
- 確率・統計を通じて日常の「運」や偶然を論理的に解明し、処世術として活用する方法を紹介。
- ポアソン・クランピングや大数の法則などの概念を挙げ、ランダム性の集中や長期的な安定性を理解し、直観の誤りを避ける重要性を強調。
- 効用関数やP値を用いた意思決定、短期・長期のリスク管理、統計情報の批判的評価を提唱し、後悔のない判断を促す。
- 偶然を無知の産物と位置づけ、モンティ・ホール問題などで直観の限界を示し、数学を人生の武器として不確実性を克服する生き方を提案。
ジェフリー・S・ローゼンタールの略歴・経歴
ジェフリー・S・ローゼンタール(Jeffrey Seth Rosenthal、1967年~)
カナダの統計学者。
カナダのオンタリオ州スカーボロの出身。トロント大学で数学、物理学、コンピュータ・サイエンスの理学士号を取得。ハーバード大学で数学の博士号を取得。
『運は数学にまかせなさい』の目次
『運は数学にまかせなさい』を読者に薦める ― 監修者まえがき
第1章 ランダムな世をロジカルに生きよう ― 確率・統計に学ぶ処世術
第2章 「偶然の一致」を深読みするなかれ ― 「ポアソン・クランピング」
第3章 「大数の法則」が勝負を決める ― カジノがかならず勝つ理由
第4章 勝率を上げるプロの知恵 ― ブリッジ、ポーカー、ブラックジャック
第5章 「犯罪は増えている」というウソ ― 「回帰分析」でわかること
第6章 後悔しない意思決定方法 ― 「効用関数」でリスクを見きわめる
第7章 そのコマーシャルにご用心 ― まぐれを見分ける「有意確率」
第8章 そんなことは起きるはずがない ― とても低い確率
第9章 ここらでちょっとひと休み ― 確率探偵エース・スペードの事件簿
第10章 世論調査は選挙結果を予測できるのか ― 「誤差の範囲」を考える
第11章 最後はベルカーブに収束する ― 「中央極限定理」
第12章 ランダム性が救いの手 ― 不確実性を味方につける
第13章 進化、遺伝子、ウイルス ― 生物界に見られるランダム性
第14章 直観を覆す「モンティ・ホール」問題 ― 「ベイズ統計」と「条件付き確率」
第15章 迷惑メールをブロックする ― 情報化社会を支えるベイズ統計
第16章 無知、カオス、量子力学 ― ランダム性を生み出すもの
第17章 最終試験
謝辞
訳者あとがき
監修者補足
『運は数学にまかせなさい』の概要・内容
2010年7月15日に第一刷が発行。ハヤカワ文庫。426ページ。
副題は「確率・統計に学ぶ処世術」。
2007年に刊行された単行本を文庫化したもの。
原題は『Struck By Lightning: The Curious World of Probabilities』で2005年に刊行。
監修は、工学者で数学者の中村義作(なかむら・ぎさく、1928年~2020年)。
東京都の生まれ。日本大学工学部電気工学科を卒業。電気通信省に技官として入省。信州大学、静岡県立大学、東海大学で勤務。1970年に東北大学から工学博士を取得。
翻訳は、翻訳家の柴田裕之(しばた・やすし、1959年~)。
東京都の生まれ。早稲田大学、アメリカのアーラム・カレッジ(Earlham College)を卒業。翻訳書に『サピエンス全史』など。
『運は数学にまかせなさい』の要約・感想
- 偶然の集中に惑わされていないか?
- カジノが絶対に負けない数学的根拠
- 長期と短期の時間軸で確率を見る
- 「万が一」に備えすぎない思考法
- 満足度を数値化する「効用関数」
- その健康食品、まぐれでは?
- 世論調査の数字を鵜呑みにしない
- すべては「平均」に近づいていく
- 常に「誤差」を意識して生きる
- 偶然とは「無知」の裏返しである
- 直観が敗北するモンティ・ホール問題
- 数学を「処世術」として使いこなす
『運は数学にまかせなさい』という、一見すると挑発的とも取れる題名の書物がある。
我々の日常は「運」という言葉で片付けられてしまう不確実な出来事で満ち溢れている。
朝の天気予報、通勤電車の遅延、ふとした出会い、投資の成否、あるいは人生を左右するような重大な決断まで。
多くの人は、これらの事象を自らの直観や経験、あるいは単なる「運」の良し悪しで判断しようと試みる。
しかし、その「運」や「偶然」の正体について、我々はどれほど深く理解しているだろうか。
もし、その不確実性の中に見え隠れする法則性を、数学というレンズを通して解き明かすことができるとしたら。
もし、直観や感情に振り回されることなく、より合理的に物事を判断するための「武器」を手に入れられるとしたら。
我々の生き方、物事の見方は根本から変わるかもしれない。
本書『運は数学にまかせなさい』は、まさにそのための「処世術」を、確率・統計という数学の分野から解き明かそうとする一冊である。
2005年に原題『Struck By Lightning: The Curious World of Probabilities』として刊行され、日本では2007年に単行本が、そして2010年7月15日にハヤカワ文庫として第一刷が発行された。
400ページを超えるボリュームでありながら、多くの読者に支持され読み継がれているのは、本書が単なる数学の解説書に留まらない、深い洞察と実用的な知恵に満ちているからに他ならない。
著者は、ジェフリー・S・ローゼンタール(Jeffrey Seth Rosenthal、1967年~)、カナダの著名な統計学者である。トロント大学で数学、物理学、コンピュータ・サイエンスを学び、ハーバード大学で数学の博士号を取得した経歴を持つ。
まさに確率・統計のプロフェッショナルである。
その専門的な内容を、日本の読者にとって分かりやすく、かつ正確に伝えるために、二人の専門家が携わっている。
監修は、工学者であり数学者でもあった中村義作(なかむら・ぎさく、1928年~2020年)。
多くの大学で教鞭をとり、工学博士としての知見も持つ人物が、本書の学術的な正確性を担保している。
そして翻訳は、『サピエンス全史』など数多くの名著の翻訳で知られる柴田裕之(しばた・やすし、1959年~)である。
専門的な内容を、高校生でも理解できるような平易な語彙を用いながら、決して軽くなりすぎない、知的な大人の文章へと昇華させている。
この卓越した翻訳技術が、本書の魅力を最大限に引き出していると言っても過言ではないだろう。
この記事では、本書が提示する「確率・統計に学ぶ処世術」の核心に迫りながら、我々がいかに「運」という名のランダム性に満ちた世界を、ロジカルに生き抜いていくべきかを探求していく。
頭を使う内容であるため、決してサクサクと読み進められる類の本ではないかもしれない。
しかし、読み終えた後には、世界が以前とは違って見えるようになる、そんな知的な興奮と実用的な「武器」を手にすることができるはずである。
偶然の集中に惑わされていないか?
我々は日常的に「偶然の一致」に遭遇する。
たとえば、特定の友人のことを考えていたら、その友人から電話がかかってきた。
あるいは、なぜか自分の乗るレジの列だけがいつも進みが遅い。
高速道路で特定の区間だけいつも渋滞しているように感じる。
このような経験が続くと、我々はそこに何らかの「意味」や「パターン」を見出そうとしてしまう。
「以心伝心だ」とか、「自分は運が悪い」とか、「あの区間には何かある」といった具合に。
しかし、著者のローゼンタールは、こうした人間の直観に警鐘を鳴らす。
私たちはランダム性にだまされて、本来は偶発的な出来事の中にパターンや関係性を見出してしまう。確率論者はこの現象を「ポアソン・クランピング」と呼ぶ。厳密な確率(「ポアソン分布」)は、一八三七年にフランスの数学者シメオン=ドニ・ポアソンが初めて計算した。(P.43「第2章 「偶然の一致」を深読みするなかれ ― 「ポアソン・クランピング」」)
「ポアソン・クランピング」とは、ランダムに発生する事象が、たまたま特定の時間や場所に集中して発生する現象を指す。
重要なのは、それが「たまたま」であるという点だ。
人間の脳は、本能的に無秩序なものの中に秩序やパターンを見出そうとする性質を持っている。
これは、予測不可能な自然界で生き残るために獲得した進化の産物とも言えるだろう。
しかし、その本能が、現代社会においては我々を「だます」ことがあるのだ。
渋滞が特定の場所に集中するのも、レジの進みが遅く感じるのも、単に交通量や客数のランダムな変動が、たまたま集まった(クランプした)結果に過ぎないかもしれない。
この現象を計算したのが、フランスの数学者、地理学者、物理学者であるシメオン・ドニ・ポアソン(Siméon Denis Poisson、1781年~1840年)である。
彼が導き出した「ポアソン分布」は、稀な出来事が一定期間に何回起こるかの確率を記述するもの。
現代でも交通量、電話の着信数、あるいは原子核の崩壊といった、さまざまなランダムな現象の分析に用いられている。
ランダム性に惑わされないための第一歩は、物事が「たまたま」集中することもある、という事実を認識することである。
そこに不必要な因果関係やジンクス、あるいは陰謀論のようなものを見出す前に、「それはポアソン・クランピングではないか?」と一歩引いて考える冷静さが、現代を生きる我々には必要な「処世術」なのである。
カジノが絶対に負けない数学的根拠
「ポアソン・クランピング」がランダム性の「ムラ」に着目したものだとすれば、次なる処世術は、ランダム性の「長期的な安定性」を理解することである。
ギャンブルの象徴であるカジノ。
そこでは毎夜、天文学的な金額が動く。一攫千金を夢見る挑戦者がいる一方で、カジノ側は常に莫大な利益を上げ続けている。彼らはイカサマをしているのだろうか?
答えは否である。彼らはイカサマなどせずとも、「数学的に」必ず勝つ仕組みを構築している。
その根幹にあるのが「大数の法則」である。
ランダムな出来事も度重なると、結果の割合は平均値(「期待値」ともいう)にどんどん近づく。たとえば、コインを放り上げ続けると、ほぼ半数は表が出る結果になるし、サイコロを振り続ければ、どの目もおよそ六度に一度の割合で出る結果になる。これはたんなる推測ではなく、「大数の法則」と呼ばれる法則なのだ。(P.50「第3章 「大数の法則」が勝負を決める ― カジノがかならず勝つ理由」)
コイン投げを考えてみよう。
10回投げただけでは、表が7回、裏が3回といった偏った結果が出ることは珍しくない。
しかし、これを1万回、100万回と繰り返していけば、表と裏の出る割合は限りなく50%(2分の1)に近づいていく。
カジノのルーレット(アメリカ式)には「0」と「00」を含む38個の数字があり、客が赤か黒に賭けた場合、カジノ側の勝つ確率は38分の20、客の勝つ確率は38分の18である。
一回一回の勝負では客が勝つことも大いにある。
しかし、この勝負が何千回、何万回と繰り返されると、「大数の法則」が働き、カジノ側は必ず(38分の20)という期待値通りの利益を手にすることになる。
この法則は、我々の人生やビジネスにも重要な示唆を与えてくれる。
それは、「一定の試行回数(分母)は何事にも必要である」ということだ。
新しいスキルを学ぼうとした時、数回試してうまくいかないからといって「才能がない」と諦めてはいないだろうか。
ビジネスで新しい企画を試みた時、最初の数回が失敗したからといって、その戦略自体が間違っていると結論付けてはいないだろうか。
「大数の法則」は、短期的な数回の失敗は、むしろ起こるべくして起こる「誤差」の範囲内であることを教えてくれる。
重要なのは、長期的に見て期待値がプラスである戦略(カジノ側がやっているように、勝率がわずかにでも50%を超える戦略)を選択し、その戦略を十分な回数試行し続けることである。
短期的な結果に一喜一憂せず、長期的な平均値に収束するまで試行を重ねる。
これこそが、ランダムな世界で「勝つ」ための基本的な姿勢なのだ。
長期と短期の時間軸で確率を見る
しかし、「大数の法則」を拠り所にする際には、重要な注意点がある。
それは「長期的には」という前提条件だ。
経済学者のジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes、1883年~1946年)が「長期的には我々は皆死んでいる」と喝破したように、我々は「今」を生きている。
長期的な期待値がどれほど素晴らしくても、そこに到達する前に短期的な変動で破滅してしまっては元も子もない。
「長期的に見れば」景気は良くなるというだけでは、やはり不十分で、短期的に見た場合に何が起きるかも重要だ。けれど、このような限界があるとはいえ、長期的な確率計算には途方もない利点や威力がある。(P.79「第3章 「大数の法則」が勝負を決める ― カジノがかならず勝つ理由」)
例えば、期待収益率が非常に高い投資戦略があったとしよう。
しかし、その戦略が短期的には50%の資金を失うリスク(ボラティリティ)を内包していたとしたらどうだろうか。
多くの人は、その短期的な損失に耐えられず、長期的な利益が実現する前に市場から退場してしまうだろう。
カジノが「大数の法則」の恩恵を享受できるのは、彼らが一個人の客とは比べ物にならないほど潤沢な資金(短期的な変動に耐えうる体力)を持っているからである。
ここに、我々が学ぶべき第二の処世術がある。
それは、常に「複数の時間軸」を念頭に置くことである。
基本戦略は、長期的な期待値がプラスになる行動を選択すること。
これは「大数の法則」の教えである。
しかし同時に、短期的な変動(リスク)によって致命傷を負わないよう、備え(資金管理や分散)ておく必要がある。
短期的に生き残れなければ、長期的な勝利は決して訪れない。
長期的な確率計算の威力を信じつつも、短期的な現実にも目を配る。
このバランス感覚こそが、不確実な世界を生き抜く上で不可欠な視点となる。
「万が一」に備えすぎない思考法
長期的な視点とは対極にあるのが、「万が一」の出来事に対する我々の反応である。
「もし宝くじで10億円当たったら…」と夢想したり、逆に「もし飛行機が墜落したら…」と過度に恐れたりする。
我々は、発生する確率が極めて低いにもかかわらず、その結果が非常に大きい(プラスであれマイナスであれ)出来事に対して、心を奪われがちである。
ローゼンタールは、こうした人間の傾向に、確率論の観点から明確な指針を与える。
ランダム性にかかわる決定を下すときの第一ルールは、「起きる確率のきわめて低い出来事は、おおむね無視したほうがいい」だ。これはなんとも単純なルールだけれど、たいていの人は守らない。(P.134「第6章 後悔しない意思決定方法 ― 「効用関数」でリスクを見きわめる」)
このルールを我々が守れないのはなぜか。
その一例が「宝くじ」である。
例えば、日本で発売される年末ジャンボ宝くじ。
その1等に当選する確率は、年度によっても異なるが、概ね2,000万分の1程度と言われている。
これは、交通事故で死亡する確率よりも遥かに低い。
しかし、テレビCMは「夢」を大々的に宣伝し、多くの人が「万が一」の幸運を期待して列をなす。
これほど大々的に広告宣伝が打てるということは、裏を返せば、それだけ運営側(胴元)が莫大に儲かる仕組みであることの証左でもある。
宝くじの期待値(支払った金額に対して戻ってくる見込み額)は、購入した瞬間に50%以下になるように設計されているのだ。
株で「一発大勝ち」する、といった話も同様である。
もちろん、そうした幸運が訪れる可能性はゼロではない。
しかし、その「きわめて低い確率」に自らのリソース(お金や時間、精神)を過度に振り分けることは、数学的に見て合理的とは言えない。
我々が注目すべきは、幸運の「大きさ」ではなく、その幸運が訪れる「確率」である。
可能性の低い大きな幸運を期待するのではなく、可能性の高い小さな幸運(あるいは、期待値がプラスの行動)を積み重ねていくこと。
それが、ランダム性に振り回されないための重要な心構えである。
満足度を数値化する「効用関数」
確率が極めて低い出来事は無視する。
では、確率がそれなりにあり、判断に迷うような場合はどうすればよいだろうか。
例えば、「Aの会社に転職すれば、50%の確率で年収が200万円上がるが、50%の確率で年収が100万円下がる」という選択肢があったとする。
この場合、期待値は(+200万円 * 0.5)+(-100万円 * 0.5)= +50万円となり、数学的には「転職すべき」という結論になる。
しかし、多くの人はこの選択を躊躇するだろう。
なぜなら、我々は「年収が100万円下がる苦痛」を、「年収が200万円上がる喜び」よりも強く感じる傾向があるからだ。
これは、行動経済学における「プロスペクト理論」とも関連する。
ここで登場するのが「効用関数」という概念である。
この研究は、1940年代にハンガリー出身の数学者ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann、1903年~1957年)らによって深められた。
効用関数を使えば、単純明快なルールに基づいて厄介な決断ができる。(P.149「第6章 後悔しない意思決定方法 ― 「効用関数」でリスクを見きわめる」)
「効用」とは、個人の「満足度」のことである。
効用関数は、金額や結果そのものではなく、その結果から得られる「満足度」を数値化して比較する手法である。
先ほどの例で言えば、
1. 転職が成功する確率(50%)× 成功した場合の満足度(効用)
2. 転職が失敗する確率(50%)× 失敗した場合の不満足度(効用)
これらを計算し、比較するのである。
もし、「100万円失う不満足度」が「200万円得る満足度」よりも大きいと感じる人(リスク回避的な人)であれば、期待値がプラスであっても転職しない、という合理的な判断が導き出される。
もちろん、この「効用(満足度)」は個人の主観であり、正確な確率を見積もることも難しい場合が多い。
しかし、重要なのは、単なる金額や結果の期待値だけでなく、そこから得られる自分自身の「満足度」まで考慮に入れて、冷静に比較検討するという「思考のフレームワーク」を持つことである。
この冷静な判断能力こそが、後悔しない意思決定の鍵となる。
その健康食品、まぐれでは?
我々の周りには、「専門家の研究によれば~」や「このサプリメントで90%の人が効果を実感!」といった謳い文句が溢れている。
これらは、我々の意思決定に大きな影響を与える情報源であるが、その信頼性はどのように判断すればよいだろうか。
ここで「P値(有意確率)」という統計学の概念が重要になる。
調査からほんとうに言えることとただのまぐれとを区別するには、「P値(有意確率)」と呼ばれるものについて考えなければならない。(P.165「第7章 そのコマーシャルにご用心 ― まぐれを見分ける「有意確率」」)
P値とは、ものすごく簡単に言えば、「その結果が“まぐれ”で起こる確率」のことである。
例えば、新しい薬を開発し、それが本当に効果があるのかを調べる臨床試験を想像してほしい。
薬を投与したグループと、偽薬(プラセボ)を投与したグループを比較し、薬を投与したグループの方が明らかに症状が改善したとする。
この時、統計学者が問うのは、「もし、この薬に全く効果がなかったとしても、これだけの差が“まぐれ”(偶然)で生じる確率はどれくらいか?」である。
この確率こそがP値である。
医学や心理学の試験などでは、昔からこの基準を五%としている。だから、どんな調査でもP値が五%に満たなければ、つまり、まぐれで起きる確率が二〇回に一回の割合よりも小さければ、「統計的に有意」と考えられる。(P.166「第7章 そのコマーシャルにご用心 ― まぐれを見分ける「有意確率」」)
P値が5%未満(0.05未満)であれば、「20回に1回未満の確率でしか偶然起こらないような珍しい結果が出た。
これは、まぐれではなく、本当に薬の効果があったと考えるのが妥当だろう」と判断する。
これが「統計的に有意」という意味である。
逆に言えば、P値が5%以上(例えば10%)であれば、「その程度の差なら、10回に1回はまぐれでも起こりうる。薬の効果とは断定できない」ということになる。
我々が注目すべきは、この「5%」という基準である。
20回に1回は、「効果がないのに、まぐれで有意な差が出てしまう」可能性があることを、この基準は認めている。
さらに言えば、世の中に出回る「統計的に有意」という触れ込みの調査のうち、いくつかは、この「まぐれ」である可能性が常につきまとう。
「研究によれば~」という情報に接した時、我々は「そのP値はいくつか?」「試行回数(サンプル数)は十分か?」と批判的に吟味する視点を持つ必要がある。
その情報が、ただの「まぐれ」を見栄え良くパッケージしたものではないかを。
世論調査の数字を鵜呑みにしない
P値と同様に、我々が日常的に触れる統計情報として「世論調査」がある。
選挙の情勢や、政策への支持率など、世論調査の結果は社会の空気を形成する上で大きな影響力を持つ。
しかし、ローゼンタールは、世論調査の解釈にも注意が必要だと説く。
世論調査はおおいに重要だし、影響力も大きいけれど、正しく解釈してやらなければいけない。偏った調査や紛らわしい調査は、百害あって一利なしだ。質の高い世論調査でさえ、未来を予測することはできないし、不正直な回答を帳消しにすることもできない。(P.270「第10章 世論調査は選挙結果を予測できるのか ― 「誤差の範囲」を考える」)
世論調査の結果を見る際、我々はまず「誤差の範囲」(マージン・オブ・エラー)に注目しがちである。
しかし、問題はそれだけではない。
まず、「誰が」調査したのか。
その調査機関が特定の政治的・商業的な利害関係を持っていないか。
資金源はどこか。
次に、「誰に」調査したのか。
サンプリングは適切か。
例えば、固定電話にしかかけていない調査であれば、回答者は高齢層に偏り、若年層の意見が反映されにくくなる。
さらに、「どのように」質問したのか。
質問の仕方によって、回答は大きく誘導されうる。
「A案に賛成ですか」と聞くのと、「A案にはBという問題点がありますが、賛成ですか」と聞くのでは、結果は変わってくる。
そして、選挙予測であれば、「いつ」調査したのか。
投票日の1週間前と前日とでは、情勢は全く異なるかもしれない。
また、開票速報で特定の候補がリードしていても、まだ開票されていない地域(都市部か地方か)によって、残りの票田の傾向は全く異なる。
世論調査は、その瞬間の社会の一断面を切り取ったものに過ぎない。
我々は、提示された数字そのものを鵜呑みにするのではなく、その数字がどのような背景(調査主体、対象者、質問方法、時期)のもとで生み出されたのかを多角的に考慮する「統計リテラシー」を養わなければならない。
それは、情報に踊らされず、自らの頭で判断するための不可欠なスキルである。
すべては「平均」に近づいていく
確率・統計の世界には、驚くべき法則が存在する。
それが「中央極限定理」である。
我々の周りには、身長、体重、テストの点数、あるいは製品の寿命など、平均値の周辺にデータが最も多く集まり、平均から離れるほど少なくなる。
左右対称の釣り鐘型、いわゆるベルカーブの分布、つまり「正規分布」を示すものが数多く存在する。
なぜ、これほど多くの事象が、この特定の形に従うのだろうか。
その答えが、中央極限定理にある。
このようなベルカーブへの収束を、「中央極限定理」という。これはのちに、フランスの数学者ピエール=シモン・ラプラスと、偉大なドイツの数学者ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウスがもっと詳しく研究している。(P.277「第11章 最後はベルカーブに収束する ― 「中央極限定理」」)
この定理の驚くべき点は、「元の分布がどのような形であっても」、そこからランダムに取り出したサンプルの「平均値」の分布は、サンプル数を増やしていくと、必ず正規分布に近づいていく、という点にある。
例えば、サイコロの目(1から6までが均等に出る「一様分布」)であっても、サイコロを何回も振ってその「平均値」を取る、という作業を繰り返すと、その平均値の分布はベルカーブを描くようになるのだ。
この定理は、フランスの数学者アブラーム・ド・モアヴル(Abraham de Moivre、1667年~1754年)が、1733年に(コイン投げという特定のケースで)発見。
その後、ピエール=シモン・ラプラス(Pierre-Simon Laplace、1749年~1827年)や、ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス(Johann Carl Friedrich Gauss、1777年~1855年)といった天才たちによって、より一般的に研究されてきた。
身長が正規分布に従うのは、身長が「遺伝」「栄養」「睡眠」など、それぞれが異なる分布を持つ無数の要因の「総和(あるいは平均)」として決まるからだと解釈できる。
この世の多くの事象が、多数の独立したランダムな要因の影響を受けている限り、その結果は最終的にベルカーブに収束していくのである。
常に「誤差」を意識して生きる
中央極限定理は、世の中の多くの現象が正規分布という予測可能な形に収束することを示している。
しかし、それはあくまで「サンプル数を増やせば」という条件付きである。
我々が日々直面するのは、限られたデータ、限られた経験という不確実性そのものである。
私たちは日頃から誤差や不確実性につきまとわれている。多くの場合、「回答者数の平方根で九八%を割る」というような厳密な公式で誤差を計算できないものの、「誤差の範囲」の意味をおおまかにつかんでおくに越したことはない。(P.286「第11章 最後はベルカーブに収束する ― 「中央極限定理」」)
「誤差の範囲」を意識する、とはどういうことか。
それは、物事を「点」ではなく「幅」で捉える習慣をつけることである。
例えば、プロジェクトの納期を「○月○日」と点で設定するのではなく、「○月○日 ± 3日」というように、誤差の幅(バッファ)をあらかじめ見積もっておく。
売上予測を「1,000万円」と断定するのではなく、「良ければ1,200万円、悪ければ800万円」というように、最善と最悪のシナリオを含めた「幅」で考える。
厳密な数学的公式が使えない場面であっても、この「誤差を考慮する」という心構えは、極めて実用的である。
予測が外れた時のダメージを最小限に抑えるための「準備」を可能にし、同時に「計画通りに進まないのが当たり前」という心の余裕をもたらしてくれる。
何事も、自分の予測や計画には必ず「誤差」が伴う。
その事実を受け入れ、あらかじめ誤差の範囲を考慮しておくこと。
これもまた、不確実な世界を賢く生き抜くための「処世術」の一つである。
偶然とは「無知」の裏返しである
ここまで、ランダムな事象をいかに捉え、いかに判断すべきかを見てきた。
では、そもそも「ランダム性(偶然)」とは何なのだろうか。
それは、サイコロの目のように、この世に最初から組み込まれた絶対的なものなのだろうか。
ローゼンタールは、最終章近くで、ランダム性の根源について哲学的な問いを投げかける。
私たちが経験するランダム性は、そのほとんどが自分自身の無知からきている。十分な情報と眼力がありさえすれば、ランダム性は消えて必然性が残るだろう。(P.381「第16章 無知、カオス、量子力学 ― ランダム性を生み出すもの」)
これは衝撃的な洞察である。
サイコロの目を例に取ろう。我々にとって、次に出る目は「6分の1の確率」というランダムなものに過ぎない。
しかし、もしサイコロが投げられた瞬間の初速、回転数、角度、そして空気抵抗やテーブルの摩擦係数といった、すべての物理的パラメータを正確に測定し、計算することができたとしたら。
いわゆる「ラプラスの悪魔」のような視点である。
すると、次に出る目は計算によって「必然的」に予測できるはずである。
我々がそれを「ランダムだ」と感じるのは、単に、それら全ての情報を知り得ないという「無知」に起因しているに過ぎない。
初期のわずかな条件の違いが、結果に大きな違いをもたらす「カオス理論」の世界も、突き詰めれば情報不足の問題と言えるかもしれない。
もちろん、現実的に我々が全ての情報を得ることは不可能である。
しかし、この「ランダム性 = 無知の裏返し」という視点は、我々の行動姿勢に大きな変革をもたらす。
物事がうまくいかなかった時、それを単に「運が悪かった」と片付けてしまうのは簡単だ。
しかし、それは「自分は無知でした」と宣言しているのと同じことかもしれない。
なぜ失敗したのか、そこにはどのような変数が影響していたのか、次はその変数をコントロールするために、どのような情報が追加で必要か。
可能な限り情報を集め、分析し、自らの「無知」の領域を少しでも減らしていく。
その知的な努力こそが、我々が「運」と呼ぶものに支配されるのではなく、それを「必然性」へと変えていくための唯一の道なのである。
直観が敗北するモンティ・ホール問題
本書は、確率・統計の様々なトピックを網羅しているが、特に有名で、かつ人間の直観がいかに当てにならないかを鮮烈に示すのが「モンティ・ホール問題」だろう。
この問題は、第14章で「ベイズ統計」や「条件付き確率」といった概念と共に紹介されている。
以前にこの問題を見聞きしたことがある人も、本書の解説で「やっと納得できた」と感じるのではないだろうか。
問題はこうだ。
プレイヤーの前に3つの閉じたドアがある。
1つのドアの後ろには景品の車があり、他の2つのドアの後ろにはハズレのヤギがいる。
1. プレイヤーは、車があると思うドアを1つ選ぶ(例えば「ドア1」)。
2. ここで、司会者のモンティ・ホール(彼はどのドアの後ろに車があるかを知っている)が登場し、プレイヤーが選ばなかった2つのドア(「ドア2」「ドア3」)のうち、ハズレ(ヤギ)が入っているドアを1つ開けて見せる(例えば「ドア3」を開ける)。
3. 司会者はプレイヤーにこう尋ねる。「あなたは、最初に選んだ『ドア1』のままにしますか? それとも、残ったもう一方の『ドア2』に選び直しますか?」
さあ、どうするのが最善だろうか。
多くの人は、「残ったのはドア1とドア2の二択なのだから、どちらを選んでも当たる確率は2分の1。
変えても変えなくても同じだ」と直観的に考える。
しかし、これは決定的な間違いである。
正解は、「必ず選び直した方がよい」である。
なぜなら、選び直した場合(ドア2)に車が当たる確率は3分の2であり、選び直さなかった場合(ドア1)の3分の1に比べて、2倍も高いからだ。
なぜそうなるのか。
最初にプレイヤーが「ドア1」を選んだ時点で、車がそこにある確率は「3分の1」。
車が他のドア(ドア2かドア3)にある確率は、合わせて「3分の2」である。
ここで司会者が、ハズレの「ドア3」を開ける。
この「司会者がハズレのドアを開けた」という情報が追加されたことが重要である。
司会者は「車があるドア」と「プレイヤーが選んだドア」は絶対に開けない。
プレイヤーが最初に選んだ「ドア1」が当たりである確率(3分の1)は、司会者が何をしようと変わらない。
しかし、残りの「3分の2」の確率は、司会者によってハズレ(ドア3)が除外されたため、すべて「ドア2」に集中することになる。
したがって、最初に選んだドア(ドア1)が当たる確率は3分の1のままだが、残ったドア(ドア2)が当たる確率は3分の2に「上昇」するのである。
このモンティ・ホール問題は、我々の直観がいかに「条件付き確率」――すなわち、新しい情報が追加されたときに確率がどう変動するか――の計算を苦手としているかを如実に示している。
本書では、この問題を「ベイズ統計」という、情報が更新されるたびに確率を更新していく数学的手法を用いて、さらに厳密に解説している。
直観に頼るのがいかに危険であるか。
この一つの事例だけでも、本書を読む価値は十分にあると言える。
数学を「処世術」として使いこなす
『運は数学にまかせなさい』は、確率・統計という分野の奥深さと、それが我々の実生活にいかに密接に関連しているかを痛感させてくれる一冊である。
本書の中には、ポーカーやブリッジといった、馴染みのないゲームの確率計算など、専門的で難解な部分も含まれている。
しかし、本書の神髄は、個別のゲーム理論をマスターすることにあるのではない。
本書の副題は「確率・統計に学ぶ処世術」である。
その言葉通り、我々が学ぶべきは、確率・統計という「思考のメガネ」を通して世界を見直し、不確実な現実を生き抜くための「術(すべ)」である。
「偶然」や「運」という言葉で思考停止するのではなく、その背後にある数学的法則性に目を向けること。
短期的な結果に一喜一憂せず、「大数の法則」を信じて正しい試行を重ねること。
「P値」や「誤差の範囲」を批判的に吟味し、情報に踊らされないリテラシーを身につけること。
そして、モンティ・ホール問題が示すように、自らの直観の危うさを自覚し、合理的な「効用関数」や「ベイズ統計」的な思考で判断を下すよう努めること。
これらすべてが、著者のローゼンタールが我々に提示する「処世術」なのだ。
それは、不確実性(ランダム性)を恐れ、それに振り回される生き方から、「無知」を自覚し、確率を計算し、リスクを管理し、不確実性を味方につける生き方への転換を促すものである。
もし、著者のジェフリー・S・ローゼンタールの思考法にさらに触れたいと思うなら、『それはあくまで偶然です』という、本書の続編的な位置づけの作品もある。
そちらも併せて読むことで、より深く確率論的な世界観を身につけることができるだろう。
本書を手に取り、数学という人類最強の「武器」を、あなたの人生の「処世術」として装備してみてはいかがだろうか。
昨日まで「運」としか思えなかった世界の景色が、まるで変わって見えるようになるはずである。
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トロント大学トリニティ・カレッジ
トロント大学(University of Toronto)は、カナダのオンタリオ州にあるトロントに本部を置く州立大学。1827年の創立。
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ハーバード大学(Harvard University)は、アメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジにある1636年に創立の私立大学。
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