- 言語の限界を理解する
- 「分らせる」「記憶させる」文章
- 文章に対する感覚を研く
- 六つの要素で文章を分析
谷崎潤一郎の略歴・経歴
谷崎潤一郎(たにざき・じゅんいちろう、1886年~1965年)…小説家。
東京都中央区の出身。阪本尋常高小、府立第一中学校(現在の日比谷高校)、第一高等学校英法科を卒業。東京帝国大学文科大学国文科を中退。
『文章読本』の目次
一 文章とは何か
◯ 言語とは何か
◯ 実用的な文章と藝術的な文章
◯ 現代文と古典文
◯ 西洋の文章と日本の文章
二 文章の上達法
◯ 文法に囚われないこと
◯ 感覚を研くこと
三 文章の要素
◯ 文章の要素に六つあること
◯ 用語について
◯ 調子について
◯ 文体について
◯ 体裁について
◯ 品格について
◯ 含蓄について
解説 吉行淳之介
『文章読本』の概要・内容
1975年1月10日に第一刷が発行。中公文庫。191ページ。
「文章読本」の読み方は「ぶんしょうどくほん」。
「読本」単体では「とくほん」。意味は、教科書、また解説書や入門書。
「文章読本」の意味は、文章の解説書、文章のための入門書。
前書きは、1934年9月に書かれたもの。単行本が中央公論者から1934年11月に刊行されている。
解説は、小説家の吉行淳之介(よしゆき・じゅんのすけ、1924年~1994年)。
岡山県岡山市の生まれ。東京都千代田区の育ち。麻布中学、静岡高校(現在の静岡大学)文丙(文系仏語クラス)を経て、東京帝国大学英文科に入学、後に除籍。『驟雨』で1954年の上半期の芥川賞を受賞。
『文章読本』の要約・感想
文章の書き方について悩みを抱える人は少なくないだろう。報告書、メール、ブログ記事、あるいは個人的な手紙に至るまで、私たちは日々、文章を書く機会に直面する。どうすればもっと分かりやすく、心に響く文章が書けるのだろうか。そんな普遍的な問いに対し、時代を超えて示唆を与えてくれる一冊が、文豪・谷崎潤一郎による『文章読本』である。
本書は、単なる技術的な文章作成マニュアルではない。谷崎自身の豊かな文学的経験と深い洞察に基づき、文章の本質とは何か、そして優れた文章を書くためには何が必要かを、具体的な例を交えながら丁寧に解き明かしていく。
戦前に書かれたものであるにも関わらず、その内容は現代においても色褪せることなく、文章に関わる全ての人にとって多くの学びを与えてくれる。むしろ、情報が氾濫し、言葉の重みが軽んじられがちな現代だからこそ、本書が説く文章への真摯な姿勢は、一層の輝きを放っていると言えるかもしれない。この『文章読本』は、文章力を向上させたいと願うすべての人にとって、おすすめの一冊である。
本書を読むにあたって、特別な「文章読本 読み方」があるわけではないが、じっくりと著者の言葉に耳を傾け、自身の文章作成体験と照らし合わせながら読み進めることで、より深い理解が得られるだろう。では、具体的にどのようなことが書かれているのか、本書の構成に沿って詳しく見ていくことにしよう。
第一章:文章とは何か – 言語が持つ不自由さ
第一章「文章とは何か」では、まず言語そのものが持つ性質について、谷崎独自の視点から考察がなされる。私たちが普段、当たり前のように使っている言葉や文字は、果たして万能なのだろうか。谷崎は、冒頭で次のように警鐘を鳴らす。
既に私はこの読本の最初の段で、言語は決して万能なものでないこと、その働きは思いの外不自由であり、時には有害なものであることを断って置きましたが、現代の人はやゝともするとこの事を忘れがちであります。(P.29「一 文章とは何か:現代文と古典文」)
言葉は思考や感情を伝えるための重要な道具であるが、同時に限界も持っている。言葉にした瞬間にこぼれ落ちてしまうニュアンスや、誤解を生んでしまう危険性。
私たちは、この言語の不自由さを忘れがちである、と谷崎は指摘する。この指摘は、情報伝達のスピードと量が飛躍的に増大した現代において、より一層重みを増しているように感じられる。短文でのコミュニケーションが主流となり、言葉足らずによる誤解や衝突が後を絶たない。
言葉は万能ではなく、時に有害にすらなり得るという認識は、文章を書く上での基本的な心構えとして、常に意識しておくべき重要な点であろう。
「分らせる」ための秘訣
では、言語の不自由さを認識した上で、どのように文章を書けば良いのだろうか。谷崎は、文章の「コツ」、すなわち人に「分らせる」ための秘訣について、次のように述べている。
文章のコツ、即ち人に「分らせる」ように書く秘訣は、言葉や文字で表現出来ることと出来ないこととの限界を知り、その限界内に止まることが第一でありまして、古の名文家と云われる人は皆その心得を持っていました。(P.30「一 文章とは何か:現代文と古典文」)
優れた書き手は、言葉で表現できることの限界を明確に理解しており、その範囲内で最大限の効果を発揮しようと努める。無理に言葉で言い表せないことまで表現しようとすると、かえって分かりにくくなったり、陳腐になったりしてしまう。
この「限界を知り、その内に止まる」という姿勢は、文章を書く際の重要な指針となる。自分の考えや感情を正確に、かつ効果的に伝えるためには、まず言葉の能力と限界を冷静に見極める必要があるのだ。
「長く記憶させる」という役割
さらに谷崎は、文章の役割について、「分らせる」ことの次に来る、もう一つの重要な条件を提示する。
文章の第一の条件は「分らせる」ように書くことでありますが、第二の条件は「長く記憶させる」ように書くことでありまして、口でしゃべる言葉との違いは、主として後者にあるのでありますから、役目としては或はこの方が大切かも知れません。で、そこまで考えを進めて来ますと、文字の体裁、即ち字面と云うものが、一層重大な要素となって来るのであります。(P.34「一 文章とは何か:現代文と古典文」)
話し言葉がその場で消えていくのに対し、書き言葉は記録として残り、時間を超えて読み返される。だからこそ、読者の記憶に長く留まるような工夫が必要となる。
そして、そのために重要になるのが「字面」、つまり文字の見た目や体裁である、と谷崎は言う。文章の内容だけでなく、漢字と平仮名のバランス、句読点の打ち方、改行の位置など、視覚的な要素もまた、読者の記憶への定着に影響を与えるというのである。
これは、デザインやレイアウトが重視される現代のウェブライティングなどにも通じる考え方であり、非常に興味深い指摘である。文章の意味内容だけでなく、その「見え方」にも意識を向けること。これもまた、効果的な文章作成のための重要なヒントとなる。
外国語研究の重要性
第一章の後半では、現代文と古典文、そして西洋の文章と日本の文章の比較が行われる。特に、外国語との関わりについて、谷崎は次のように述べている。
われわれは、古典の研究と併せて欧米の言語文章を研究し、その長所を取り入れられるだけは取り入れた方がよいことは、申すまでもありません。(P.44「一 文章とは何か:西洋の文章と日本の文章」)
自国の古典文学を深く理解することと同時に、外国語の文章を学び、その優れた点を取り入れることの重要性を説いている。
ただし、谷崎は単なる模倣を推奨しているわけではない。言語にはそれぞれ固有の性質があり、無理に外国語の構造や表現を取り入れようとすると、かえって日本語の良さを損なう危険性があることも指摘している。
外国語を学ぶことは、日本語そのものの特徴や可能性をより深く理解するためにも有効である、という視点である。これは、グローバル化が進む現代において、異なる言語や文化とどのように向き合うべきか、という問いにも繋がる普遍的なテーマと言えるだろう。
第二章:文章の上達法 – 文法よりも感覚を
第二章「文章の上達法」では、具体的な文章力向上のための方法が論じられる。ここで谷崎が強調するのは、文法規則に過度に囚われるのではなく、「感覚を研くこと」の重要性である。もちろん、基本的な文法知識は必要であるが、それ以上に、言葉に対する鋭敏な感覚を養うことが、優れた文章を書くためには不可欠であると説く。
では、「感覚を研く」とは具体的にどういうことか。
それは、優れた文学作品に数多く触れ、言葉の響きやリズム、ニュアンスを感じ取る訓練をすることである。また、日常生活においても、物事を注意深く観察し、感じたことを的確な言葉で表現しようと努めることも重要となる。
谷崎は、この話の流れで、和文と漢文の持つ異なる特性について考察する。言文一致体の文章であっても、その根底には、やわらかな和文の響きと、硬質で論理的な漢文の響きという、二つの流れが存在するというのだ。
作家に見る和文と漢文の系譜
谷崎は、具体的な作家名を挙げながら、和文系と漢文系の文章の違いを説明している。
言文一致の文章といえども、仔細に吟味してみると、和文のやさしさを伝えているものと、漢文のカッチリした味を伝えているものとがある。その顕著な例を挙げますならば、泉鏡花、上田敏、鈴木三重吉、里見弴、久保田万太郎、宇野浩二等の諸家は前者に属し、夏目漱石、志賀直哉、菊池寛、直木三十五等の諸家は後者に属します。(P.80「二 文章の上達法:感覚を研くこと」)
泉鏡花(いずみ・きょうか、1873年~1939年)や上田敏(うえだ・びん、1874年~1916年)、鈴木三重吉(すずき・みえきち、1882年~1936年)、里見弴(さとみ・とん、1888年~1983年)、久保田万太郎(くぼた・まんたろう、1889年~1963年)、宇野浩二(うの・こうじ、1891年~1961年)らの文章には、古典和文のような優美さや情緒性が色濃く反映されている。
対して、夏目漱石(なつめ・そうせき、1867年~1916年)や志賀直哉(しが・なおや、1883年~1971年)、菊池寛(きくち・かん、1888年~1948年)、直木三十五(なおき・さんじゅうご、1891年~1934年)らの文章には、漢文由来の簡潔さや論理性が感じられる、という分析である。
さらに谷崎は、和文系の中でも、『源氏物語』に代表されるような雅な世界に近いか否かで、情緒派と理性派といった分類も可能であると述べる。このような作家の文体分析は、単に面白いだけでなく、私たちが文章を読む際に、その背景にある文体的特徴を意識するきっかけを与えてくれる。
そして、自らが文章を書く際にも、どのような文体を目指すのか、どのような言葉の響きを大切にするのかを考える上で、非常に参考になる視点である。このあたりは、谷崎潤一郎の文体の特徴を探る上でも興味深い部分である。
第三章:文章の要素 – 六つの柱
第三章「文章の要素」では、優れた文章を構成する具体的な要素として、「用語」「調子」「文体」「体裁」「品格」「含蓄」の六つが挙げられ、それぞれについて詳細な解説が加えられる。
これは、『文章読本』の中核をなす部分であり、文章作成の実践的なヒントが豊富に詰まっている。この章を読むことで、良い文章とは具体的にどのような要素から成り立っているのかが明確になるだろう。
用語:平易な言葉を選ぶ心
まず「用語」について、谷崎は難解な言葉や専門用語をひけらかすことを戒め、平易な言葉を選ぶことの重要性を強調する。その例として、中国・唐代の大詩人である白楽天(はくらくてん、772年~846年)の有名な逸話が紹介される。
昔、唐の大詩人の白楽天は、自分の作った詩を発表する前に、その草稿を無学なお爺さんやお婆さんに読んで聞かせ、彼らに分らない言葉あると、躊躇なく平易な言葉に置き換えたと云う逸話は、私共が少年の頃しばしば云い聞かされた有名な話でありますが、現代の人はこの白楽天の心がけをあまりにも忘れ過ぎております。(P.90「三 文章の要素:用語について」)
白楽天は、自身の詩が広く民衆に理解されることを願い、学のない老人にも分かる言葉を選んで推敲を重ねたという。
この逸話は、文章の最も基本的な目的が「分らせる」ことにある、という第一章での指摘と繋がっている。知識をひけらかしたり、難解な表現を用いることで自己満足に陥るのではなく、常に読者の理解を第一に考え、平易で的確な言葉を選ぶ。
この姿勢こそが、優れた書き手に共通する心構えである、と谷崎は説くのである。これは、専門的な内容を一般向けに解説する際などにも、特に意識すべき点であろう。
調子:緩急自在なリズムの重要性
次に「調子」について。これは文章のリズムやテンポに関わる要素である。
谷崎は、必ずしも流暢で滑らかな文章だけが良いわけではない、と指摘する。時には意図的に読者の歩みを遅らせるような、ゴツゴツとした表現を用いることも重要である、というのだ。
その根拠として、浄瑠璃作家・近松門左衛門(ちかまつ・もんざえもん、1653年~1725年)の言葉が引かれる。
されば近松門左衛門は浄瑠璃作家でありながら、七五調はあまりなだらかに過ぎるから避けた方がよいと云うことを、「難波土産」の中で述べております。(P.118「三 文章の要素:調子について」)
七五調のような整ったリズムは、確かに心地よく読みやすいが、あまりに滑らかすぎると、内容が読者の心に深く刻まれずに通り過ぎてしまう危険性がある。
そこで近松は、あえてリズムを崩したり、引っかかりを作ったりすることで、観客の注意を引きつけ、言葉の意味を深く印象付けようとした。
文章においても同様で、常に滑らかな調子を目指すのではなく、内容や目的に応じて、緩急や抑揚を意識的にコントロールすることが重要となる。単調さを避け、読者を飽きさせないためには、文章の「調子」にも細やかな配慮が必要なのである。
品格:内に秘めたる美しさ
そして「品格」について。これは文章に漂う風格や格調といった、やや捉えどころのない要素であるが、谷崎はこれを日本的な美意識と結びつけて論じている。
西洋的な自己主張の強さとは対照的に、日本的な美徳としての「控えめさ」に、真の品格が宿るというのである。
われわれの場合は、内輪な性格に真の勇気や、才能や、智慧や、胆力が宿るのである。つまりわれわれは、内に溢れるものがあればあるほど、却ってそれを引き締めるようにする。控え目と云うのは、内部が充実し、緊張しきった美しさなので、強い人ほどそう云う外貌を持つのである。(P.159「三 文章の要素:品格について」)
内に秘めた情熱や才能、知識が豊かであればあるほど、それをあからさまにひけらかすのではなく、むしろ抑制し、引き締める。その抑制された表現の中にこそ、奥ゆかしさや深みが生まれ、真の「品格」が漂うのだ、と谷崎は言う。
これは、自己アピールが重視されがちな現代社会においては、新鮮な視点かもしれない。しかし、文章においても、過剰な装飾や自己主張を避け、抑制の効いた表現を心がけることで、かえって読者に深い感銘を与え、書き手の知性や人間性を感じさせることができる。
この「品格」という要素は、谷崎潤一郎の文学に通底する美意識の表れであり、彼の有名な文章や代表作を読み解く上でも重要な鍵となるだろう。
その他、「文体」(文章全体の個性やスタイル)、「体裁」(見た目の整え方、第一章の「字面」とも関連)、「含蓄」(言葉の裏に込められた深い意味や余韻)についても、それぞれ詳細な解説が続く。
これらの要素を総合的に理解し、意識することで、文章はより豊かで、深みのあるものへと進化していくのである。
補足:三島由紀夫の『文章読本』
ところで、「文章読本」と聞くと、三島由紀夫(みしま・ゆきお、1925年~1970年)の同名の著作『文章読本』を思い浮かべる人もいるかもしれない。三島由紀夫の『文章読本』もまた、文章術に関する優れた指南書として知られている。
谷崎版が古典文学や日本の伝統的な美意識に重きを置いているのに対し、三島版はより現代的で、論理的な構成やレトリック(修辞技法)に焦点を当てている、といった違いが見られる。どちらが良いというものではなく、両者を読み比べることで、文章に対する複眼的な視点を得ることができるだろう。
特に「三島由紀夫の文章は美しい」と評されることが多く、その美しさの秘密を『文章読本』から探るのも興味深い。「三島由紀夫の文章は美しい」という評価の背景には、彼独自の言語感覚と、計算され尽くした文章構築術があると言える。
総論:谷崎潤一郎『文章読本』を読む意義
谷崎潤一郎の『文章読本』は、単なる文章作成の技術書という枠を超え、言語や文学、そして日本文化に対する深い洞察に満ちた、味わい深い随筆である。
本書を通して、私たちは文章を書く上での実践的なヒントを得られるだけでなく、谷崎潤一郎という作家の持つ独自の美意識や、言葉に対する真摯な姿勢に触れることができる。谷崎潤一郎の文体は、しばしば絢爛豪華、あるいは緻密で官能的と評されるが、その根底には、本書で語られるような言葉への深い理解と敬意が存在しているのである。
彼の代表作である『痴人の愛』や『細雪』といった小説を読む際にも、『文章読本』で示された視点は、作品のより深い理解へと導いてくれるだろう。
本書は、その格調高い文体から、一見するとやや難解に感じられる部分もあるかもしれない。しかし、内容は非常に具体的で、示唆に富んでいる。個人的な感想としては、想像していたよりもずっと読みやすく、随所に散りばめられた谷崎自身の経験談や文学論は、純粋な読み物としても面白い。
特に、言語の限界や、「分らせる」「記憶させる」といった文章の目的、そして「品格」に関する考察は、現代においても非常に重要な指摘だと感じた。読めない漢字や古い言い回しに戸惑うこともあるかもしれないが、それも含めて、文豪の息遣いを感じられる貴重な読書体験であった。
この谷崎版『文章読本』を手に取り、じっくりと味わってみることを強くおすすめしたい。
文章力を向上させたいと願うすべての人へ。谷崎潤一郎『文章読本』は、あなたの文章を、そして言葉そのものに対する見方を、きっと豊かにしてくれるはずである。本書は、時代を超えて読み継がれるべき、まさに「おすすめ」の一冊と言えるだろう。
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谷崎潤一郎記念館
兵庫県芦屋市伊勢町にある谷崎潤一郎の記念館。
公式サイト:谷崎潤一郎記念館