- 全体を把握する学習法
- 作文力と正確さの重視
- 反復と集中による習得
- 問題意識と環境の活用
種田豊輝の略歴・経歴
種田輝豊(たねだ・てるとよ、1938年~2017年)
翻訳者、通訳者。
広島県広島市の生まれ。1945年に北海道網走市に移住。高校在学中に日米交換留学生(AFS)に選ばれて一年間渡米。大学在学中にイタリア大使館で勤務。東京外国語大学英米科を中退。
1981年にアメリカ人の妻と息子二人とともにアメリカ合衆国カリフォルニア州へ移住。
『20ヵ国語ペラペラ』の目次
Ⅰ わたしの語学人生
Ⅱ 20カ国語上達の記録
Ⅲ ポリグリットのすすめ
Ⅳ 体験的速修術29項
あとがき
新版発行に際して
解説 ポリグロットに憧れる「種族」 黒田龍之助
『20ヵ国語ペラペラ』の概要・内容
2022年5月10日に第一刷が発行。ちくま文庫。270ページ。
副題は「私の外国語学習法」。
1969年5月に実業之日本社より刊行。1973年10月に改訂版が刊行。
文庫化にあたり、副題を付し、一部の語句表記の修正と写真の変更を実施したもの。
解説は、言語学者でスラブ語学者の黒田龍之助(くろだ・りゅうのすけ、1964年~)。
東京都の生まれ。上智大学外国語学部ロシア語科を卒業。東京大学大学院人文社会系研究科露文専攻博士課程を単位取得満期退学。
東京工業大学の助教授(ロシア語)、明治大学理工学部の助教授(英語)、2007年3月に退職。
2012年より神田外語大学の非常勤講師(言語学)、2018年より同大言語教育研究所の特任教授。神戸市外国語大学外国語学部ロシア学科の客員教授。
『20ヵ国語ペラペラ』の要約・感想
- 中学生時代の英語学習法:教科書通読の重要性
- 高校時代の探求心:教科書の先を読む姿勢
- 問題意識が鍵:発音学習への没頭
- 留学試験への挑戦:驚異の学習時間と集中力
- アメリカ留学中の輝き:フランス語での頭角
- 作文力こそ語学習得の母体である
- 安定した知識の基盤:揮発しない読解力とは
- 速修術の基本:500例文暗記の効果
- ブロークンは敵:安易さを許さない姿勢
- 完全征服の秘訣:「うるし塗り」反復学習法
- オウムに学ぶ:音声学習の極意
- 外国人との交流:最適なタイミングとは
- 多言語間の混乱を防ぐ思考法
- 『20ヵ国語ペラペラ』を読むということ
- 天才・種田輝豊の語学術は再現可能か?
- 成功の背景:恵まれた環境と時間
- 本書から何を学び、どう活かすか
『20ヵ国語ペラペラ』――この刺激的な題名の書籍は、数々の言語を自在に操った多言語話者であるポリグロット(polyglot)の種田輝豊(たねだ・てるとよ、1938年~2017年)による語学学習の軌跡と、その独自の速修術を余すところなく記した一冊である。
本書は、発行以来多くの語学学習者に衝撃とインスピレーションを与え、熱狂的なファンを生み出してきた。
本記事では、この伝説的な書籍の内容を、著者の言葉と具体的なエピソードを交えながら深掘りし、現代の我々がそこから何を学び取れるのかを探求していく。
種田輝豊の驚異的な語学力はいかにして培われたのか、そしてその学習法は我々凡人にも応用可能なのか。その秘密の扉を、共に開いてみようではないか。
中学生時代の英語学習法:教科書通読の重要性
種田輝豊の語学への情熱は、若き日からその萌芽を見せていた。
特筆すべきは、彼が英語学習に取り組む際の計画性と、テキストに対する独特のアプローチである。
中学1年生の時、父親に購入してもらった小川芳男(おがわ・よしお、1908年~1990年)の「基礎英語講座」初級・中級合わせて12冊。
当初はそれほど興味を示さなかったものの、松本亨(まつもと・とおる、1913年~1979年)のNHKラジオ講座をきっかけに英語熱が再燃。
そして、その12冊を制覇しようと試みた際の行動が、後の彼の学習スタイルを象徴している。
わたしは一ページ一ページずつページをめくりながら、どんな文法的説明があるか、自分の実力に照らし合わせて、どの程度のテキストが出てくるのかを考えながら、いわば本の中を散歩して行った。(P.33「Ⅰ わたしの語学人生」)
この「本の中を散歩する」という比喩は、学習対象の全体像をまず把握しようとする彼の姿勢を示している。
いきなり細部に取り掛かるのではなく、数日かけて全12冊を通読し、自身の英語力とテキストの内容を照らし合わせ、どこから重点的に学習すべきかを見極めたという。
その結果、4冊目からじっくりと取り組むことを決定。ノートは使わず、テキストへの赤鉛筆による書き込みと、単語暗記のために紙片を時折、利用するというシンプルな方法であった。
このエピソードは、新しい分野の学習を始める際の重要な示唆を与えてくれる。
全体像を把握しないまま闇雲に細部を学習しようとすると、現在地を見失い、モチベーションの低下にも繋がりかねない。まずは対象となるテキストや教材全体に目を通し、その構造や難易度、自身の知識レベルとの関係性を理解すること。
これは、語学に限らず、資格試験の勉強など、あらゆる学習において有効な戦略と言えるだろう。
一見、遠回りに見えるかもしれないこの「散歩」こそが、効率的で継続的な学習への確かな第一歩となるのである。
高校時代の探求心:教科書の先を読む姿勢
種田輝豊の知的好奇心と学習への貪欲さは、高校時代においてさらに加速する。
高校入学直後、1年生の英語教科書を通読した彼は、単語の意味を調べればおおむね理解可能だと感じたものの、それだけでは満足できなかった。
そして、家に帰ると、また例の「散歩」にとりかかった。五、六時間で、二年と三年の各課の内容を吟味し終え、これで、高校の三年間にわたって使う教科書の全展望が得られた、と考えた。(P.40「Ⅰ わたしの語学人生」)
1年生の教科書だけでは飽き足らず、2年生、3年生の教科書まで購入し、それらも同様に「散歩」するように通読してしまったというのだ。
これにより、彼は高校3年間の英語学習の全体像を早期に把握することができた。
この行動は、単なる予習というレベルを超え、学習対象全体を俯瞰し、長期的な視点を持って取り組もうとする彼の強い意志の表れである。
現状に満足せず、常に高みを目指す姿勢。そして、その目標達成のために具体的な行動を起こす力。
これらは、語学学習者が持つべき重要な資質と言えるだろう。教科書の内容をただ受動的にこなすのではなく、その先にある世界を見据え、自ら進んで知識を吸収しようとする探求心こそが、種田輝豊を非凡な語学マスターへと押し上げた原動力の一つであったに違いない。
このエピソードは、我々に対し、学習の枠を自ら広げることの大切さを教えてくれる。
問題意識が鍵:発音学習への没頭
学習効果を高める上で、「問題意識」がいかに重要であるかを、種田輝豊は自身の経験を通して示している。
彼は英語の発音を習得するにあたり、辞書の発音記号の解説ページを徹底的に読み込んだという。
それは問題意識がはっきりしていたため、非常におもしろい勉強であった。(P.48「Ⅰ わたしの語学人生」)
なぜ発音記号を学ぶのか、何を理解したいのかという目的意識が明確であったため、その学習は彼にとって苦痛ではなく、むしろ「おもしろい勉強」となった。
この言葉は、学習における内発的動機付けの重要性を端的に示している。やらされ感のある学習ではなく、自らの知的好奇心や課題解決意欲に根差した学習は、集中力や吸収力を格段に高める。
発音という、多くの日本人学習者が壁を感じやすい分野において、彼がこれほどまでに主体的に取り組めたのは、発音のメカニズムを解明したいという強い「問題意識」があったからに他ならない。
この姿勢は、文法学習や単語暗記など、語学学習のあらゆる側面に通じるものである。
漠然と学習するのではなく、「なぜこれを学ぶのか」「これを学ぶことで何が解決されるのか」という問いを常に持ち続けること。
それが、学習を持続させ、深化させるための鍵となるだろう。
留学試験への挑戦:驚異の学習時間と集中力
種田輝豊の学習への没入力は、国際教育交流団体のAFSによるアメリカ留学選抜試験の準備期間のエピソードからも伺える。
彼はこの試験勉強について、次のように述べている。
しかし、この試験のためとしては、一日平均五時間以上は勉強しなかった。わたしは同時に、英語の教科書の復習をしたり、ラジオで英会話やフランス語、ドイツ語なども聞いていた。(P.71「Ⅰ わたしの語学人生」)
注目すべきは、「一日平均五時間以上は勉強しなかった」という部分である。
これは、5時間を上限として意識的にコントロールしていたという意味であり、裏を返せば、意識しなければ6時間、7時間と勉強してしまうほどの集中力と持続力を持っていたことを示唆している。
さらに驚くべきは、その5時間を留学試験対策に充てつつ、それとは別に英語の教科書の復習、ラジオでの英会話、さらにはフランス語やドイツ語の学習にも時間を割いていたという点だ。
これは、多くの学習者にとって「最低ラインが5時間」という、まさに桁違いの努力量と言えるだろう。
しかし、重要なのは単なる時間の長さだけではない。
彼が複数の言語や学習内容を同時並行で、かつ高い質を保ちながら進められたのは、明確な目標設定と、それに対する深い興味、そして驚異的な集中力があったからこそである。
このエピソードは、才能ある人物の「努力の基準値」がいかに高いかを示すと同時に、真の学習とは時間量だけでなく、その質と密度、そして何よりも学習対象への情熱が重要であることを教えてくれる。
アメリカ留学中の輝き:フランス語での頭角
1955年、17歳になる年にアメリカへ留学した種田輝豊は、現地の高校生活においてもその語学能力を遺憾なく発揮する。
特にフランス語の授業では、他の生徒を寄せ付けないほどの実力だったという。
「フランス語」の時間は、とくにおもしろかった。そのころすでに、フランス語もかなり読み書きできるようになっていたわたしは、クラスでは一番であった。(P.99「Ⅰ わたしの語学人生」)
留学前から既にフランス語の読み書き能力を高いレベルで習得していたという事実は、彼の語学に対する並々ならぬ才能と努力を物語っている。
多感な高校時代に異文化の中で生活し、母語ではない英語で授業を受けながら、さらに第三言語であるフランス語でもトップクラスの成績を収めるというのは、まさに驚異的としか言いようがない。
このエピソードは、早期からの多言語学習の可能性と、一つの言語を深く学ぶことが他の言語習得にも好影響を与える可能性を示唆している。
また、彼にとって語学学習が単なる「勉強」ではなく、知的な「おもしろさ」を追求する行為であったことが、このような成果に繋がったのだろう。
新しい言語を学ぶ喜び、そしてその言語を使って他者とコミュニケーションを取れるようになる喜び。それらが、彼の尽きることのない学習意欲の源泉となっていたに違いない。
作文力こそ語学習得の母体である
『20ヵ国語ペラペラ』の中で、種田輝豊が一貫してその重要性を説いているのが「作文力」である。
彼は、作文力こそが外国語を正確に運用するための基礎であり、会話能力の土台となると強調する。
作文力は、書きと話しの母体である。作文力がないのに会話ばかりしていると、何年たってもブロークンしか話せないのもあたりまえのことである。というのは、作文力こそ、正確な文法的知識に立脚するものだからである。(P.168「Ⅲ ポリグリットのすすめ」)
この指摘は、とかく会話偏重になりがちな現代の語学学習に対する警鐘と言えるだろう。
流暢に話せることをゴールとし、文法的な正確さや表現の適切さを疎かにしてしまうと、いつまで経っても中身の伴わない「ブロークン」な状態から抜け出せない。
種田輝豊によれば、正確な文法知識に裏打ちされた作文力があってこそ、質の高いコミュニケーションが可能になるのである。
まず書くことで、文の構造を理解し、語彙を正確に運用する訓練を積む。その上で会話練習に臨めば、より正確で豊かな表現が可能になる。
これは、地味ではあるが確実な上達への道筋を示している。文法と単語という基礎を固め、それを実際に文章として組み立てる作業を通して初めて、本当に「使える」語学力が身につくのだ。
安定した知識の基盤:揮発しない読解力とは
種田輝豊は、作文力の重要性をさらに深く掘り下げ、それが読解力や知識の定着にも不可欠であると説く。
作文力を基盤にもたない解釈力は、あぶなっかしい解読力であり、読解力ではありえない。また、こういった安定した基礎のない知識は、ものの一年か二年放っておいただけで、それこそ雲散霧消してしまいかねない、揮発性の知識である。(P.173「Ⅲ ポリグリットのすすめ」)
彼によれば、作文力という確固たる土台があって初めて、真の読解力が育まれる。
そして、そのような安定した基礎の上に築かれた知識は、時間が経っても容易には失われない「不揮発性」の知識となる。
逆に、作文力を伴わない表面的な理解や知識は、一時的には役立つかもしれないが、使わなければすぐに消えてしまう「揮発性」の知識に過ぎないという。
この考え方は非常に示唆に富んでいる。
語学学習において、単に多くの単語やフレーズを記憶するだけでは不十分であり、それらを正確に運用できる「作文力」を養うことによってはじめて、知識が血肉となり、長期的に保持されるのである。
現代においては、生成AIの進化により、文章作成のサポートを受けることが容易になった。
しかし、AIに頼りきりになるのではなく、むしろAIを道具として活用し、自らの作文力を鍛え上げるという視点が重要になるだろう。
種田輝豊の時代には存在しなかったテクノロジーを賢く利用することで、彼の言う「安定した基礎」をより効率的に築くことができるかもしれない。
速修術の基本:500例文暗記の効果
種田輝豊が提唱する「体験的速修術29項」の中でも、特に基本的かつ効果的な方法として挙げられているのが「例文の丸暗記」である。
彼は、初歩の段階で少なくとも500程度の例文を暗記することを強く推奨している。
初歩的段階では、少なくとも五百文例くらいは暗記してしまうのである。(P.191「Ⅳ 体験的速修術29項:5 すぐ役にたつ五百の例文丸暗記」)
この500という数字は、多くの学習者にとって決して少なくない量だろう。
しかし、種田輝豊は、この方法が「例外なく血肉となる」「100%役に立った」と断言しており、その効果の高さを強調している。
入門書などで文法を一通り学びながら、並行して基本的な例文を徹底的に頭に叩き込む。
これにより、文法知識が具体的な文脈の中で生きた形で定着し、実際のコミュニケーションで使える表現のストックが豊富になる。
彼の言う「最低限のレベル」は、常に我々の想像を上回る。先に触れた学習時間もそうであったが、この例文暗記の数も同様である。
しかし、これは単なる根性論ではない。一定量以上のインプットと反復が、言語習得において臨界点を超えるために不可欠であるという、経験に裏打ちされた確信なのであろう。
質の高い例文を厳選し、それを完璧に暗記する努力は、確かに骨の折れる作業かもしれないが、その先には確かな語学力の向上が待っているはずだ。
ブロークンは敵:安易さを許さない姿勢
種田輝豊は、語学学習において「ブロークン」な表現を容認することに対し、極めて厳しい態度で警鐘を鳴らしている。
彼は、安易な妥協が上達を妨げる最大の要因の一つであると考える。
「意味さえ通じればよい」、「こんなふうにいってもわかってもらえるだろう」といった安易な精神がブロークン認容の初めである。「急ぐ場合、調べているひまがないから」という言いわけは許されない。それらなだまっていればよいのである。ブロークンに慢性になると、もうブロークンも正確もわからなくなり、どっちでもよいということになる。それは語学上達を志すものとして、もっとも警戒しなければならない態度である。(P.193「Ⅳ 体験的速修術29項:6 ブロークンは敵」)
この言葉からは、正確さへの徹底したこだわりと、易きに流れやすい人間の弱さに対する深い洞察が感じられる。
「意味さえ通じればいい」という考えは、一見すると実践的で効率的に思えるかもしれない。
しかし、種田輝豊は、そのような態度は学習者の成長をそこで止めてしまうと断じる。
分からないこと、正確に表現できないことは、安易にごまかすのではなく、沈黙を選ぶか、あるいは時間をかけてでも調べて正確な表現を追求すべきだというのだ。
ブロークンな表現が常態化すると、何が正しくて何が間違っているのかの区別さえ曖昧になり、向上心が失われてしまう。
この指摘は、語学学習に限らず、あらゆる技能習得や仕事においても通じる普遍的な教訓と言えるだろう。
常に高い基準を自らに課し、妥協を許さない姿勢こそが、真の熟達へと繋がる道なのである。
完全征服の秘訣:「うるし塗り」反復学習法
一つの教材や学習項目を完全にマスターするためには、繰り返しが不可欠であると種田輝豊は説く。
彼はその過程を、何度も塗り重ねることで美しい光沢と強度が増す「うるし塗り」に例えている。
わたしはたいてい四回で征服した。時間的には約半年くらい。(P.204「Ⅳ 体験的速修術29項:10 四回の「うるし塗り」作業で完全征服」)
通常、漆器は3回以上の塗りを繰り返すが、場合によっては5回、6回と重ねることもある。
言語学習も同様で、一度学んだだけでは知識は定着せず、何度も繰り返し触れることで初めて自分のものになる。
種田輝豊自身は、平均して4回の「うるし塗り」で教材を征服したという。期間としては約半年。
これもまた、彼の集中的な学習スタイルを物語っている。
彼は、それでも習得が難しい場合は、その言語とは縁がなかったと割り切り、基礎的な言葉だけを覚えて深入りはしないという選択肢も示唆しているが、彼自身がそのような経験をしたとは考えにくい。
それは恐らく、一般の学習者、読者向けの発言であろう。
この「うるし塗り」という比喩は、学習における反復の重要性を非常に分かりやすく伝えてくれる。
一回で完璧に理解しようとするのではなく、何度も繰り返し、少しずつ理解を深め、記憶を強固にしていく。この地道な作業こそが、外国語を「完全征服」するための王道なのである。
オウムに学ぶ:音声学習の極意
音声教材の活用法について、種田輝豊はユニークな視点を提供している。
彼は、まず音そのものに集中し、文字情報に頼らないことの重要性を強調する。
最初はその語音になれるだけでよい。音の特徴をつかむのである。その場合、音だけに集中したほうがよい。書く、見るは別のことで、それを同時にしようとすると分散して効果は弱くなるから。(P.226「Ⅳ 体験的速修術29項:18 オウムに学ぶ語学テープの利用法」)
これは、多くの学習者が陥りがちな、テキストを見ながら音声を聞くという方法とは一線を画すアプローチである。
彼は、まず耳から入る音に全神経を集中させ、その言語特有の音声的特徴、つまりリズムやイントネーション、個々の音素など、を捉えることを最優先する。
文字情報と同時に処理しようとすると、注意が分散し、音声認識の精度が落ちてしまうというのだ。
この考え方は、リスニング能力向上のための重要なヒントとなる。
まずは純粋に「聞く」ことに徹し、その言語の音を浴びて、染み込ませる。そして、音に慣れ親しんだ後で、文字情報を確認するというステップを踏む。
あるいは、音声のみのリスニングと、テキストを見ながらのリスニングを分けて行うのも効果的かもしれない。
いずれにせよ、同じ音声を何度も繰り返し聞くことが重要である点は、他の学習法とも共通している。オウムが人の言葉を真似るように、まずは音を正確に捉えることから始める。
それが、自然な発音と流暢な会話能力を身につけるための第一歩となる。
外国人との交流:最適なタイミングとは
多くの語学学習者が早期に求める外国人との実践的なコミュニケーション機会。しかし、種田輝豊は、そのタイミングについて慎重な見解を示す。
わたしは最後に言いたい。もし外人と知りあいになりたいなら、それは遅ければ遅いほどよい、と。つまり、ある程度の基礎ができてからのほうが、正しく学びとれるからである。(P.238「Ⅳ 体験的速修術29項:24 外人との交際は遅ければ遅いほどよい」)
この主張の背景には、先にも述べた「ブロークンは敵」という彼の哲学がある。
基礎的な文法力や語彙力が未熟な段階でネイティブスピーカーと交流を始めてしまうと、不正確な表現が定着してしまったり、相手に気を遣わせてしまったりする危険性がある。
ネイティブスピーカーも、初心者の誤りをいちいち訂正するのは煩わしいと感じるかもしれないし、また失礼になると考えるかもしれない。
そうなると双方にとって実りの少ない時間となってしまう。
ある程度の基礎を固め、正確なコミュニケーションを取る準備が整ってから外国人との交流を始める方が、より多くのことを正しく学び取れるというのが彼の考えだ。
これは、焦って実践を求めるのではなく、まずはしっかりと土台を築くことの重要性を改めて教えてくれる。
質の高いアウトプットのためには、質の高いインプットと内的な習熟が不可欠なのである。
多言語間の混乱を防ぐ思考法
複数の言語を操るポリグロットにとって、言語間の混同は避けたい課題の一つである。種田輝豊は、この問題に対して独自の対処法を持っていた。
日本語を話しているとき、わたしは、日本語的な音だけに窓口をしぼっている。そこには、非日本語的な音は混入しない。radioをラジオといい、world seriesをワールド・シリーズというのはそのためである。(P.243「Ⅳ 体験的速修術29項:27 他国語間の混乱をふせぐには」)
これは、話す言語に応じて意識的に「音の窓口」を切り替えるという、高度なメンタルコントロールを示している。
日本語を話す際には、完全に日本語の音韻体系に思考を合わせ、英語などの外来語も日本語のカタカナ発音で処理する。
これにより、他の言語の音韻的特徴が日本語の発話に影響を与えるのを防いでいるのだ。
この能力は、長年の訓練と意識的な努力の賜物であろう。
それぞれの言語を独立したシステムとして頭の中に構築し、必要に応じてそのシステムを起動させるようなイメージだろうか。
多言語学習者にとっては、各言語の特性を深く理解し、それぞれの言語モードにスムーズに切り替える訓練が、このような混乱を防ぐ鍵となるのかもしれない。
『20ヵ国語ペラペラ』を読むということ
種田輝豊の『20ヵ国語ペラペラ』は、その読みやすさとは裏腹に、読者に強烈なインパクトを与える書籍である。
ベストセラーとなり、多くの熱狂的なファンを生んだことも十分に頷ける。しかし同時に、著者のあまりにも傑出した才能と努力の前に、多くの読者は「これは自分にも再現可能なのだろうか」という疑問を抱くかもしれない。
まるで、以前に別の書籍『翻訳者の全技術』で感じた山形浩生(やまがた・ひろお、1964年~)のような、規格外の知性に触れた時のような感覚である。
ちなみに、こちらの記事「山形浩生『翻訳者の全技術』要約・感想」も、ご参考に。
本書で語られる学習法やエピソードは、確かに非凡な才能を持つ人物の記録である。だが、それを単に「天才だからできたこと」と片付けてしまうのは早計だろう。
むしろ、彼の学習への取り組み方、問題意識の持ち方、そして目標達成への執念といった要素は、才能の有無に関わらず、我々凡人が見習うべき点が数多く含まれている。
少しモチベーションが低下した時、あるいは学習の壁にぶつかった時に本書を手に取れば、新たな活力が湧いてくるかもしれない。
天才・種田輝豊の語学術は再現可能か?
種田輝豊の語学学習法は、その徹底ぶりと基準の高さにおいて、常人には及びもつかない領域にあるように感じられるかもしれない。
一日最低5時間の学習、500の例文暗記、教科書の全範囲通読といったエピソードは、彼の並外れた集中力と持続力を物語っている。
しかし、彼の方法論の根底にあるのは、「計画性」「問題意識の明確化」「反復練習の重視」「基礎固めの徹底」といった、極めて普遍的かつ本質的な学習原則である。
これらの原則は、才能の有無にかかわらず、誰でも意識し、実践することで学習効果を高めることができる。
もちろん、彼と同じレベルで20カ国語をマスターすることは難しいかもしれない。
しかし、彼が示した学習への真摯な姿勢や、一つ一つの課題に全力で取り組む精神は、我々が自身の目標を達成するための大きなヒントとなるはずだ。
彼の「速修術」の中から、自分に合ったもの、取り入れられるものを選び出し、実践してみる。それだけでも、語学学習に対する新たな視点が開けるのではないだろうか。
成功の背景:恵まれた環境と時間
種田輝豊の驚異的な語学力の背景には、本人の才能と努力に加えて、恵まれた環境と比較的多くの学習時間を確保できたという側面も考慮に入れる必要があるだろう。
父親が師範学校出身でドイツ語に関心を持ち、家庭にドイツ語の雑誌があったというエピソードも、幼少期から外国語に触れる機会があったことを示唆している。
また彼は高校在学中に1年間アメリカへ留学し、帰国後は後輩たちと共に学び卒業。
さらに浪人生活を経て、東京外国語大学に入学している。これは、同世代の多くの学生と比較して、学習に専念できる期間が実質的に2年ほど長かったことを意味する。
もちろん、これらの環境要因だけで彼の成功の全てを説明することはできない。
しかし、強い好奇心と学習意欲を持った人物が、そのような環境と時間を与えられた時、どれほどの飛躍を遂げる可能性があるのかを、彼の人生は示している。
本書から何を学び、どう活かすか
『20ヵ国語ペラペラ』は、単なる語学の天才の自叙伝ではない。
それは、目標に向かって努力することの尊さ、学ぶことの楽しさ、そして人間の持つ無限の可能性を教えてくれる一冊であり、時代を超えて読み継がれるべき名著である。
種田輝豊の語学への情熱、探求心、そして驚くべき実践の数々は、今もなお多くの学習者に影響を与え続けている。
彼の圧倒的なエネルギーに触れることで、読者は自らの学習意欲を刺激され、新たな一歩を踏み出す勇気をもらえるだろう。
現代は、情報が溢れ、学習ツールも多様化している。
しかし、そのような時代だからこそ、種田輝豊が示したような本質的な学習への取り組み方、すなわち、明確な目標設定、徹底した基礎固め、そして不断の努力という姿勢が、より一層その価値を増していると言えるだろう。
本書に記された数々の「体験的速修術」は、具体的なノウハウとしてだけでなく、学習に取り組む際の心構えや哲学としても深く我々の胸に刻まれるのである。
本書を羅針盤とし、自分なりの語学学習の道、あるいは自己成長の道を見つけ出してほしい。
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