松岡せいじの略歴
松岡せいじ(まつおか・せいじ、1932年~)
脚本家。本名の漢字は、松岡清治。
朝鮮大邱(テグ)市の生まれ。戦後、佐賀県唐津市に引き揚げ。早稲田大学第一文学部史学科を卒業。NHK脚本研究会を経て、隆慶一郎(池田一朗)に師事。
隆慶一郎の略歴
隆慶一郎(りゅう・けいいちろう、1923年~1989年)
時代小説家。脚本家。
東京の生まれ。東京市赤坂尋常小学校を卒業。同志社中学校を卒業。第三高等学校文科丙類を繰り上げ卒業。東京大学文学部仏文科を卒業。脚本家として活躍後、1984年に小説家としてデビュー。本名は、池田一朗(いけだ・いちろう)。
『隆慶一郎 男の「器量」』の目次
まえがき
〔火の章〕仕事について
〔海の章〕人となりについて
〔花の章〕生きざまについて
あとがき
ビデオで観られる隆慶一郎(池田一朗)映画作品リスト
参考文献
『隆慶一郎 男の「器量」』の概要
1997年1月31日に第一刷が発行。コアラブックス。190ページ。ハードカバー。127mm✕188mm。四六判。
副題的に「その熱き生涯に学ぶ」と表紙の中央に縦書きされている。
『隆慶一郎 男の「器量」』の感想
フリーのライターで、書評家の豊崎由美(とよざき・ゆみ、1961年~)が出演している映像作品で、隆慶一郎の話が出ていた。その中で出て来たのが、この『隆慶一郎 男の「器量」』。
隆慶一郎の関連書籍は、娘の羽生真名(はにゅう・まな、1951年~)の『歌う舟人』や、歴史読本の『隆慶一郎を読む』など、色々と集めていたが、取りこぼしていたらしい。当然、興味があるので早速購入して読んでみた。
それにしても、豊崎由美は、少し隆慶一郎と交流があったのか。全く想像していなかったから驚きだ。
そのペンネームの由来も嬉しそうに語ってくれた。私も隆慶一郎に連れられて飲みにいった浅草の串揚げ屋《十兵衛》の女将さんが名付け親であった。東大に学んだ時の恩師、辰野隆博士の一字「隆」をとっているのが気に入ったという。(P.23「〔火の章〕仕事について」)
隆慶一郎というペンネームは、串揚げ屋の女将さんの命名だったのか。残念ながら、その浅草の串揚げ屋さん「十兵衛」は現在2024年では営業していないようだ。行ってみたかったな。
そして、ここで重要な人物が登場している。
フランス文学者で随筆家の辰野隆(たつの・ゆたか、1888年~1964年)である。名前は「ゆたか」である。「たかし」ではないのがポイントである。
父親は、建築家の辰野金吾(たつの・きんご、1854年~1919年)である。東京駅や日本銀行本店、大阪市中央公会堂などを手がけた人物である。
辰野隆は、東大で小林秀雄(こばやし・ひでお、1902年~1983年)や、三好達治(みよし・たつじ、1900年~1964年)、今日出海(こん・ひでみ、1903年~1984年)など多くの人物たちを指導している。
確か、隆慶一郎は小林秀雄とも交流があったはずである。というよりも、辰野金吾よありも、小林秀雄との仲が深かったような記憶があるんだけれど。どうだったんだろうか。
余談だが、隆慶一郎がシナリオを担当した『わんぱく王子の大蛇退治』は演出芹川有吾、演出助手に高畑勲がついている。(P.39「〔火の章〕仕事について」)
演出は、芹川有吾(せりかわ・ゆうご、1931年~2000年)で、演出助手は、高畑勲(たかはた・いさお、1935年~2018年)である。
隆慶一郎と高畑勲は仕事で繋がっていたのか。ほんの少しの接点だったのかもしれないが。高畑勲の方が一回り下ではあるけれど、ともに東大の文学部仏文科を卒業しているのも面白い。
ちなみに芹川有吾は早稲田の一文の出身のようだ。つまり、筆者・松岡せいじの先輩、あるいはもしかしたら同級生かも。これはこれで凄いな。
『わんぱく王子の大蛇退治』は観たことがないのでチェックしておこう。大蛇の読み方は「おろち」。
隆慶一郎も書き出したら速かった。ペラ(二百字の原稿用紙)で二百五、六十枚の映画のシナリオを十二時間で書き上げたこともある。(P.68「〔火の章〕仕事について」)
執筆速度の情報である。こういったものは非常に興味深い。
しかもワープロは使わずに手書きである。200字を、250~260枚。つまり、約50,000~52,000字。それを12時間で。ということは、1時間で、4,166字~4,333字。
ただ登場人物はイニシャル。加えてフランス語が交じるとか。それを弟子もしくは編集者が清書するスタイルか。
いずれにせよ、執筆速度は速い。
体力というか運動能力の基礎。加えて、物語の脚本化、アイデアの注入などもある。否、そもそも書き出している時点で、頭の中にはほぼ完成しているのかもしれないが。
自分の場合はそこまで執筆のスピードは速くないとは思うので、もっと高めたいところではあるが。ただ昔、編集者的な人から他者と比べて、速いみたいな話を聞いたことがある。お世辞だったのかもしれないが。まぁ、遅くはないのだろう。
隆慶一郎は昔から寂しがりやなところがあったらしい。旧制三高時代に寮から出た途端にノイローゼになったという。だが、そのノイローゼで悩んだ半年の間に当時の時代小説を乱読したというから、人間なにが幸いするか分からない。(P.114「〔海の章〕人となりについて」)
隆慶一郎とノイローゼは、全くイメージがつかなかった。根っからのパワフルな陽キャだと思っていたから。根っからの陽キャだと本を読んだり、書いたりはしないか。どうだろう。
旧制三高というのは、ザックリと現在の京都大学といった感じである。この辺りの歴史の流れを掘ると、なかなか複雑なので、あっさりと切り上げておく。
ただこの半年くらいのノイローゼによって、隆慶一郎は時代小説を乱読。これが後に時代小説家としての基礎というか、萌芽というか、コネクティング・ドット的に繋がるのは興味深い。
「心臓の鼓動は墓場への進軍ラッパだ」
と、学生たちに講義したのは、早稲田大学の史学科教授で、私の恩師の故京口元吉である。
本筋の隆慶一郎とは関係のない部分ではあるが、気に入ったので引用。松岡せいじの恩師・京口元吉(きょうぐち・もときち、1897年~1967年)の言葉。
ただ、ここでは隆慶一郎は、フットワークが軽く、行動力も抜群であったことが記されている。
やはり基本的な体力と思い切りの良さというのは重要な要素である。
眠るといっても仕事部屋の堀りコタツの横にゴロリと寝転んで「10分経ったら起こせよ」と言って眠るくらいであった。(P.130「〔花の章〕生きざまについて」)
やはり、体力お化けのショートスリーパーじゃん!
ただその変わりではないけれど、大して長生きもしていないんだよな。66歳で亡くなっているし。煙草も酒もやっていたようだし。
体力、睡眠、健康、寿命。
これは、本当に分からないな。ガチのショートスリーパーって、ほんのわずかしかいないらしいし。他の人達は、ただ無自覚に無理をしているだけの人だとか。
体力自慢の人が意外とポックリ逝ってしまうこともあるし。幼少期に体が弱くて二十歳まで生きられないかも、みたいな人が凄く長寿だったりもするし。
文学系で言えば、前者は林芙美子(はやし・ふみこ、1903年~1951年)とか、後者は荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい、1884年~1976年)とかか。
自分は最近、体力が無くなってきているような気も。もともとは体育会系なんだけれどな。最近は特に運動とかもしていないからな。ストレッチはしているけれど。さらにトレーニングをして体を鍛えていこう。
昔からロングスリーパーを自認しているので、睡眠時間は常にしっかりと取っているので安心しているけれど。
一年連続ドラマ『大忠臣蔵』を執筆した時の話である。参考文献として「舟橋聖一の忠臣蔵十二巻を、二日半で読破したときの凄みは忘れられない。<後略>(P.136「〔花の章〕生きざまについて」)
隆慶一郎の親友でプロデューサーの勝田康三(かつた・こうぞう、1928年~2005年)が『隆慶一郎全集』第六巻の月報に記載された『鉄人作家・隆慶一郎』の文章。
現在だと、文庫で8冊。まぁ、物凄い速読も可能だったようだ。風呂に入る間で、6冊の本を読み終えるとか。尋常ではないので、分からな過ぎる。
その読書の様を、勝田康三は「ガツガツと獲物をむさぼり喰うライオンの食事のようであった」とも書いている。
執筆も読書も速度が半端ないのか。流石だな。
というか、隆慶一郎全集の小冊子の文章を色々と読みたくなってしまう。
ちなみに舟橋聖一(ふなはし:せいいち、1904年~1976年)も国文科ではあるが東大の文学部を卒業している。
というわけで、隆慶一郎のファンであれば、是非とも手に取ってもらいたいオススメの本である。