
- 直感の限界を指摘し、データ駆動型の「絶対計算」が意思決定を革命的に変えると主張。
- 回帰分析やランダム化テストの事例を通じて、データ分析が恋愛やビジネスで人間のバイアスを克服することを示す。
- 医療史の悲劇からデータ無視の代償を警告し、専門家の直感がアルゴリズムに劣る点を強調。
- 統計リテラシーの習得を促し、データ活用が幸福最大化の戦略となる。
イアン・エアーズの略歴・経歴
イアン・エアーズ(Ian Ayres、1959年~)
アメリカの法学者、経済学者。
アメリカのミズーリ州カンザスシティの出身。イェール大学でロシア研究と経済学を学び首席で卒業。イェール大学ロースクールで法務博士号を取得。マサチューセッツ工科大学で経済学の博士号を取得。
『その数学が戦略を決める』の目次
序章 絶対計算者たちの台頭
第1章 あなたに代わって考えてくれるのは?
第2章 コイン投げで独自データを作ろう
第3章 確率に頼る政府
第4章 医師は「根拠に基づく医療」にどう対応すべきか
第5章 専門家 vs. 絶対計算
第6章 なぜいま絶対計算の波が起こっているのか?
第7章 それってこわくない?
第8章 直感と専門性の未来
補章 革命は続く
謝辞
訳者解説
文庫版への訳者付記
巻末付注
『その数学が戦略を決める』の概要・内容
2010年6月10日に第一刷が発行。文春文庫。453ページ。
2007年11月に刊行された単行本を文庫化したもの。
原題は『Super Crunchers: Why Thinking-By-Numbers is the New Way To Be Smart』で2007年8月28日に刊行。
訳者は、コンサルタント、評論家、翻訳家の山形浩生(やまがた・ひろお、1964年~)。
東京都の生まれ。麻布中学校・高等学校を卒業。東京大学工学部都市工学科を卒業、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程を経て、野村総合研究所の研究員に。
マサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程を修了。
『その数学が戦略を決める』の要約・感想
- 直感への決別と絶対計算という新たな知性
- 運命の相手すら導き出す回帰分析の魔術
- 無作為抽出テストが暴く人間の単純さと脆さ
- 医学の歴史に見るデータ無視の代償と悲劇
- 専門家の権威失墜とアルゴリズムの勝利
- 標準偏差とベイズ理論という武器を携えて
- 結論:幸福を最大化するための戦略
直感への決別と絶対計算という新たな知性
現代社会において、我々は日々無数の決断を下している。
朝食に何を食べるかという些細なことから、企業の命運を握る巨額の投資、あるいは国家の政策決定に至るまで、選択の連続が人生を形成していると言っても過言ではない。
これまで、重要な局面での判断を支えてきたのは、経験に裏打ちされた「直感」や、その道の権威による「専門的見解」であった。
しかし、いま世界では静かなる、しかし極めてドラスティックな革命が進行している。
それが本書『その数学が戦略を決める』で語られる「絶対計算」の台頭である。
著者のイアン・エアーズ(Ian Ayres、1959年~)は、イェール大学ロースクール教授であり、経済学者としても著名な人物だ。
彼が本書で提唱するのは、数字とデータへの冷徹なまでの信頼である。
かつてスティーヴン・レヴィット(Steven Levitt、1967年~)らが『ヤバい経済学』で示したのは、一見無関係に見える事象の間に隠された相関関係の面白さであった。
しかし、イアン・エアーズはそこから一歩進み、そのデータ分析を「いかにして実社会の戦略決定に使うか」という実践的な領域へと踏み込んでいる。
絶対計算とは何だろうか。それは現実世界の意思決定を左右する統計分析だ。絶対計算による予測は、通常は規模、速度、影響力を兼ねそなえている。(P.31「序章 絶対計算者たちの台頭」)
ここで定義される「絶対計算」という言葉は、耳慣れないかもしれない。
原著のタイトルにある「Super Crunchers」の訳語であり、膨大なデータを噛み砕き(Crunch)、意味のある解を導き出す行為、およびその実践者たちを指す。
これは単なる統計分析の言い換えではない。
規模と速度、そして何よりも「現実世界への影響力」を伴う点において、従来の学術的な統計学とは一線を画すものである。
我々は往々にして、自分の経験則や直感を過信する傾向にある。
「長年の勘」という言葉には、ある種のロマンティシズムさえ漂う。
だが、本書が突きつける現実は冷酷だ。
人間の直感は、驚くほど脆く、偏見に満ちており、そして多くの場合、単純な数式よりも劣るのである。
でも『ヤバい経済学』は、定量分析が実世界の意思決定にどれほど影響しているかについてはあまり説明していない。一方、本書はまさにそれだけを扱う――データ分析の影響がいかにすごいかを語る。(P.35「序章 絶対計算者たちの台頭」)
本書は、教養としての経済学を超え、生き残るための戦略書としての側面を持つ。
なぜデータ分析が「すごい」のか。
それは、データが我々の認知バイアスを乗り越え、より正しく、より利益になる選択肢を提示してくれるからに他ならない。
本稿では、イアン・エアーズが提示する数々の事例と思索を紐解きながら、これからの時代に必須となる「数学的思考」と「戦略的意志決定」の本質について論じていきたい。
文系理系を問わず、現代を生きる全ての知的生活者にとって、避けては通れないテーマがここにある。
運命の相手すら導き出す回帰分析の魔術
恋愛や結婚といった極めて個人的で感情的な領域において、数学が介入する余地はあるのだろうか。
多くの人は「運命」や「フィーリング」を信じたいと願うだろう。
しかし、アメリカの大手結婚紹介サイト「eHarmony」の成功事例は、ロマンスの市場においてさえ、アルゴリズムが人間的な直感を凌駕することを示唆している。
ここで登場するのが「回帰分析」という統計手法である。
eHarmonyの手法は絶対計算技術の原点――回帰分析を使っている。回帰分析は、生の歴史データを使い、関心ある一つの変数に他の要因となる因子がどのくらい影響しているかを計算する統計手法だ。(P.52「第1章 あなたに代わって考えてくれるのは?」)
回帰分析の歴史は古い。
その起源は、チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin、1809年~1882年)のいとこであるフランシス・ガルトン(Francis Galton、1822年~1911年)の研究にまで遡ることができる。
ガルトンは遺伝の研究を通じて、極端な特徴を持つ親から生まれた子供は、平均的な特徴に近づく傾向があること、「平均への回帰」を発見した。
この概念が発展し、現代では、ある結果「目的変数」に対して、どの要因「説明変数」がどの程度の影響を与えているかを数値化する強力なツールとなっている。
eHarmonyの事例が興味深いのは、膨大な性格診断や過去のデータを基に、相性の良さを数値化し、それをビジネスのコアに据えた点だ。
彼らは「直感」によるマッチングを排除したわけではないが、人間の主観がいかに当てにならないかを知り尽くしていたのである。
例えば、身長や年収、趣味といった表面的なスペックだけでなく、喧嘩をした時の対処法や価値観の細部至るまでを変数として組み込む。
そうして導き出された「推奨」は、ユーザー自身が自分の好みだと思い込んでいる相手よりも、長期的には良好な関係を築ける可能性が高いことが示されている。
この予測の信頼性水準を教える能力は、回帰分析の最も驚異的な側面の一つだ。統計的な回帰分析は、予測を出すだけではない。同時にその予測がどのくらい正確なのかを報告してくれる。(P.74「第1章 あなたに代わって考えてくれるのは?」)
ここが、単なる占いと統計学の決定的な違いである。
回帰分析は「AとBの相性は80点です」と告げるだけではない。
「その80点というスコアが、どれくらいの確率で正しいのか(あるいは間違っている可能性があるのか)」という、誤差の範囲や信頼区間までをも提示してくれるのだ。
ビジネスの現場において、未来を100%予知することは不可能である。
しかし、「この戦略が成功する確率は70%であり、誤差はプラスマイナス5%である」という情報があれば、投資のリスク管理は劇的に精度を増す。
イアン・エアーズは、この「不確実性を計量する能力」こそが、絶対計算の真骨頂であると説く。
現代のマーケティングや人事評価においても、この回帰分析的思考は不可欠だ。
例えば、ある商品の売上が伸びたとき、それが「広告のおかげ」なのか「季節要因」なのか、あるいは「競合の撤退」によるものなのか。
これらを感覚で語る会議は時間の無駄でしかない。
データを回帰分析にかければ、各要因の寄与度が係数として弾き出される。
数学は、我々に「根拠のある自信」と「健全な懐疑心」の両方を与えてくれる最強の武器なのである。
無作為抽出テストが暴く人間の単純さと脆さ
絶対計算のもう一つの柱が、ランダム化比較試験(無作為抽出テスト)である。
これは医学の世界では「二重盲検法」などとして馴染み深いが、イアン・エアーズはこれをビジネスの世界に持ち込むことの破壊力を強調する。
本書で紹介される南アフリカの金融会社、クレジット・インデムニティ社の事例は、人間の心理がいかに些細な要素で操作されうるかを如実に物語っている。
彼らはダイレクトメール(DM)の反応率を上げるために、金利や返済期間といった経済的な条件だけでなく、手紙のデザインや写真といった「非経済的」な要素についても厳密なテストを行った。
同社によれば、勧誘の手紙の右上ににっこりとほほえむ女性の写真を入れておくだけで、男性の応答率は跳ね上がるとか。(P.96「第2章 コイン投げで独自データを作ろう」)
この結果は、経済学的な合理性からは説明がつかない。
借り手にとって重要なのは金利の安さであるはずだ。
手紙に印刷された見知らぬ女性の笑顔が、返済負担を軽減してくれるわけではない。
しかし、データは残酷な真実を示す。
男性客は、有利な金利条件よりも、女性の笑顔に反応して借入を決めてしまう傾向があったのだ。
これは笑い話ではない。
人間がいかに「感情」や「本能」というバイアスに支配されやすい生き物であるかという証明である。
また、心理的な誘導のテクニックも、実験によってその効果が実証されている。
誘導尋問の力がかくも強いとは驚きだ。心地よい写真で注目を高めたり、営業とは関係ない文脈で融資が必要かもしれないと示唆するだけで、営業に応答する可能性は大幅に高まるのだ。(P.96「第2章 コイン投げで独自データを作ろう」)
マーケティングの世界では、こうしたA/Bテストは今や常識となっている。
ウェブサイトのボタンの色を赤にするか緑にするか、キャッチコピーの文言をどうするか。
これらをデザイナーの「センス」だけで決める時代は終わった。
数千、数万のユーザーをランダムに振り分け、どちらがクリックされたかを計測する。
その結果こそが「正解」なのである。
しかし、組織の上層部や意思決定者は、往々にしてこうした地道な実験を軽視しがちだ。
彼らは自分の経験に基づいた「大局的な判断」を好む。
何度も何度も目にするのが、意思決定者は自分の組織の力を過大評価しすぎるということだ。そうした直感は自分ではもっともらしく思えるし、やがて自分でもそれを信じ込むようになってしまう。無作為抽出テストは、それが正しいかどうかを調べる客観的な方法だ。(P.107「第2章 コイン投げで独自データを作ろう」)
自己過信は、ビジネスにおける最大の敵の一つである。
「うちの商品は品質が良いから売れるはずだ」「この広告は感動的だから反響があるはずだ」。
そうした思い込み(自己暗示)は、組織の硬直化を招く。
無作為抽出テストは、そのような主観的な幻想を、客観的な事実という冷水で洗い流す機能を持つ。
経営者やリーダーに必要なのは、自分の直感を信じ抜く力だけではない。
自分の直感が間違っている可能性を常に考慮し、それを検証するための実験システムを構築する謙虚さと知性なのである。
医学の歴史に見るデータ無視の代償と悲劇
ビジネスにおける失敗は金銭的な損失で済むかもしれないが、医療の現場においてデータ軽視は人の死に直結する。
イアン・エアーズは第4章で、エビデンスに基づく医療(EBM:Evidence-Based Medicine)の重要性を説くと同時に、その普及がいかに困難な道のりであったかを歴史的な悲劇を通じて描いている。
その象徴的な存在が、19世紀のハンガリー出身の産科医、イグナッツ・ゼンメルワイス(Ignaz Semmelweis、1818年~1865年)である。
当時、ウィーンの病院では産褥熱による産婦の死亡率が異常に高かった。
ゼンメルワイスは詳細なデータ分析を行い、医師が検死解剖を行った直後の手で分娩介助を行うことが原因であると突き止めた。
彼は塩素水による手洗いを徹底させることで、死亡率を劇的に低下させることに成功する。
数字は嘘をつかなかった。
しかし、当時の医学界の権威たちは、彼の発見を受け入れなかった。
むしろ、ゼンメルワイスは馬鹿にされた。
従来の通説への固執が、科学的な事実を拒絶したのである。
やがてゼンメルワイスはクビになった。そして神経衰弱となり、精神病院に入れられて、そこで四七年の生涯を閉じた。(P.150「第4章 医師は「根拠に基づく医療」にどう対応すべきか」)
このエピソードは、新しい知見が既存のパラダイムといかに衝突するかを示す、科学史上の最も痛ましい事例の一つである。
ゼンメルワイスの死後、ルイ・パスツール(Louis Pasteur、1822年~1895年)らによって細菌説が確立され、彼の正しさは証明されたが、あまりにも遅すぎた。
現代においても、この「ゼンメルワイス反射」――既存の知識や信念と矛盾する新しい事実を感情的に拒絶する傾向――はなくなっていない。
特に、高度な専門職であればあるほど、自分の経験則がデータによって否定されることへの抵抗感は強い。
本書では、医師とパイロットの対比を通じて、プロフェッショナリズムのあり方に疑問を投げかける。
航空業界では、事故データの分析に基づき、チェックリストの導入や計器への依存が徹底されている。
パイロットは、自分の感覚よりも計器の数値を信じるように訓練される。
一方、医療の世界では、未だに医師個人の「裁量」や「経験」が重視されすぎる傾向があるという指摘だ。
ブリットは一九九九年に航空免許の勉強を始めたが、パイロットたちが各種機器による操縦支援をずっと容易に受け入れることに驚いた。ブリットはこう言った。「飛行機の先生に、どうしてこんなちがいが生じるのか尋ねてみましたよ。すると先生はこう答えました。『簡単なことですよ、ジョセフ。パイロットと違って、医者は飛行機と一緒に心中しませんから』」(P.176「第4章 医師は「根拠に基づく医療」にどう対応すべきか」)
ジョセフ・ブリット医師が、航空免許の先生から受け取った言葉は、ブラックユーモアとして笑い飛ばすにはあまりに鋭利である。
「心中するか、しないか」が、新しい技術や知識への信頼度を変える。
パイロットは判断を誤れば自分も死ぬ。
だから、より確実なデータやシステムに命を預けることを躊躇しない。
対して、医師は判断を誤っても、直接的な被害を受けるのは患者である。
もちろん医師たちも患者を救いたいと願っているが、構造上のインセンティブとして、自分の直感を優先させるリスクに対する感度が異なってくるというわけだ。
これは我々の人生にも適用できる視点である。
自分の人生において、最終的に「心中」するのは自分自身だ。
ならば、不確かな他人の意見や、根拠のない自分の直感に頼るよりも、客観的なデータと論理に基づいて戦略を立てる方が、生存確率は高まるはずである。
真剣に生きるとは、自分自身を実験台にして、最も成功確率の高い方法を選択し続けることなのかもしれない。
専門家の権威失墜とアルゴリズムの勝利
絶対計算の波は、あらゆる「専門家」の領域を侵食している。
ワインの価格予測から、野球選手のスカウティング、そして法学の論文評価に至るまで、聖域は存在しない。
イアン・エアーズ自身が法学者であるため、法学界における分析事例は非常に興味深い。
彼らは、どの法学論文が将来多く引用されるか(=影響力を持つか)を予測するモデルを作成した。
鉄壁の法則として、人々は自分の専門領域以外でなら絶対計算利用に抵抗がない。(P.252「第6章 なぜいま絶対計算の波が起こっているのか?」)
人は、他人の仕事がコンピュータに置き換えられることには寛容だが、自分の仕事が数式によって「単純化」されることには激しく抵抗する。
それは自己のアイデンティティや、積み上げてきた努力が否定されたように感じるからだろう。
「私の仕事はアート(芸術)であって、サイエンス(科学)ではない」という反論は、あらゆる業界で聞かれる常套句だ。
しかし、論文の引用数を予測する変数は、驚くほど単純で、かつ残酷なほど正確だった。
題名が短くて脚注が少ない論文のほうが引用回数はずっと多く、方程式や補遺のある論文は引用回数がずっと減った。(P.256「第6章 なぜいま絶対計算の波が起こっているのか?」)
内容の深遠さや法的な論理構成よりも、「タイトルの短さ」という表面的な特徴が、将来の影響力と相関していたのである。
短いタイトルの方が覚えやすく、引用しやすい。
あるいは読み手の負担が少ない。
理由は後付けで推測できるが、重要なのは「専門家が内容で判断する」と信じているものが、実は極めて単純な変数によって説明できてしまうという事実だ。
感情的には受け入れがたいこの現実を直視できるかどうかが、絶対計算時代を生き抜く分かれ目となる。
専門家の直感は、限定された条件下では素晴らしい力を発揮するが、複雑系や大量のデータを扱う場面では、シンプルなアルゴリズムに及ばないことが多い。
このことを知っているだけで、我々は「専門家の意見」というものを、盲信するのではなく、一つのデータソースとして冷静に評価できるようになるはずだ。
標準偏差とベイズ理論という武器を携えて
では、我々はこの絶対計算の時代にどう向き合えばよいのか。
本書は単なる事例集ではなく、読者に対して「統計リテラシー」という武器を持つよう促している。
特に強調されるのが「標準偏差(Standard Deviation)」と「正規分布」の理解である。
それどころか、正規分布の平均と標準偏差さえわかれば、その分布について知るべきことはすべてわかってしまう。統計屋はこの二つの数字を「総括統計」と呼ぶ。(P.339「第8章 直感と専門性の未来:二標準偏差ルール」)
平均値だけで物事を見るのは危険だ。
「日本人の平均年収」や「平均寿命」といった数字は、実態の一部しか表していない。
データのばらつき具合を示す標準偏差を知ることで、初めてその集団の全体像が見えてくる。
本書で紹介される「2SD(2標準偏差)ルール」を知っていれば、平均からどれだけ離れているかを見ることで、その事象がどの程度「異常」なのか、あるいは「想定内」なのかを即座に判断できる。
平均プラスマイナス2標準偏差の範囲内に、データの約95%が含まれるという正規分布の性質は、リスク管理の基礎中の基礎である。
これを理解していないと、たまたま起きた稀な事象に過剰反応したり、逆に致命的なリスクを見落としたりすることになる。
また、ベイズ理論(Bayesian probability)も重要なツールとして挙げられている。
新しい情報が入るたびに、確率を更新していくこの思考法は、変化の激しい現代社会において極めて実践的だ。
初期の確信(事前確率)に固執せず、データ(尤度、ゆうど)を取り入れて柔軟に考えを修正する(事後確率)姿勢こそが、賢明な意思決定者の条件である。
2SDルールとベイズ理論について知っていると、自分自身の意思決定の質を高められる。だが本物の絶対計算者や、そこそこまともな絶対計算者になるためにさえ、習得すべきツールは他にもいろいろある。異分散性とか除外変数バイアスといった用語も平気で使えなければならない。(P.357「第8章 直感と専門性の未来:統計教育の必要性」)
イアン・エアーズは要求レベルが高い。
「異分散性」や「除外変数バイアス」といった専門用語まで使いこなせと言う。
しかし、これは決して無理難題ではない。
読み書きそろばんがかつての基礎教養だったように、統計的概念の理解は、21世紀における「読み書き」そのものになりつつあるからだ。
これらのツールを持たずに社会に出ることは、地図もコンパスも持たずにジャングルに足を踏み入れるようなものである。
思考の精度を高め、騙されないための防具として、数学的知識は機能する。
「考える力」とは、漠然と悩むことではない。
適切なフレームワークとツールを用いて、解を導き出すプロセスのことだ。
数学はそのための最も強力な言語なのである。
結論:幸福を最大化するための戦略
『その数学が戦略を決める』を読み終えて痛感するのは、我々がいかに「損」をしてきたかという事実だ。
直感に頼り、バイアスに囚われ、非合理な選択を繰り返してきた結果、得られたはずの利益や幸福を逃してきたかもしれない。
しかし、嘆く必要はない。
今からでも遅くはないのだ。
絶対計算のアプローチを取り入れることで、我々はより賢い消費者、より有能なビジネスパーソン、そしてより幸福な個人になることができる。
自分の人生を経営するCEOとして、感情に流されるのではなく、データを味方につけること。
目先の利益を確保しつつ、将来の利益も最大化するために、確率論的な思考をインストールすること。
それが、本書が提示する究極の戦略である。
著者のイアン・エアーズは、冷徹な数字の世界を描きながらも、その根底には人間への深い関心を抱いているように思える。
なぜなら、統計学とは結局のところ、人間の行動を集積し、その本質を理解しようとする営みだからだ。
数字を知ることは、人間を知ることと同義である。
もしあなたが、今の自分の現状を打破したい、あるいは不確実な未来に対して確かな指針が欲しいと願うなら、本書は最良のガイドブックとなるだろう。
直感という名の「古い神」を捨て、データという名の「新しい知性」と共に歩き出す時が来たのである。
まずは、自分の周りのデータを集めることから始めてみてはいかがだろうか。
その小さな数字の中に、あなたの人生を変える巨大な戦略が眠っているかもしれないのだから。
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書籍紹介
関連書籍
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イェール大学
イェール大学(Yale University、YU)は、アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘイブンに本部を置く私立大学。1701年に創設。
公式サイト:イェール大学
マサチューセッツ工科大学
マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology、MIT)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジに本部を置く私立の工科大学。1861年に設立、1865年に設置。
公式サイト:マサチューセッツ工科大学






