義のある未来を自らの手で築き上げていくための、信頼できる海図であり、また頼りになる羅針盤として、本書『東西古今 人間学』は、多くの読者にとって、生涯を通じて座右に置くべき、かけがえのない一冊となる可能性を秘めている。
歴史のダイナミズムに心躍らせ、戦略的思考を磨き、そして何よりも「人間」という不可思議で魅力的な存在そのものに深い関心と愛情を抱くすべての人々に、この書物を心からの敬意と共にお薦めしたい。
この一冊との出会いが、あなたの知的好奇心を刺激し、人生を豊かにする新たな視点をもたらすことを願ってやまない。
- 新田次郎『梅雨将軍信長』あらすじ・感想
- 安部龍太郎『血の日本史』あらすじ・感想
- 隆慶一郎『死ぬことと見つけたり』あらすじ・感想
- 三島由紀夫『葉隠入門』要約・感想
- 金森誠也『30ポイントで読み解くクラウゼヴィッツ「戦争論」』要約・感想
- 暇空茜『ネトゲ戦記』あらすじ・要約・感想
- 猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』あらすじ・感想
- 瀧本哲史『戦略がすべて』要約・感想
- 瀧本哲史『君に友だちはいらない』要約・感想
- 森岡毅『マーケティングとは「組織革命」である。』要約・感想
- 森岡毅/今西聖貴『確率思考の戦略論』要約・感想
- マシュー・サイド『多様性の科学』要約・感想
- マシュー・サイド『失敗の科学』要約・感想
- ジョアン・マグレッタ『マイケル・ポーターの競争戦略〔エッセンシャル版〕』要約・感想
- 齋藤孝『日本人の闘い方』要約・感想
- 齋藤孝『最強の人生指南書』要約・感想
- 小野壮彦『人を選ぶ技術』要約・感想