茨木のり子の略歴
茨木のり子(いばらぎ・のりこ、1926年~2006年)
詩人。随筆家。
本名は、三浦のり子。旧姓は、宮崎のり子。
大阪府大阪市の生まれ。愛知県西尾市の育ち。西尾高等女学校(現在の西尾高等学校)を卒業。
帝国女子医学・薬学・理学専門学校(現在の東邦大学)の薬学部を卒業。
『茨木のり子の家』の目次
実際には、目次はない。
124~127ページに各種の写真のキャプションはある。
写真がメインの作品であるが、茨木のり子の詩も掲載。
122ページには、それぞれの詩の初出もあるので、以下に参考として引用。
わたしが一番きれいだったとき『見えない配達夫』(飯塚書店)1958年
くだものたち『見えない配達夫』
食卓に珈琲の匂い流れ『食卓に珈琲の匂い流れ』(花神社)1992年
時代おくれ『倚りかからず』(筑摩書房)1999年
倚りかからず『倚りかからず』
さゆ『食卓に珈琲の匂い流れ』
色の名『花神ブックスⅠ 茨木のり子』(花神社)1996年
ある工場『花神ブックスⅠ 茨木のり子』
みずうみ『花神ブックスⅠ 茨木のり子』
一本の茎の上に『一本の茎の上に』(筑摩書房)1994年
『茨木のり子の家』の概要
2010年11月25日に第一刷が発行。平凡社。ハードカバー。127ページ。菊判。150mm×220mm。
1958年に施工された茨木のり子の家を豊富なカラー写真で紹介する作品。茨木のり子や夫である三浦安信(みうら・やすのぶ、1918年~1975年)の写真や直筆原稿、愛用の品々なども。
写真の合間合間には、茨木のり子の代表的な詩も挿入。
過去の写真に加えて、新たに2008年8月~2010年7月の間に撮影されたものを添える。
撮影者は、フリーカメラマンの小幡雄嗣(おばた・ゆうじ、1962年~)。神奈川県生まれ、日本大学芸術学部写真学科を卒業。
1987年に第24回太陽賞(平凡社)、1997年に第8回コニカ写真奨励賞、1999年に日本写真協会賞新人賞を受賞している人物。
120~121ページの見開きには、甥で医師の宮崎治(みやざき・おさむ)の随筆「伯母と過ごした週末」も。
『茨木のり子の家』の感想
ちなみに、この作品は、上述の通り、2010年11月25日に初版第一刷が発行。
私が所持しているのは、2020年12月15日に発行された初版第八刷。
茨木のり子が2006年に亡くなってから4年後に発売され、さらに第八刷まで、発行を伸ばしている作品。
ニッチな詩という領域、もしくはニッチな市場で、息の長い売れ行きである。
茨木のり子のファンは、結構多いだろうし、さらに新たなファンも加わっているのだろう。
実際、国語の教科書などにも掲載されているようだし。
今回の『茨木のり子の家』は、何気ない日常を映し出した、とても綺麗な写真集といった感じ。
読了感も爽快というか、清々しいというか、瑞々しい雰囲気に包まれる。
表紙カバーは、薄い半透明なもの。カバーを外して、ちょっとしたオシャレなアイテムとして飾ることもできそうな感じ。
茨木のり子が住んだ家というのは、1958年、茨木のり子が32歳の時に、従姉妹の建築家と一緒に設計したとのこと。
どの程度、設計に関与したかは不明。
その辺りは、甥・宮崎治のエッセイに書かれている。学生時代には、よく遊びに行ったらしい。
夫を亡くして一人暮らしであった茨木のり子。
大学生として一人暮らしであった甥の宮崎治。
ちょうど良く時間もあったとか。
ちなみに、豊富な写真の他に、茨木のり子の詩が掲載されているのも大きな魅力。
18ページの「わたしが一番きれいだったとき」から詩は始まる。
75ページの上段には、「わたしが一番きれいだったとき」の英訳の写真も。
全体として、とても素晴らしい著作。茨木のり子の書棚なども掲載されている。
そして何より、最後の部分。
茨木のり子自身が考えた、死亡通知の原稿。
茨木のり子の死生観が如実に表現されている。かなり胸に迫る文章。凛としながらも軽やかで爽やか。
とても心を豊かにしてくれる一冊である。
心の汚れを洗い流し、清澄なものにしてくれるような作品。
茨木のり子が好きな人、詩が好きな人、写真が好きな人、家が好きな人など、いろいろな方々にオススメの一冊である。
関連して写真が豊富な『茨木のり子の献立帖』という著作もあるので、そちらも興味があれば、是非チェックしてもらいたい。
書籍紹介
関連書籍
関連スポット
宮崎医院
愛知県西尾市にある病院・宮崎医院。茨木のり子の父・宮崎洪(みやざき・ひろし、1897年~1963年)が開業。茨木のり子が育った場所。
公式サイト:宮崎医院
根府川駅
神奈川県小田原市にある東海道本線の根府川(ねぶかわ)駅。詩「根府川の海」の題材。
浄禅寺
山形県鶴岡市の浄土真宗本願寺派の寺院。公式サイトは特に無い。
夫・三浦安信と供に、茨木のり子のお墓がある。
ちなみに山形県鶴岡市は三浦安信の生まれ故郷。また鶴岡市の北側に隣接する東田川郡三川町は、茨木のり子の母であり、旧姓・大滝勝(おおたき・かつ、1905年~1937年)の生まれ故郷。
勝は鶴岡高等女学校(現・鶴岡北高等学校)を卒業している。