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森博嗣『集中力はいらない』要約・感想

森博嗣『集中力はいらない』森博嗣

  1. 「集中=美徳」という常識を疑い、発想や創造は分散やリラックス状態、空白の時間から生まれる。
  2. 情報を遮断して自分の時間を守ることは、思考の質を高める最適解。
  3. ビジネスは合理性で成り立ち、量産戦略と、ゆるいスケジュールが持続性を生む。
  4. 眠気などは身体からのシグナルで、固定観念を破ることで、長期的に有利な思考習慣が築ける。

森博嗣の略歴・経歴

森博嗣(もり・ひろし、1957年~)
小説家、工学者。
愛知県の生まれ。東海中学校・高等学校、名古屋大学工学部建築学科を卒業。名古屋大学大学院修士課程を修了。三重大学、名古屋大学で勤務。1990年に工学博士(名古屋大学)の学位を取得。1996年に『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞しデビュー。

『集中力はいらない』の目次

まえがき
第1章 集中しない力
第2章 「集中できない」 仕事の悩みに答える
第3章 「集中しない」と何故良いか
第4章 考える力は「分散」と「発散」から生まれる
第5章 思考にはリラックスが 必要である
第6章 「集中できない」感情の悩みに答える
第7章 思考がすなわち人間である
あとがき

『集中力はいらない』の概要・内容

2018年3月15日に第一刷が発行。SB新書。213ページ。

『集中力はいらない』の要約・感想

  • 常識を疑うことから知性は始まる。
  • 情報の遮断と時間の価値における工学的最適解
  • 商売の本質と提供価値の非対称性
  • ビジネスと個人の完全なる分離
  • 「自信」の欠如と割り切りの美学
  • 持続可能な生産システムとしてのスケジュール管理
  • 「思考」こそが人類最大の武器である
  • 学校教育が証明する「分散」の有効性
  • 時間という究極の通貨
  • 量産という天才的な戦略
  • 身体の声を聞き、固定観念を破壊する
  • ファンとの関係性と「人間」のバグ
  • 結論:分散し、思考し、自由に生きる

常識を疑うことから知性は始まる。

世間では「集中力」こそが成功の鍵であり、必死に一つのことに取り組むことが美徳とされる。

しかし、本当にそうだろうか。

もしあなたが、日々「集中できない」と自分を責めているのであれば、それは全くの誤解かもしれない。

むしろ、その「集中できない」ことこそが、最強の武器になる可能性があるからだ。

今回紹介するのは、工学博士であり、人気ミステリィ作家でもある森博嗣(もり・ひろし、1957~)の著書『集中力はいらない』である。

本記事では、本書のエッセンスを紐解きながら、現代社会を生き抜くための「分散と思考」の技術について解説していく。

常識という名の呪縛から解き放たれる準備はいいだろうか。

情報の遮断と時間の価値における工学的最適解

現代人は情報に溺れている。

スマホを開けばニュースが飛び込み、SNSでは誰かの意見が絶え間なく流れてくる。

私たちは「情報を逃すこと」を極端に恐れている。

しかし、森博嗣は全く逆のスタンスを取る。

彼はかつて、テレビも新聞も一切見ない生活を送っていたという。

何故、TVや新聞を見なかったのかといえば、自分の時間が大事だったからだ。そういったものに時間を取られることが惜しかった。(P.35「集中しない力」)

具体的には、森博嗣は大学入学から小説を書き始めるまで、つまり、1976年頃~1996年頃といった、テレビ全盛期における期間において、上記の決断がいかに異質で、かつ合理的であったかが分かる。

多くの人が受動的に垂れ流される情報を消費していた時代に、彼は能動的に自分の時間を守り抜いたのである。

親の教育方針でテレビや漫画を制限されていたというエピソードもどこかで目にした記憶があるが、その習慣が彼の「時間を聖域化する」という姿勢を形成したのかもしれない。

現代において、テレビや新聞の役割はネットやSNSに取って代わられた。

だが、本質は変わっていない。

それらは「時間泥棒」である。

重大なニュースは誰かが教えてくれるし、必要であれば自ら取りに行けばいい。

受動的な情報の摂取は、思考停止と同義である。

自分の時間を確保することこそが、知的生産の第一歩なのだ。

そして、時間を確保した上で、彼は「集中」についても異論を唱える。

多くの人は、アイデアは集中した極限状態で生まれると信じている。

しかし、著者はこう断言する。

しかし、一つだけ言えることがあるとしたら、発想は、集中している時間には生まれないということである。(P.39「集中しない力」)

これは非常に興味深い示唆である。

集中とは、ある一点に意識を固定することだ。

それは作業効率を高める上では有効かもしれないが、新しい結合(イノベーション)を生むには不向きである。

発想は、集中から離れ、思考が分散し、発散している瞬間にこそ降りてくる。

これは武道や芸道における「守・破・離」の概念にも通じるかもしれない。

いずれにせよ、脳をリラックスさせ、何も考えていないような「空白の時間」こそが、創造性の源泉となるのだ。

机にかじりついているだけでは、世界を変えるアイデアは生まれないのである。

商売の本質と提供価値の非対称性

ビジネスの世界に身を置く者にとって、本書の第1章にある言葉は、背筋が凍るほど鋭い真実を突きつけてくる。

私たちは普段、何気なく物を買い、何気なくサービスを受けているが、その根底にあるメカニズムを意識することは少ない。

森博嗣は、その本質をたった数行で喝破する。

明らかな事実は、金を出すのはあなたであって、相手があなたに差し出すのは、(相手にとって)その金額よりも低い価値のものである、という事実である。それが、あらゆる商売、あらゆる仕事の基本だ。(P.45「集中しない力」)

この冷徹なまでの観察眼には脱帽するほかない。

これは経済学の基本原理であるが、消費者の立場にいると忘れがちな視点だ。

相手(企業や売り手)は、提供する商品やサービスのコスト(原価や労力)が、受け取る金額よりも低いからこそ、そこに利益を見出し、ビジネスとして成立させている。

研究者として仮説、実験、観察、思考のサイクルを回し続けてきた森博嗣だからこそ、社会の構造もまた、一つの巨大な実験場のように冷静に観察できるのだろう。

感情論抜きにこの構造を理解しておかなければ、ビジネスマンとして成功することは難しい。

自分が提供する価値が、相手が支払う対価とどう釣り合い、どの程度の利益構造を生むのか。

この「商売の基本」を骨の髄まで理解しているかどうかが、プロとアマチュアの分水嶺となる。

ビジネスと個人の完全なる分離

作家という職業には、どこか「情熱」や「魂」といったウェットなイメージが付きまとう。

しかし、森博嗣のスタンスは徹底してドライであり、それゆえにプロフェッショナルである。

彼は出版業界の現状についても、極めて冷静な分析を行っている。

ただ、出版というビジネスは、作品を商品として社会に流通させることですから、その段階では、実社会と深く関わります。今がどんな時代なのかを見極めているかどうかは、ビジネスとしてとても重要です。(P.58「『集中できない』仕事の悩みに答える」)

ここで注目すべきは、彼が「作家の森博嗣」と「個人の森博嗣」を明確に分けている点だ。

ビジネス小説家としての彼は、社会の潮流を読み、何が求められているかを敏感に察知する。

しかし、個人の彼自身は、世間の流行に特段の関心を持たないというスタンスを貫いているように見える。

この使い分けこそが、彼が研究者と作家という二足のわらじを履きこなし、長きにわたって第一線で活躍し続けられた理由であろう。

自分の魂まで売る必要はない。

ただ、役割としての自分が、求められる機能を果たせばいいのだ。

では、その「機能」を果たすための源泉はどこにあるのか。

彼はそれを「着眼」と「発想」だと言う。

作家の仕事で最も重要なことは、「着眼」と「発想」です。つまり、どこに注目するのか、そしてそこから何を思いつくのか、ということ。これらは、どうすればできるかといえば、とにかく、あらゆるものに、目を向ける、きょろきょろと見回していること、そして、なにものにも拘らず、自由に素直に考えること、の二点だと思います。(P.59「『集中できない』仕事の悩みに答える」)

一つのことに固執せず、きょろきょろと見回すこと。

これは一見、集中力がない子供のような振る舞いに思えるかもしれない。

しかし、この「散漫さ」こそが、独自の視点を生む鍵なのだ。

あらゆることに興味を持ち、こだわりを捨て、制限なく素直に考える。

しなやかで自由な精神状態こそが、硬直した現代社会の隙間を突くアイデアを生み出す。

「集中してはいけない」という本書の主張は、ここに見事に結実している。

「自信」の欠如と割り切りの美学

多くのクリエイターは、自分の作品に対する絶対的な自信や愛着を語りたがる。

しかし、森博嗣はここでも常識を覆す。

僕は、自分の書くものに絶対的な自信など、これっぽっちも持っていません。そもそも自分は小説を読まないし、さほど好きでもないのです。ただ、ニーズがあって、それに応えて商品を作っているというだけです。(P.60「『集中できない』仕事の悩みに答える」)

この言葉を聞いて、失望する読者もいるかもしれない。

しかし、私はここに究極の誠実さと強さを感じる。

彼には、鉄道模型を作りたいという明確な個人的目的があり、小説の執筆はその資金を得るための「手段」として選ばれたビジネスである。

目的と手段がこれほどまでにクリアになっているからこそ、迷いがないのだ。

「好きではない」と言い切れる強さは、逆に言えば、自分の作品を客観的な「商品」として突き放して見ることができるという強みになる。

自分の作品に陶酔していないからこそ、市場のニーズに冷静に応えられる。

絶対的な自信がなくとも、プロとしてニーズに応える能力への「確信」はあるのだろう。

この割り切りは、感情労働に疲弊する現代のワーカーにとって、一つの救いとなる思考法ではないだろうか。

持続可能な生産システムとしてのスケジュール管理

プロフェッショナルとは、気分のムラに左右されず、一定の品質を一定のペースで出し続ける人のことを指す。

森博嗣の執筆スタイルは、まさにその体現である。

いずれにしても、毎日書きます。コンピュータのカレンダに、何日何文字書くと記入して予定を決め、そのとおりに書きます。だいたい前倒しになりますが、決めた予定よりも遅れたことは一度もありません。親が死んで葬式の喪主をしなければならないとか、そんな事態に突然陥っても、予定を厳守しました。逆にいうと、それくらいゆるい予定を組むわけです。(P.66「『集中できない』仕事の悩みに答える」)

「毎日書く」。

言うは易く行うは難しの典型である。

しかし、彼がそれを実現できている秘訣は、強靭な意志力ではなく、「ゆるい予定」にある。

突発的なトラブルが起きることを前提とし、それでも破綻しない余裕のあるスケジュールを組む。

これはリスク管理の基本であり、工学的なシステム設計の思想そのものだ。

ギリギリの計画は、一度のつまずきで崩壊する。

余裕こそが、継続を生み、継続が信頼を生む。

そして、仕事の始め方についても、彼は極めてシステマチックだ。

小説の執筆だったら、フォルダを作って、タイトルを書いて、目次を書いて、登場人物表を書いてしまう。(P.72「『集中できない』仕事の悩みに答える」)

やる気が出るのを待つのではなく、ただ淡々と作業の「枠」を作る。

外山滋比古(とやま・しげひこ、1923年~2020年)や、渡部昇一(わたなべ・しょういち、1930年~2017年)といった知の巨人たちも、形から入ること、とにかく手を動かすこと、まず始めてしまうこと、の重要性を説いていた。

「鍬を持て」という古い格言通り、四の五の言わずに始めること。

森博嗣のこの手法は、創作活動のみならず、あらゆるデスクワークに応用できるハックである。

「思考」こそが人類最大の武器である

本書の中核をなすテーマは、「反応するな、思考せよ」ということだ。

私たちは日常生活の多くを、無意識の反応で済ませている。

しかし、それでは動物と変わらない。

日常生活では、人間はほとんど考えないのです。頭を使うことはとてもエネルギィが必要で、楽ではない。できるだけ楽をしたいのが、生き物の本能です。しかし、人類がこんなに繁栄したのは、ほかの動物よりも考えたからなのですね。
つまり、社会においても、考える人が格段に有利になります。(P.81「『集中できない』仕事の悩みに答える」)

思考することは疲れる。

脳は大量のエネルギーを消費する器官だから、本能的にサボろうとする。

しかし、だからこそチャンスがある。

周囲がただ刺激に「反応」して生きている中で、あえてエネルギーを使って「思考」する人間は、圧倒的な優位性を獲得できる。

仕事での成功、社会的地位、承認欲求の充足、そして最終的には自由な人生。

これらはすべて、思考した先にある報酬だ。

そして、思考が整理されていれば、アウトプットの速度も劇的に向上する。

自分の頭の中から出てくる文章は、読む必要がないから速く書けるのです。(P.89「『集中できない』仕事の悩みに答える」)

多くの人が文章を書くのに時間がかかるのは、書きながら考えているから、あるいは外部の情報を継ぎ接ぎしているからだ。

自分の内側から湧き出る思考を書き留めるだけであれば、それは思考の速度に近づく。

書くのが遅いのではない。

思考の解像度が低いのだ。

思考力を鍛えることこそが、最強の時短術なのである。

学校教育が証明する「分散」の有効性

第3章に入ると、著者の論理はさらに切れ味を増す。

彼は学校のカリキュラムを例に挙げ、「集中」の非効率さを指摘する。

学校では、何故、まず一年間は国語、次の一年間は算数という時間割にしないのか、少し考えていただきたい。もし、集中することが善ならば、当然そうした方が頭に入りやすいと思われるが、そうなってはいない。分散し、同時進行することが有効であるとの共通認識が、自然にあったものと思われる。(P.99「『集中しない』と何故良いか」)

極端な仮定を用いて一般論を再検証する、森博嗣得意の思考法である。

確かに、1年間数学だけをやり続けるよりも、複数の教科を並行して学ぶ方が、飽きずに続けられるし、脳の異なる部位を使うことでリフレッシュにもなる。

全体最適としても個別最適としても、対象を分散させた方が学習効率が良いことは、歴史が証明している。

それなのに、大人になると急に「一つの仕事に集中しろ」と強要されるのは奇妙な話だ。

マルチタスクは悪だと言われるが、長期的な視点で見れば、複数のプロジェクトや趣味を並行させる「分散投資」のような時間の使い方のほうが、精神衛生上も、リスクヘッジの観点からも健全なのである。

時間という究極の通貨

お金持ちになる方法は数多くあるが、時間を増やす方法は存在しない。

その意味で、時間は貨幣よりもはるかに重い価値を持つ。

時間というのは、つまりお金よりも価値がある。お金は取り返せるけれど、時間は使ったら戻ってこない。無駄なことに時間を使うのは、その分お金を払っていると考えてもらいたい。実際、無駄な時間を過ごすことで、どんどん金欠になっていく人は大勢いるように見受けられる。(P.162「『集中しない』と何故良いか」)

森博嗣は極度のせっかちだという。

じっとしていることが耐えられず、何も生み出さない時間を嫌悪する。

約束の時間は守るが、遅刻してきた相手は待たない。

「冷たい」と言われるかもしれないが、彼は自分の時間の価値を正確に理解しているだけだ。

無駄な時間を過ごすことは、財布からお金をドブに捨てているのと同じこと。

いや、取り返しがつかない分、それ以上に罪深い。

時間は資源であり、投資の原資だ。

無駄な時間を消費させる人間関係や娯楽とは、決別する勇気が必要である。

量産という天才的な戦略

森博嗣の凄さは、その執筆速度と多作ぶりにある。

しかし、それは単なる速筆自慢ではない。

緻密な計算に基づいた「勝てる戦略」なのだ。

平均すると、だいたい五万部売れている。ということは、一年で二十冊を出せば、毎年、百万部売れるベストセラを連発しているのと同じ結果になる。(P.169「『集中しない』と何故良いか」)

一冊で100万部を売るホームランを狙うのは、運の要素が強く、再現性が低い。

しかし、5万部を売る本を20冊書くことは、実力と計画でコントロール可能だ。

結果として得られる成果(印税)は同じである。

この冷徹な計算を実行に移し、実際にやり遂げてしまうのが彼の天才性である。

普通の人間に年間20冊の執筆は不可能かもしれないが、この「分散による安定化」という戦略は、ビジネスや投資のあらゆる場面に応用できる。

一点突破のギャンブルではなく、確実なヒットを積み重ねる。

これが長く生き残るための生存戦略である。

そして、彼がデビュー作にミステリィを選んだ理由もまた、合理的である。

つまり、謎を提示して、事件を起こせば良い、というように、考える対象が絞られているので、何を考えれば良いのかが明らかで、作り手にしてみると、取っ付きやすい、ある意味、考えやすいジャンルがミステリィなのだ。執筆する時、非常に着手しやすい。僕がデビュー作にミステリィを選んだのも、このためだった。なにしろ、それまで小説など書いたことはなかったので、作業の困難さが少ないところ、攻めやすいところを攻めたわけである。(P.142「考える力は『分散』と『発散』から生まれる」)

「書きたいもの」ではなく「書けるもの」、そして「攻めやすい市場」を選ぶ。

初心者が参入障壁の低いルートを選び、そこで確実に成果を出す。

情熱よりも勝算を優先するこの姿勢こそ、彼が異分野から参入して成功を収めた最大の要因だろう。

身体の声を聞き、固定観念を破壊する

「集中できない」と悩む時、私たちは自分を責めがちだ。

しかし、それは身体からの重要なメッセージかもしれない。

たとえば、すぐに眠くなったりするし、ほかのことばかり考えてしまったりする。それは、もしかしたら、あなたの頭脳が、自分のやり方は違うと主張しているのではないだろうか。(P.154「思考にはリラックスが必要である」)

眠くなる、飽きる、気が散る。

これらは「その作業が自分に合っていない」あるいは「やり方が間違っている」という脳の警告信号である可能性がある。

無理に意志の力で抑え込むのではなく、その反応を分析し、改善のヒントにする。

自分自身を実験台として観察するメタ認知能力がここでも発揮されている。

そして、悩みの多くは、自分の思い込みによって作られている。

考え方を少し変えるだけで、目の前が開け、明るくなったように感じることがある。あなたを縛っているのは、あなたの固定観念なのだ、という場合がとても多い。
是非、少し我が身を振り返って、自分の頭で考えていただきたい。なにしろ、損をしているのは、あなた自信なのである。(P.171「『集中できない』感情の悩みに答える」)

「こうあるべきだ」「こうしなければならない」という固定観念が、私たちの思考を縛り、可能性を狭めている。

損をするのは自分自身。

自分の人生のオーナーシップを取り戻すためには、他人の作った常識ではなく、自分の頭で考えた理屈で動かなければならない。

ファンとの関係性と「人間」のバグ

ビジネスにおいて、ファンベースの構築は不可欠だ。

森博嗣はその点でも先駆的だった。

ファン倶楽部もネット上に誕生し、今では会員数が一万六千人になりました。これも、作家としては珍しいと思います。(P.183「『集中できない』感情の悩みに答える」)

彼はブログが書籍化される流れを作った草分け的存在でもある。

無料公開していたブログや庭園鉄道の記録が、次々と書籍化され、多くのファンを獲得した。

2008年の時点で質問等に対するメール返信をやめ、SNSもやっていないという独自の距離感を保ちつつ、会員限定ブログでは毎日発信する。

この絶妙な距離感が、カルト的とも言える熱心なファンを生んでいるのだろう。

現代の作家やクリエイターがSNSでの消耗戦を強いられている中で、彼の構築した「聖域」は一つの理想形に見える。

一方で、彼はテクノロジーの進化と人間の関係についても鋭い指摘を残している。

IT化でも、この最後に残った「人間」が取り除かれつつある。人間は「人間」が嫌いなのだ。効率を高め、安全で安心な環境を実現するためには、「人間」が不要なのである。(P.197「思考がすなわち人間である」)

人間はミスをする。

感情があり、コミュニケーションコストがかかる。

効率を突き詰めれば、システムから「人間」という不確定要素を排除するのが正解になる。

人間が人間を排除しようとするパラドックス。

AIが台頭する現代において、この指摘は予言のように重く響く。

人間不要のビジネスモデルを構築する側にならなければ、排除される側になるかもしれないという警鐘とも受け取れる。

結論:分散し、思考し、自由に生きる

本書は『集中力はいらない』というタイトルを通じて、現代社会の強迫観念に対するアンチテーゼを提示している。

本書は、結局は、あまりかっかせずに、ゆったりといきましょう、というメッセージといえるだろう。そうすることで、大勢に幸があるのでは、と期待している。(P.213「あとがき」)

過度に集中せず、視点を分散させ、リラックスした状態で思考を遊ばせる。

準備を怠らず、しかし計画には遊びを持たせる。

他人の定規ではなく、自分の頭で考え、自分の歩調で進む。

森博嗣の思想は、一見逆張りのように見えて、実は生物として最も自然で、かつ合理的な生存戦略である。

日々「集中できない」と悩み、情報の洪水に溺れそうになっているあなたにこそ、この本を手に取ってほしい。

読み終えた時、あなたの肩の荷は下り、今までよりも少しだけ遠くを見渡せるようになっているはずだ。

自らの固定観念を剥がし、自由な思考の海へと漕ぎ出そう。

思考力さえ鍛えれば、私たちはどこへだって行けるのだから。

書籍紹介

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