『禅』鈴木大拙/訳・工藤澄子

鈴木大拙の略歴

鈴木大拙(すずき・だいせつ、1870年~1966年)
仏教哲学者。
石川県金沢市生まれ。本名は、鈴木貞太郎(すずき・ていたろう)。石川県金沢市の第四高等中学校本科を中退。東京帝国大学文科大学選科を修了。
神奈川県鎌倉市の円覚寺に参禅。後に渡米。禅をZenとして世界に広める。

『禅』の目次

はじがき
第一章 禅
第二章 悟り
第三章 禅の意味
第四章 禅と仏教一般のとの関係
第五章 禅指導の実際的方法
第六章 実存主義・実用主義と禅
第七章 愛と力
訳注
解説 “わたし”を徹見すること 秋月龍珉

概要

1987年9月29日に第一刷が発行。ちくま文庫。219ページ。

1965年2月25日に「グリーンベルトシリーズ61」として、筑摩書房から刊行され、後の1971年5月20日に「筑摩教養選11」として再刊行された経緯がある。

解説を担当している仏教学者・秋月龍珉(あきづき・りょうみん、1921年~1999年)による本書の構成の初出は以下の通り。

第一章「禅」は、“Encyclopedia Britanica”(1963年版)。

第二章「悟り」は、“The Review of Religion”(New York:Columbia University Press, 1954, XVIII, Nos, 3-4, pp. 133-144)。

第三章「禅の意味」、第四章「禅と一般仏教との関係」、第五章「禅指導の実際的方法」、第六章「実存主義・実用主義と禅」は、哲学者のWilliam Barrett(1913年~1992年)氏が編集した“Zen Buddhism, selected writings of D. T. Suzuki”(Doubleday Anchor Books, New York, 1956)から訳されたもの。

そのうちの前三編は『禅論文集巻一』(Essays in Zen Buddhism, First Series)から取られて初めて日本語訳された。

第七章「愛と力」は、1958年のブラッセル万国博覧会で読まれたメッセージの邦訳。

自己の体験というのは、直接に事実に到ることを言い、それが何であろうと、いかなる媒介をも介さないのである。禅が好んで用いる比喩がある。月を指すには指が必要である。だが、その指を月と思う者はわざわいなるかな。(P.50「第三章 禅の意味」)

この後には「禅は、事実われわれとの間に介入するものすべて嫌う」とも書かれている。

禅は、根本的な事実を重要視する。また最も深い問題の解決では、知性に頼らないとも。

常に具体的な事実を取り扱うので、禅はまわりくどい表現をせず、説明もせず、ただ指し示すと。

知性による矛盾や混乱は、より高い統一の中で完全に調和するという風に続く。

心は普通さまざまの知性の戯言や感情のがらくたでいっぱいである。これらはもちろん、われわれの日常生活においてそれぞれに役に立つ。それを否定するのではない。しかし、われわれが悲惨な思いをしたり、束縛の感に呻いたりせねばならぬのは、主としてそれらの累積のためである。(P.64「第三章 禅の意味」)

日常生活に役に立つ知性や感情。ただそれの蓄積によって、苦しめられている。

よって、禅ではそのような重荷となるものを全部捨てさせようとする。

後に、いくつかの禅の言葉や師と弟子との問答で、このテーマについて深堀りをしていく。

生命を理解するには、われわれは、その中に飛び込み、みずから生命に触れなければならなぬ。その一部を拾い上げたり、切り取ったりして検査しようとすれば、生命を殺してしまう。(P.113「第四章 禅と仏教一般のとの関係」)

禅宗の始祖であり、6世紀初めにインドから中国に渡った菩提達磨(ぼだいだるま、生没年不詳)や、中国思想の儒教と結びつけて、禅の確立をこの後段で語っていく。

仏教の大きな歴史の経緯に触れて、中国での発展や発達がさらに記述される。

言葉で行う表示は、思想による説明である。生命を実際に生きるところには、論理は存しない。生命は論理にまさるからである。(P.157「第五章 禅指導の実際的方法」)

同じ章の初めの方では、文字の上での業績や知的分析よりも、生きた事実、真実を禅は重視すると記述される。

同じような形で、言葉と生命について語る。

われわれ――個別的に言えばわれわれのひとりひとり、集合的に言えばわれわれのすべて――は、善にあれ悪にあれ、この人間社会に行われることの一切に責任がある。だから、われわれは、人類の福祉と智慧の全体的発展を妨げるような条件を、ことごとく改善もしくは除去するように努めなければならないのである。(P.203「第七章 愛と力」)

ここは、第七章の最後の部分。生命を創造するのは愛であり、愛がないならば、生命は自分自身を保持することができない。愛は重要である。

そして、愛は次のことを教えてくれるとして、上記の文章が続く。前段では、生命や愛、創造、科学、力などの関係や解説がある。

第七章では、禅の歴史的事柄や教義については、触れられないので、とても読み進めやすい部分でもある。

感想

もともとは、英文学者の斎藤兆史(さいとう・よしふみ、1958年~)が書いた『英語達人列伝』の中で、紹介されていて、初めて知った鈴木大拙。

斎藤兆史も大絶賛の英語力。

また、アップルの創始者・スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs、1955年~2011年)などが、禅や仏教に関心が高かったり、1950年代のアメリカのビート・ジェネレーションの作家たちも、似たようなことに触れていたり。

そのような部分が重なり、禅についても、鈴木大拙についても、知ってみたいと思い読んでみた。ほぼ禅や仏教の勉強といった感じではあった。

「訳註」などを参照しながら、深く読み込んでいくと、かなり時間がかかるが、非常に勉強になる。

ただ情報量が多かったり、一度では掴み切れないので、再読、三読といった形で、繰り返し読み返す必要があるけれど。

ちなみに、こちらを読了した後に、石川県金沢市にある鈴木大拙館にも行った。

アポイントを取って、取材・撮影などをさせてもらった。

建物は、石川県金沢市出身の建築家・谷口吉郎(たにぐち・よしろう、1904年~1979年)の息子で同様に建築家の谷口吉生(たにぐち・よしお、1937年~)が手掛けている。

建物や庭も良かったし、特に水鏡の庭が、とても美しかった。書籍と同時に、非常にオススメの場所である。

書籍紹介

関連スポット

鈴木大拙館

鈴木大拙館は、鈴木大拙の出身地の石川県金沢市にある2011年に開館の文化施設。

公式サイト:鈴木大拙館

円覚寺

円覚寺(えんがくじ)は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗のお寺。鈴木大拙は、円覚寺で今北洪川(いまきた・こうぜん、1816年~1892年)、釈宗演(しゃく・そうえん、1860年~1919年)に禅を学んだ。

公式サイト:円覚寺