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オークラ『自意識とコメディの日々』要約・感想

オークラ『自意識とコメディの日々』表紙

  1. 自意識とコメディの葛藤
  2. バナナマンとの出会い
  3. 放送作家への転身
  4. 仲間との創作と文化の融合

オークラの略歴・経歴

オークラ(おーくら、1973年~)
脚本家、放送作家。本名は、河野良(かわの・りょう)。
群馬県富岡市の出身。日本大学理工学部土木工学科を中退。

『自意識とコメディの日々』の目次

まえがき
第1章 オークラ、お笑いを志す
第2章 細雪と天才たち
第3章 芸人終焉、そして作家へ
第4章 つながった仲間たちとコントの日々
第5章 さまざまなカルチャーとの融合
終章 自意識とコメディの日々
あとがき

『自意識とコメディの日々』の概要・内容

2021年12月10日に第一刷が発行。太田出版。269ページ。ソフトカバー。128mm×182mm。B6判。

装画は、バナナマンの設楽統(したら・おさむ、1973年~)。装丁は、佐々木暁(ささき・あきら)。

帯には「目頭が熱くなる笑いと感動」、「バナナマン、東京03とともに東京お笑いシーンを買えた、放送作家オークラの青春譚!」と付記。

『自意識とコメディの日々』の要約・感想

  • 天才たちとの邂逅:バナナマンが灯した道
  • 挫折と転機:放送作家・オークラとして生きる覚悟
  • 仲間との絆:東京03誕生秘話と、共に創るコントへの情熱
  • 多様なカルチャーとの響き合い:オークラが目指す笑いのフロンティア
  • 自意識との対峙、そしてコメディへの昇華という名の救済
  • お笑いという名の青春群像劇、その普遍性と未来への視点

お笑い界の舞台裏、そして一人の男の赤裸々な記録がここにある。鬼才放送作家オークラによる初の自伝的エッセイ『自意識とコメディの日々』は、単なる成功譚ではない。

そこには、お笑いを志した一人の人間の、葛藤、挫折、そして仲間たちとの絆が生々しく、時にユーモラスに描かれている。

本書は、エンターテインメントの世界で生きることの厳しさと素晴らしさ、そして何よりも「面白い」を追求し続ける人々の熱量を感じさせてくれる一冊である。

本書を手に取るあなたは、もしかしたらテレビで流れるコントやバラエティ番組の熱心な視聴者かもしれない。あるいは、これから何かを創り出そうとしている、夢の途上にいるのかもしれない。

もしかしたら、日々の生活の中で、自分自身の「自意識」を持て余し、息苦しさを感じている一人かもしれない。どんな立場であれ、オークラの言葉は、あなたの心に何かしらの火を灯すだろう。

なぜなら、これは自意識と格闘しながらも、コメディを愛し続けた男の、あまりにも人間臭い物語だからである。

その赤裸々さゆえに、読む者は時に胸を締め付けられ、時に腹を抱えて笑い、そして最後には不思議な温かさに包まれるのだ。

天才たちとの邂逅:バナナマンが灯した道

オークラのキャリアを語る上で欠かせないのが、才能豊かな芸人たちとの出会いである。

特に、バナナマンの設楽統(したら・おさむ、1973年~)と日村勇紀(ひむら・ゆうき、1972年~)、後に時代を席巻する天才たちとの交流は、オークラの人生とお笑い観に決定的な影響を与えた。

バナナマンとの出会いは、オークラにとって衝撃的であっただろう。自分と同じように、あるいはそれ以上に強烈な「何か」を内に秘め、それを表現しようともがく同世代の若者たち。

彼らの放つ圧倒的な才能の輝きは、オークラに強烈な憧れと同時に、ある種の焦燥感をもたらしたかもしれない。

当時の東京の小劇場を中心としたお笑いシーンの熱気、若き芸人たちが互いにその才能をぶつけ合い、刺激し合い、そして時に嫉妬しながらも切磋琢磨する様子が、本書には臨場感たっぷりに描かれている。

それは、まさに青春群像劇そのものであり、読んでいるこちらもその渦中にいるかのような錯覚を覚えるほどだ。

オークラとバナナマンの関係性は、特に深く、長きにわたるものであり、本書の随所にその濃密なエピソードが散りばめられている。

彼らがどのようにして信頼関係を築き上げ、唯一無二のシュールでいて人間味あふれるコントを作り上げていったのか。

その過程は、単なる芸人と作家の関係を超えた、魂の結びつきを感じさせる。オークラとバナナマンという組み合わせは、東京のお笑いにとって一つの金字塔と言えるだろう。

彼らのコントは、日常に潜む些細な違和感や人間の可笑しみを、鋭い観察眼と独特のセンスで切り取り、観る者を未知の笑いの領域へと誘う。

それは、オークラの繊細な感受性と、バナナマンの卓越した表現力が見事に融合した賜物なのである。

挫折と転機:放送作家・オークラとして生きる覚悟

輝かしい才能たちとの出会いの陰で、オークラ自身は芸人としての限界を感じ始めていた。華やかな舞台に立つ芸人たちと、それを支える裏方としての自分。

そのコントラストは、彼の自意識をさらに刺激し、複雑な感情を抱かせたであろう。

本書では、芸人としての挫折が、彼にとってどれほど大きなものであったか、そしてそれが後の人生にどのような影響を与えたかが、痛々しいほど正直に語られている。

しかし、その深い挫折こそが、彼を新たな道へと導く決定的な転機となった。そう、放送作家オークラの誕生である。

この転身の背景には、想像を絶する葛藤があったことが本書から克明に読み取れる。表舞台への未練、自分自身の才能への疑念、そして何よりも、愛してやまないお笑いの世界で生き残るための必死の模索。

それは、彼自身の「自意識」との壮絶な戦いであったに違いない。だが、彼はその苦難を乗り越え、放送作家としての新たな才能を開花させていく。

それは、逃避ではなく、お笑いへのより深い関わり方を模索した結果だったのかもしれない。

この時期のオークラを支えたのは、やはり仲間たちの存在だっただろう。そして、彼自身の中にあった「面白いものを創りたい」という純粋で強烈な欲求だったに違いない。

放送作家としてのオークラは、芸人たちが持つ個性を最大限に引き出し、それを最も輝く形で提示するための「言葉」と「構造」を与える役割を担う。

それは、他者の才能を深く理解し、リスペクトする心なくしては成り立たない仕事である。

特に印象的なのが、バナナマンの設楽統とのネタ作りのエピソードである。設楽統がオークラに語った言葉は、彼の作家人生を決定づけるほどの重みを持っていた。

このネタ作りの時に、設楽さんが言った、今もシチュエーションコントを書く時の指針となっている言葉がある。
「矛盾を消せば、笑いが生まれる」だ。(P.124「第3章 芸人終焉、そして作家へ:設楽さんとの下北沢青春譚」)

この「矛盾を消せば、笑いが生まれる」という言葉は、一見シンプルながら、お笑いの本質、さらには物語創作の核心に迫る深い洞察を含んでいる。

日常の中に潜む些細なズレや論理の破綻、キャラクターの行動原理の食い違いといった「矛盾」。

それらを丁寧に拾い上げ、解消していく過程で、予期せぬ展開や人間味あふれる可笑しみが生まれる。

設楽統の、常に物事の本質を見抜き、それを具体的な形にするための揺るぎない思考は、まさに天才のそれであり、読んでいるこちらが慄然とするほどだ。

オークラがこの言葉をいかに大切にし、自身の創作の核としているかが伝わってくる。オークラの脚本家としてのキャリアは、この一言から新たな広がりを見せたと言っても過言ではないのかもしれない。

この指針は、後のオークラの様々な仕事、例えばオークラが脚本を手掛けるドラマ作品においても、通底するテーマとなっているように感じられる。

また、小林賢太郎(こばやし・けんたろう、1973年~)と、片桐仁(かたぎり・じん、1973年~)によるコンビのラーメンズとの逸話も興味深い。

特に、小林賢太郎に対するオークラの深い信頼と友情も、胸を打つものがある。

小林賢太郎の才能を高く評価し、その未来を心から案じるオークラの言葉は、単なる同業者への賛辞を超えた、魂の共鳴を感じさせる。

コバケンがなにかのクリエイティブディレクターになったら、どんなモノを生み出すのだろうか? その才能を絶対に腐らすべきではない。(P.152「第3章 芸人終焉、そして作家へ:化けたラーメンズ」)

この言葉には、小林賢太郎の類まれなる才能への惜しみない賛辞と、その才能が不当な形で封じられることへの強い懸念が込められている。

2021年に、ラーメンズの1998年の作品が問題視され、活動の場が狭められたことは記憶に新しいが、オークラのこの言葉は、そうした状況に対する静かな、しかし熱い抵抗のようにも感じられる。

そこには、才能を信じ、友を思うオークラの熱い心が垣間見えるのだ。

キャンセルカルチャーの是非が問われる現代において、このオークラの言葉は、一度貼られたレッテルによって才能が葬り去られることの危うさを、静かにしかし強く訴えかけてくる。

仲間との絆:東京03誕生秘話と、共に創るコントへの情熱

放送作家として確固たる地位を築き始めたオークラは、多くの才能ある芸人たちと出会い、彼らと共に刺激的な作品を作り上げていく。

その中でも、

おぎやはぎの小木博明(おぎ・ひろあき、1971年~)と矢作兼(やはぎ・けん、1971年~)の都会的でシニカルな笑い、

アンジャッシュの渡部建(わたべ・けん、1972年~)と児嶋一哉(こじま・かずや、1972年~)の緻密な構成力とすれ違いの妙、

そして通称ザキヤマと呼ばれるアンタッチャブルの山崎弘也(やまざき・ひろなり、1976年~)の予測不可能な爆発力など、

そうそうたるメンバーとの交流が描かれる。彼らとの仕事は、オークラにとって常に新しい発見と挑戦の連続であっただろう。

そして特筆すべきは、今や不動の人気を誇るコントトリオ、東京03の誕生にオークラが深く関わっていたという事実である。

アルファルファとして活動していた飯塚悟志(いいづか・さとし、1973年~)と豊本明長(とよもと・あきなが、1975年~)、

そしてプラスドライバーのメンバーだった角田晃広(かくた・あきひろ、1973年~)という、

それぞれ異なるバックグラウンドを持つ三人がトリオを結成するにあたり、その名付け親となったのがオークラだったというエピソードは、多くの読者にとって新鮮な驚きだろう。

手前味噌ではあるが、それから数週間後、飯塚さんに「なんかいいトリオ名ない?」と電話で相談され、3人だし、2003年だし、電話での相談だし「東京03っていうのは?」と答えた。
こうして東京03は誕生した。(P.208「第4章 つながった仲間たちとコントの日々:東京03、誕生!」)

このエピソードは、オークラとお笑い界のつながりの深さを示すと同時に、何気ない日常の中から歴史が生まれる瞬間を捉えていて非常に興味深い。

まさかオークラが名付け親だったとは、そしてその由来がこれほどシンプルで、ある種「ノリ」のようなものから生まれたとは、知る人ぞ知る話かもしれないが、改めて本書で読むとその軽やかさが面白い。

しかし、その軽いネーミングとは裏腹に、東京03のコントは緻密に計算され、人間の日常に潜む気まずさや滑稽さを鋭く描き出す。オークラと東京03の関係は、その後も続き、数々の傑作コントを生み出していく。

彼らのコント作りにかける情熱、互いの才能を認め合い、高め合う姿、そして仲間としての強い絆は、本書のハイライトの一つであり、読む者に熱い感動を与える。

特に、オークラが彼らのために書き下ろすネタは、三人のキャラクターを見事に活かしきっており、その創作の裏側を知ることは、ファンならずとも興味深いだろう。

多様なカルチャーとの響き合い:オークラが目指す笑いのフロンティア

オークラの活動は、純粋なコント番組の構成にとどまらない。

彼は、テレビ東京のプロデューサーである佐久間宣行(さくま・のぶゆき、1975年~)と共に、伝説的な深夜番組『ゴッドタン』をはじめとする数々の人気番組を手掛け、お笑いの新たな可能性を切り拓いてきた。

オークラと佐久間宣行のタッグは、深夜番組という実験的な枠組みの中で、常に斬新でエッジの効いた企画を生み出し、コアなファン層を中心に多くの熱狂的な支持を獲得している。

オークラ 佐久間宣行という名前は、現代のテレビバラエティにおける一つのブランドと言っても過言ではないだろう。

『ゴッドタン』初期には、バナナマンや東京03が頻繁に出演し、その尖った企画で大きな話題を呼んだ。

「マジ歌選手権」の初期の、まだ何が起こるかわからないカオスな熱気や、「キス我慢選手権」がもたらした、笑いと感動の境界線を曖昧にするような衝撃は、今も鮮明に記憶している視聴者も多いだろう。

これらの企画は、単なるおふざけや悪ふざけではなく、芸人たちの隠された才能や人間的な魅力を引き出し、彼らのポテンシャルを最大限に発揮させる実験の場となっていた。

そこには、オークラの「芸人への深い愛」と、佐久間宣行の「面白いものなら何でもあり」という柔軟な発想が見事に結実していた。

本書でオークラが語る「さまざまなカルチャーとの融合」というテーマは、彼の創作活動の根底にある非常に重要な思想を示している。

お笑いをその表現のベースに置きながらも、音楽、演劇、アート、文学、さらにはサブカルチャーの要素までをも積極的に取り入れ、それらを化学反応させることで新たな表現を生み出そうとする野心的な姿勢。

それは、常に変化し続ける時代の中で、コメディが陳腐化せず、生き残るための必要不可欠な戦略でもあるのだろう。この視点は、エンターテインメント業界だけでなく、あらゆる分野で新しい価値を創造しようとする人々にとって、大きなヒントとなるはずだ。

オークラの脚本や彼が手掛けるドラマにも、この「融合」の精神、すなわちジャンルや既存の枠組みに囚われない自由な発想が色濃く息づいている。

また、バナナマンとシンガーソングライターであり俳優でもある星野源(ほしの・げん、1981年~)の意外なつながりや、ラーメンズとバナナマンという、一見異なるスタイルの芸人たちの間にあった横のつながりなど、貴重なエピソードも興味深い。

これらは、90年代から2000年代にかけての東京のお笑いシーン、さらにはアンダーグラウンドも含めたエンタメシーン全体の豊かな土壌と、そこに根差すアーティストやクリエイターたちの自由なネットワークの広がりを感じさせる。

それは、ある種のサロン的な雰囲気であり、互いの才能を認め合い、刺激し合うことで、新しい文化が生まれる瞬間の胎動を伝えている。

自意識との対峙、そしてコメディへの昇華という名の救済

本書のタイトルにもなっている「自意識とコメディの日々」。オークラは、そのキャリアを通じて、常にこの根源的なテーマと向き合い続ける。

過剰な自意識は、時に創作の足枷となり、人間関係をこじらせる原因ともなる。自己顕示欲、劣等感、他者からの評価への過敏さ。そうした自意識の嵐は、クリエイターにとって避けては通れない試練なのかもしれない。

しかし、その痛みを伴う自意識があるからこそ、人は何かを表現したいと切実に願い、常識や既成概念を打ち破ろうと高みを目指す原動力にもなるのだろう。

オークラにとって、コメディを創るという行為は、この厄介な自意識と折り合いをつけ、それを生産的なエネルギーへと転換させるための、いわば自己救済の手段であったのかもしれない。

オークラ自身の父親との長年にわたる確執と、その雪解けのエピソードは、本書の中でも特に個人的で、それゆえに普遍的な感動を呼ぶ部分である。

なかなか素直になれない息子と、不器用な愛情しか示せない父親。その間に横たわる誤解と心の溝。

しかし、ある出来事をきっかけに、長年抱えていた複雑な感情が解き放たれていく様は、読む者の心を深く揺さぶる。

それは、血の繋がりという抗えない絆の力と、時間だけが解決してくれることもあるという人生の真実を教えてくれる。

そして、その極めて個人的でシリアスな体験すらも、オークラはコメディへと昇華させようとする。

彼の父が亡くなった際の、東京03のリーダーである飯塚悟志とのやり取りは、その象徴的な場面と言えるだろう。

悲しみと混乱の極みにいるはずのオークラが、それでもなおコント台本を書き上げようとする執念。それに対する飯塚の応答は、まさに芸人の鑑である。

それから徹夜をして台本を書きあげた。30分ちかくある台本ができた。飯塚さんに、
「ごめん。1日しかないけど大丈夫?」
と連絡すると
「大丈夫、30分のネタ覚えればいいだけだろう」
と答えてくれた。(P.261「終章 自意識とコメディの日々:すべてはコントに」)

父の訃報を受け、地元・群馬で告別式などを済ませたオークラが、心身ともに疲弊しきった中で、それでもプロとして締め切りを守るべく必死にコント台本を書き上げる。

その極限状況で、盟友である飯塚悟志が放ったこの一言。「30分のネタ覚えればいいだけだろう」。

それは、表面的な慰めや同情の言葉ではない。

プロフェッショナルとしての揺るぎない覚悟と、オークラへの絶対的な信頼、そして何よりもコメディという表現への揺るぎない愛が凝縮された、あまりにもストイックで、あまりにも格好良い言葉である。

この言葉に、オークラはどれほど救われ、どれほど勇気づけられたことだろうか。

個人的な悲しみや困難をも笑いに変え、それを観客に届けようとする、芸人たちの凄まじいまでの業と、その過酷な道を共に歩む仲間たちの絆の強さに、ただただ圧倒される。

これこそが、オークラが生きる「コメディの日々」の真髄なのかもしれない。

お笑いという名の青春群像劇、その普遍性と未来への視点

『自意識とコメディの日々』は、オークラという一人の類稀なる放送作家の自伝的エッセイでありながら、それ以上に、1990年代から現在に至る東京のお笑いシーンの熱気と変遷を、当事者の視点から克明に活写した貴重なドキュメントでもある。

バナナマン、東京03、おぎやはぎ、アンジャッシュ、ラーメンズ、バカリズム(本名:升野英知〈ますの・ひでとも〉、1975年~)、そして番組で深く関わった極楽とんぼの加藤浩次(かとう・こうじ、1969年~)など。

枚挙にいとまがないほどの才能たちが登場し、彼らの若き日の瑞々しい姿や、これまであまり語られることのなかった知られざるエピソードが満載だ。

それは、さながらお笑い版「アベンジャーズ」のオリジンストーリーのようでもあり、彼らがどのようにして出会い、影響し合い、そしてスターダムへと駆け上がっていったのか、その軌跡を追体験できる。

本書は、専門的な業界の話でありながら、驚くほど読みやすく、まるで上質な青春小説を読んでいるかのような感覚に陥る。

そこには、夢を追いかける若者たちの、むき出しの情熱ときらめき、切磋琢磨するライバルたちとの友情、ほろ苦い恋愛模様、そして避けられない挫折とそこからの再生の物語が、鮮やかに詰まっている。

オークラの文章は、時に自虐的であり、時にシニカルでありながらも、登場する人物たちへの温かく、愛情に満ちた眼差しに一貫して貫かれており、それが本書に独特の深みと読後感の良さをもたらしている。

一部の熱狂的なお笑いファンや業界関係者以外には、その魅力が届きにくい側面もあるかもしれない。しかし、本書が持つ普遍的なテーマ性――自意識との葛藤、夢を追うことの尊さと厳しさ、仲間との絆の大切さ、創造の苦しみと喜び――は、より広い層の読者の心にも響くはずだ。

特に、何かを生み出すことに関心のあるすべての人々、そして人生における様々な困難や内面的な葛藤と真摯に向き合っている人々にとっては、バイブル的な一冊となり得るポテンシャルを秘めている。

オークラが本書の中で繰り返し示唆する「フォーマットを考える」ということの重要性、そして「さまざまなカルチャーの融合」という理想は、これからのエンターテインメント業界、いや、あらゆる創造的な分野において、ますますその意義を増してくるだろう。

変化を恐れず、既存の枠組みに囚われず、常に新しい表現や価値を模索し続けるオークラの姿勢は、未来を担う多くのクリエイターにとって、確かな道しるべとなるはずだ。

本書は、単にお笑いファンがその内幕を知るための暴露本でもなければ、成功者の自慢話でもない。

これは、一人の人間が、自分自身の弱さや不完全さと向き合いながら、それでも「面白いこと」を追求し続けた、誠実で、痛切で、そしてどこまでも愛おしい記録なのである。

オークラと仲間たちが駆け抜けた「自意識とコメディの日々」は、私たち自身の日常と静かに重なり合い、明日への一歩を踏み出すための、ささやかだが確かな勇気を与えてくれるに違いない。

ぜひ一度、この濃密な「日々」に触れてみてほしい。そこには、あなたの心を揺さぶる何かが、必ず見つかるはずだから。

書籍紹介

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