荻原井泉水の略歴
荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい、1884年~1976年)
俳人、俳論家。本名は、幾太郎、後に藤吉。
東京都港区浜松町の生まれ。麻布中学の頃より俳句を作り始める。正則中学、第一高等学校を経て、1908年に東京帝国大学文科大学言語学科を卒業。
「層雲」を主宰し、自由律俳句で有名な俳人、尾崎放哉(おざき・ほうさい、1885年~1926年)や、種田山頭火(たねだ・さんとうか、1882年~1940年)らを育てる。
『人生読本』の目次
第一部
“謝”という心
助けあう心
旅をする心
歩いてゆく心
いれもののない心
卵のこころ
豆腐のこころ
第二部
佐藤一斎のことば
無難禅師のことば
芭蕉の最後
一茶の一生
良寛のことども
『人生読本』の概要
1962年2月10日に第一刷が発行。実業之日本社。245ページ。ハードカバー。127mm×188mm。四六判。
3ページの「はじめに」には、各記事の出典の詳細が書かれている。
NHKラジオのトーク番組「人生読本」から、「佐藤一斎のことば」「無難禅師のことば」「芭蕉の最後」「一茶の一生」「良寛のことども」。
日本放送のテレビから、「“謝”という心」。明倫高等学校の講演から、「助けあう心」。清泉女子大学の講演から、「いれもののない心」。在家仏教協会の講演から、「歩いてゆく心」。
その他は、各地の教育会などの講演を整理したもの。
第二部の人物に関して以下に。
佐藤一斎(さとう・いっさい、1772年~1859年)…儒学者。美濃国岩村藩(現在の岐阜県恵那市岩村町)の出身。生まれは江戸(東京都中央区)。「言志四録」が有名。
至道無難(しどう・むなん、1603年~1676年)…臨済宗の僧侶。美濃国不破郡関ケ原村(現在の岐阜県不破郡関ケ原町)の出身。
松尾芭蕉(まつお・ばしょう、1644年~1694年)…俳諧師。伊賀国阿拝郡(現在の三重県伊賀市)の出身。『おくのほそ道』が有名。
小林一茶(こばやし・いっさ、1763年~1828年)…俳諧師。信濃国柏原(現在の長野県上水内郡[かみみのちぐん]信濃町柏原)の出身。
良寛(りょうかん、1758年~1831年)…曹洞宗の僧侶。越後国出雲崎(現在の新潟県三島郡出雲崎町)の出身。
『人生読本』の感想
俳人の種田山頭火(たねだ・さんとうか、1882年~1940年)や、尾崎放哉(おざき・ほうさい、1885年~1926年)の流れから、その師である荻原井泉水を知る。
『私の履歴書<第4集>』と『詩と人生』を読み、さらにこの『人生読本』を手に取った。
もともとは、講話というか、話したことを、本にまとめているので、かなりフランクで読みやすい。ただし内容はとても深い。
わたしは“俳句の心”として、三つの“純”を挙げます。一つには「単純」、二つには「純粋」、三つには「純情」です。(P.104「卵のこころ」)
「単純」は、十七字ほどの俳句の形。「純粋」は、マゼモノが無く、一つの焦点に絞ること。「純情」は、俗情に対する風雅。
といった説明が続く。
さらに俳句は作るものではなく、生まれるものという話も。
小説家・夏目漱石(なつめ・そうせき、1867年~1916年)の『夢十夜』「第六夜」の彫刻の話みたい。
仁王を作るのではなく、木の中に埋まっている仁王を掘り出す感じか。
おおよそ、後世に残って伝わっている俳句も、そうだよな。種田山頭火や尾崎放哉の俳句も。
ちなみに夏目漱石の名前を挙げたが、実は荻原井泉水と夏目漱石は接点がある。これは後述することに。
で、私は平生は俳句の本よりも禅の本とか、易の本とか、また老子荘子などを愛読して、心の糧ともしますし、俳句を作る上の糧ともしているのであります。(P.123「佐藤一斎のことば:(一)己のために」)
「もっと広い見方から俳句を建直して行きたい」と考えている荻原井泉水。
普段から俳句の本以外にも、さまざまな本を読んでいると話す。
さらに、それらの東洋の思想を消化して、我が物にした人物が佐藤一斎であると説く。
幕末維新の志士たちに、大きな影響を与えた人物である。
佐藤一斎については、教育学者・齋藤孝の『最強の人生指南書――佐藤一斎「言志四録」を読む』を読んだことがある。
結構、面白かった記憶がある。おぼろげなので、また読み直しておこう。
中国の古い時代には紳士が身に付けるべき六つの道として「礼」、「楽」、「射」、「御」、「書」、「数」、これを六芸といったものです。(P.141「佐藤一斎のことば:(五)弓射のごとく」)
礼儀作法、音楽、弓射、乗馬、能書、算数の六つの道。
色々と現在の時代の必要な能力と照らし合わせて考えてみるのも面白い。
さらに、荻原井泉水は、高等学校から大学時代に、弓道をやっていたという逸話も。
私が大学におりました時、夏目漱石先生は英文学の先生で、しじゅう教を受けていたのでありますが、<後略>(P.145「佐藤一斎のことば:(五)弓射のごとく」)
ある時、荻原井泉水が弓道を行なっているところを見に来た。
すると、夏目漱石は、的ばかりを見ている。
荻原井泉水は、夏目漱石は弓道のことを知らないんだな、と思ったと。
弓は、弓の引き方、つまり射る前の姿勢を見なくては本当ではない、という。
博学の夏目漱石でも、さすがに弓道のことは知らなかったか。さすがに、そこまで求めるのは酷かもしれないが。
なかなか興味深いエピソードである。
ちなみに同い年の気象学者・藤原咲平(ふじわら・さくへい、1884年~1950年)、一つ年下の俳人・尾崎放哉も夏目漱石の授業を受けている。
俳句の道はまことにある、と芭蕉は言っています。まことというものは人の心の誠意です。芭蕉の門人、当時二百人あったとしましてもこのまことの心をもった人は果して幾人あったでしょうか。(P.195「芭蕉の最後:安心」)
松尾芭蕉の考えとして、俳句は人の心の誠意である、と。
そして、門人たちで、荻原井泉水が評価しているのは、去来、丈草、曲水が筆頭であると続ける。
ここで、人物の情報を列挙。
向井去来(むかい・きょらい、1651年~1704年)…俳諧師。蕉門十哲の一人。肥前国(現在の長崎県長崎市興善町)に生まれる。俳諧論書『去来抄』をまとめる。
内藤丈草(ないとう・じょうそう、1662年~1704年)…俳諧師。蕉門十哲の一人。尾張国(現在の愛知県犬山市)の出身。
菅沼曲水(すがぬま・きょくすい、1659年~1717年)…俳諧師、武士。曲翠とも。近江国膳所(現在の滋賀県大津市)の出身。
この辺りは『詩と人生』にも書かれているので、荻原井泉水の関心が高いところなのかも。
結論として、門人の少数の人によって、松尾芭蕉の「俳句のまことの道」が、今日まで伝わっているとまとめている。
荻原井泉水だけでなく、佐藤一斎や至道無難、松尾芭蕉、小林一茶、良寛などに興味のある人には、非常にオススメの本である。
また荻原井泉水など古い著者の作品であれば、国立国会図書館デジタルコレクションで読めることもあるので、登録しておくと良いかも。今回の『人生読本』もあるので、活用するのもありかと。
Amazonなどで無い場合には、日本の古本屋などを利用するのも有効。
書籍紹介
関連書籍
関連スポット
妙像寺:荻原井泉水
妙像寺は、東京都港区六本木にある日蓮宗の寺院。山号は法輪山。荻原井泉水の墓がある。海軍軍人・広瀬武夫(ひろせ・たけお、1868年~1904年)の記念碑も。
公式サイトは特に無い。
佛現寺:荻原井泉水
佛現寺は、静岡県伊東市にある日蓮宗の寺院。山号は海光山。荻原井泉水の句碑がある。
公式サイトは特に無い。
佐藤一斎像
岐阜県恵那市岩村町にある佐藤一斎像。佐藤一斎は、江戸浜町(現在の東京都中央区日本橋浜町)の美濃国岩村藩邸下屋敷内で生れる。その他に岩村町には、佐藤一斎の碑文が数多く建てられている。
公式サイトは特に無い。
至道無難禅師誕生地
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原にある至道無難禅師の誕生の地。関ケ原宿脇本陣跡でもある。
公式サイトは特に無い。
芭蕉記念館
東京都江東区にある松尾芭蕉の記念館。
公式サイト:芭蕉記念館
芭蕉翁記念館
三重県伊賀市にある松尾芭蕉の記念館。
公式サイト:芭蕉翁記念館
山寺芭蕉記念館
山形県山形市にある松尾芭蕉の記念館。
公式サイト:山寺芭蕉記念館
奥の細道むすびの地記念館
岐阜県大垣市にある芭蕉館と先賢館から成る記念館。
公式サイト:奥の細道むすびの地記念館
一茶記念館
長野県上水内郡信濃町にある小林一茶の記念館。
公式サイト:一茶記念館
一茶ゆかりの里 一茶館
長野県上高井郡高山村にある小林一茶の施設。
公式サイト:一茶ゆかりの里 一茶館
良寛記念館
新潟県三島郡出雲崎町にある良寛の記念館。
公式サイト:良寛記念館