徳間書店『人間 種田山頭火と尾崎放哉』

種田山頭火の略歴

種田山頭火(たねだ・さんとうか、1882年~1940年)
俳人。
本名は、種田正一(たねだ・しょういち)。出家得度し、耕畝(こうほ)の名も。
山口県防府市の生まれ。松崎尋常高等小学校尋常科、高等科を修了。私立周陽学舎を首席で卒業。県立山口尋常中学校を卒業。私立東京専門学校高等学校予科を卒業。早稲田大学大学部文学科を中退。
荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい、1884年~1976年)が主宰する俳句誌「層雲」に参加。

尾崎放哉の略歴

尾崎放哉(おざき・ほうさい、1885年~1926年)
俳人。
本名は、尾崎秀雄(おざき・ひでお)。
鳥取県鳥取市の生まれ。
鳥取高等小学校を修了、鳥取県立第一中学校を卒業。第一高等学校を卒業。東京帝国大学法科大学政治学科を追試験で卒業。
東洋生命保険(現在の朝日生命保険)を経て、朝鮮火災海上保険で勤務、後に免職。
荻原井泉水が主宰する俳句誌「層雲」に参加。

『人間 種田山頭火と尾崎放哉』の目次

序章 「動」と「静」漂白の生涯を読み解く
山頭火 人生即遍路 種田山頭火――どうしようもないわたしが歩いてゐる
放哉 独居無言 尾崎放哉――咳をしても一人
インタビュー 故郷を捨て旅に暮らしたそれぞれの魂の遍歴 早坂暁

第1章 山頭火・放哉 名句100選 選と解説 金子兜太/早坂暁
山頭火 金子兜太が選ぶ 種田山頭火名句55選
選句にあたって
放哉 早坂暁が選ぶ 尾崎放哉名句45選
選句にあたって

第2章 山頭火・放哉を読み解くキーワード
種田山頭火略年譜
母への思い
流転・変転
酒癖と自戒
山林独居の日々
行乞・漂白と放浪
旅即俳句
「其中庵」の隠居生活と仮寓「風来居」
終焉の地・松山
侘び住まい「一草庵」
特別インタビュー 山頭火からの手紙 藤岡照房さん(種田山頭火研究家)

尾崎放哉略年譜
鳥取池田藩士族・尾崎家の次男
一高時代、一高俳句会
東京帝国大学
大学は出たけれど
腰弁生活への失望
無一物の身
余儀なくされた放浪
独居無言の生活
終焉の場所「南郷庵」
特別インタビュー 放哉からの礼状 井上泰好さん・森克允さん(放哉「南郷庵」友の会)

第3章 山頭火・放哉 ゆかりの人物と庵住の地
荻原井泉水
野村朱鱗洞
大山澄太
高橋一洵・藤岡政一
種田サキノ
井上一二・杉本玄々子
沢芳衛・尾崎馨
山口県小郡 其中庵
松山市御幸 一草庵
香川県小豆島 南郷庵

『人間 種田山頭火と尾崎放哉』の概要

2013年1月1日に第一刷が発行。徳間書店。ソフトカバー。104ページ。フルカラー。212mm×285mm。

「TOWN MOOK 日本および日本人シリーズ」の一つ。副題的に「日本および日本人の原風景」、また“「動」と「静」二人の漂白の生涯を読み解く”とも書かれている。

自由律俳句の俳人である種田山頭火と尾崎放哉の生涯を、関連する人物や場所、資料など、豊富な写真とともに紹介する著作。種田山頭火の名句55選と尾崎放哉の名句45選も掲載。

ちなみに、種田山頭火の名句を選んだのは、俳人である金子兜太(かねこ・とうた、1919年~2018年)。埼玉県比企郡の生まれ。熊谷中学、水戸高等学校、東京帝国大学経済学部を卒業。

尾崎放哉の名句を選んだのは、脚本家で小説家の早坂暁(はやさか・あきら、1929年~2017年)。愛媛県松山市の生まれ。松山中学校、海軍兵学校を経て、松山高等学校を卒業。東京大学医学部に合格するが、医業に疑問を持ち入学せず。日本大学芸術学部演劇学科を卒業。

『人間 種田山頭火と尾崎放哉』の感想

詩人・中原中也(なかはら・ちゅうや、1907年~1937年)が好きで、山口県山口市湯田温泉に行ったことがある。

湯田温泉の町には、中原中也の詩碑の他に、俳人・種田山頭火の句碑もある。

新山口駅の南口には、種田山頭火の像もある。

そのような関連で、さらに種田山頭火に興味を持って、山口市にある其中庵や熊本にある報恩寺などを巡った。

そのまま時は流れて、ヨルシカというアーティストにハマる。音楽はもちろん歌詞も深い。

諸々と調べてみるとヨルシカの作詞・作曲を担当するn-buna(なぶな、1995年~)は、種田山頭火や尾崎放哉なども好きで、俳句にも造詣が深いようだった。

ということで、関連書籍を諸々と購入。

その一つが、こちらの『人間 種田山頭火と尾崎放哉』である。

種田山頭火と尾崎放哉に関して、かなり詳細に記述されたもの。非常に読み応えがあり、楽しめた。

最終の104ページには、数多くの引用・参考文献も掲載されている。そこからさらに深掘りしていくのも面白いと思う。

また俳人の金子兜太と脚本家・小説家の早坂暁の解説的な文章もポイント。

金子兜太は、経済学部ではあるが尾崎放哉と同様に、東京帝国大学を卒業している。

早坂暁は、愛媛県松山市生まれで、晩年の種田山頭火とも会ったことがあるという人物。

ちなみに、早坂暁は東京大学医学部に合格したが、医業に疑問を持って入学をせずに、日本大学芸術学部演劇学科に進学、卒業したエピソードも。

種田山頭火と尾崎放哉の妻に関する記述があるのも魅力の一つ。

種田サキノ(たねだ・さきの、1989年~1940年)。
尾崎馨(おざき・かおる、1892年~1930年)。

それぞれの夫婦は、離婚している。

だが、別れたといっても、種田山頭火は、サキノのいる熊本の住居で生活したり、立ち寄ったりしている。

尾崎放哉も、少しではあるが馨と手紙の遣り取りをしていたようだ。尾崎放哉が亡くなった後の一周忌は、馨が費用を全額賄って、執り行ったという事実も。

二人の師であり様々な配慮をした俳人・荻原井泉水も凄い人物だ。それだけ二人の人間的魅力や俳句の才能を見込んでいたのか。

ちなみに尾崎放哉と同様に、第一高等学校を経て、東京帝国大学文科大学言語学科を卒業している。

あとは、種田山頭火が尊敬した、井上井月(いのうえ・せいげつ、1822年?~1887年)も興味深い。

種田山頭火の他にも、芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ、1892年~1927年)や、つげ義春(つげ・よしはる、1937年~)にも影響を与えた人物だとか。

いやはや、色々と勉強になった。

尾崎放哉は、ちょっとその生い立ちも、その破滅すらもエリート過ぎた感じで、読まず嫌いだったけれど、とても面白いし、鋭い硬質な句を詠んでいる。しっかりと多くの作品を読んでみよう。

そう言えば、尾崎放哉と藤村操(ふじむら・みさお、1886年~1903年)が同級生というのは、驚いた。

その流れで、さらに付け加えると、東京帝国大学在学中、夏目漱石(なつめ・そうせき、1867年~1916年)に英語を学んでいたというのも面白い繋がり。

それぞれの関連した施設や、ゆかりの場所など、じっくりと巡ってみたいとも思う。

種田山頭火や尾崎放哉の初心者から、コアなファンまでも、満足させる内容になっているので、非常にオススメの一冊である。

書籍紹介

関連書籍

関連スポット

山頭火ふるさと館

種田山頭火の生れた山口県防府市(ほうふし)にある文化施設。

公式サイト:山頭火ふるさと館

報恩寺:種田山頭火

1924年に種田山頭火が住み込んだ熊本県熊本市中央区にある曹洞宗の寺院。

種田山頭火が出家得度した耕畝の名前の句碑がある。実際に参拝したことがある。非常にコンパクトな寺院であり、コアなファン以外には積極的にはオススメはできないかも。

公式サイトは特に無い。

瑞泉寺・味取観音堂:種田山頭火

1925年に種田山頭火が堂守となった熊本県熊本市北区にある曹洞宗の寺院。

公式サイトは特に無い。

其中庵:種田山頭火

1932年に種田山頭火が移り住んだ山口県山口市小郡にある庵。近くには其中庵休憩所も。

実際に訪問したことがある。新山口駅から、のんびりと散歩に良い距離。小高い丘の上で、町並みを眺望できる場所。

公式サイト:其中庵

一草庵:種田山頭火

愛媛県松山市御幸にある種田山頭火の終焉の地。1939年に結庵、後に一草庵と呼ばれる。

公式サイト:一草庵

尾崎放哉記念館

香川県小豆郡土庄町(しょうずぐんとのしょうまち)にある文化施設。尾崎放哉の終焉の地であり、南郷庵(みなんごあん)のあった場所。

公式サイト:尾崎放哉記念館

西光寺:尾崎放哉

香川県小豆郡土庄町にある高野山真言宗の仏教寺院。旧奥の院に、尾崎放哉記念館がある。

尾崎放哉は、『層雲』の同人でもある西光寺の第26世住職・杉本玄々子(すぎもと・げんげんし、1891年~1964年)、法名・宥玄(ゆうげん)の世話になる。

公式サイトは特に無い。

須磨寺:尾崎放哉

1924年に尾崎放哉は、兵庫県神戸市須磨区にある真言宗須磨寺派の寺院・須磨寺の大師堂の堂守となる。

公式サイト:須磨寺

常高寺:尾崎放哉

1925年に、尾崎放哉は福井県小浜市にある臨済宗妙心寺派の寺院・常高寺の寺男となる。

公式サイト:常高寺

興禅寺:尾崎放哉

鳥取県鳥取市にある黄檗宗の寺院。尾崎家の墓があり、尾崎放哉の墓も。句碑も建立されている。

公式サイトは特に無い。