『編集者、それはペンを持たない作家である』神吉晴夫

神吉晴夫の略歴

神吉晴夫(かんき・はるお、1901年~1977年)
編集者、出版社の社長。
兵庫県加古川市の生まれ。東京外国語学校仏語部貿易科を卒業後、東京帝国大学文学部仏文科に入学、後に中退。講談社に入社。1947年に光文社の創業に参画。1965年~1970年に、光文社の社長を務める。1977年に、かんき出版を創業。

『編集者、それはペンを持たない作家である』の目次

はじめに
復刊に寄せて 柿内芳文
読者へのあいさつ
ペンを持たない作家
サルマタを脱いだ『人間の歴史』
松本清張さんと田舎まんじゅう
金の卵かアヒルの卵か
英語に強くなる法
創作出版とは何か
カッパ誕生
カッパの宣伝、販売術
私の経営哲学

概要

2022年7月7日に第一刷が発行。実業之日本社。ソフトカバー。237ページ。148mm×210mm。A5判。

副題は「私は人間記録として、自分の感動を多くの読者に伝えたかった。」

1966年に華書房から刊行された『かっぱ兵法―人間は一回しか生きない』に一部、注釈の加筆、誤字脱字の改筆などを行なったもの。

「復刊に寄せて」を書いているのは、編集者で実業家の柿内芳文(かきうち・よしふみ、1978年~)。

東京都町田市の出身。聖光学院中学校・高等学校、慶應義塾大学文学部を卒業後、光文社を経て、2010年から2013年まで星海社に在籍。株式会社STOKE代表をしている人物。

神吉晴夫と同様に光文社での勤務を経ているのもポイント。

感想

何となく名前は知っていた人物。編集者関連は興味があるので、何かコンテンツ作りなどの勉強になるかと思って購入。

結論としては、読んで良かった本。でも、時代を感じたり、冗長過ぎたりするような文章。ただプロデューサーとしては、やはり只者ではないというか、視点や思考が鋭い。

人間的にもかなり熱い感じ。現在で言うと、幻冬舎を創業した編集者の見城徹(けんじょう・とおる、1950年~)みたいな感じか。

営業にも相当な力を入れているし、欲望を掘り起こすことにも集中している。読者や消費者に対して。

いわゆる文学とかそういった方面ではなく、大衆に向けた活字媒体としての本を作り、販売した伝説の編集者。

メーカーである私は、読者に知らせる以前に、まず販売人(取次店)に宣伝してみたわけだ。(P.29「ペンを持たない作家」)

本を商品として、しっかりと考える。すると取次店は販売人である。

販売人に、商品の内容や良さを理解してもらってから、上手に売ってもらおうという方法。二重の宣伝と販売。

読者という顧客の前に、取次店という販売人を仲間にする。身近な場所から仲間を増やして、売上に貢献するようにしていく。

より大きく考えると、自分に関わる人全てを、仲間にしておくことである。別の本に書いてあったけれど、普段から上司や同僚、部下に「営業」しておく、というのにも通じる。

後半には、本だけではなく、レコードの販売の時にも、同様の内容が書かれている。具体的な販売・宣伝の方法の手順を作って、販売店に配ったというエピソードも。

なぜレコードの話が出てくるかというと、講談社系列には、キングレコードがあるため。

講談社の前身である大日本雄弁会は1931年にレコード部を設置。1951年にレコード部は、株式会社キングレコードとして独立している。

小さな過ちにも痛みを感じようとしない精神の怠惰は、人間を腐らせていくものだ。私は、精神の怠惰を叱るのだ。小さな失敗で叱られるのなら、叱られるものも、傷つかないですむだろう。(P.85「金の卵かアヒルの卵か」)

リーダーや上に立つ者が部下を叱る時の注意点。

本人が既に大きな過ちを自覚して反省している場合には、叱らない。単に相手を傷つけるだけになるため。

だが、本人が気が付かない小さな過ちの場合には、叱る、といった姿勢。

なるほど。「精神の怠惰」というのも、なかなかのパワーワード。

また人を傷つけずに叱ることの難しさも説いている。人間の機微。ただ、この辺りの情緒というか、心の動きが分からないと、大衆的なビジネスでは成功しないのではないだろうか。

神吉晴夫の配慮というか、気配り、細やかさを感じられる。

創作出版とは、アイデアが人真似ではなく独創的であるだけでなく、出版プロデューサーも、読者の一人として、著者の創作に参加する、ということなのだ。(P.163「創作出版とは何か」)

創作出版の定義。編集者が第一の有能な読者として、著者に意見を出して、より良い本を作っていくもの。

当時としては、かなり画期的な手法だったようだ。

つまり、それまで編集者は積極的に、本の内容には関わらずにいた。だが神吉晴夫は、本の執筆者の内容について、前のめりになって意見を出していく。

すると、より良い本、商品が創作されていく。

創作出版というよりは、執筆者と編集者の共創による出版と表現した方が近いかもしれない。

現在では、割とあるような手法だとは思うけれど。ここに源流があるのか。

『残酷物語』――といっても、私の新聞勧誘残酷物語ではない、十九世紀フランスの作家ヴィリエ・ド・リラダンの『残酷物語(コント・クリュエル)』だが――をフランス帰りの若い助教授、辰野隆さんの教室で、ふうふういいながら読んだ東大生時代よりも、<後略>(P.195「カッパの宣伝、販売術」)

ここは、かなり個人的な関心が高まった部分であり、なかなかの説明が必要な部分でもある。

1927年に東京帝国大学文学部仏文科を中退して、講談社に入社した神吉晴夫。

講談社に務めながら、報知新聞の勧誘の仕事もしていた。

というのも、講談社の創業者である野間清治(のま・せいじ、1878年~1938年)は、1930年に報知新聞社の前身・報知社を買収。

報知新聞は、講談社の系列。そのため、その業務の手伝いをさせられていたというもの。

その営業の辛さを吐露しているのが上記の引用。

ここまでは前提の情報。関心のある人物は、フランス文学者の辰野隆(たつの・ゆたか、1888年~1964年)。父親は、建築家の辰野金吾(たつの・きんご、1854年~1919年)。

辰野金吾の東大の教え子には、多くの人物がいる。その中で有名なのは、文芸評論家の小林秀雄(こばやし・ひでお、1902年~1983年)。

小林秀雄は、1925年に東京帝国大学文学部仏文科に入学しているから、同じ時期に同じ学部にいたのかも。学年までは分からないが。

この辺りの人間の交錯も面白い。

ちなみにオーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン(Auguste Villiers de l’Isle-Adam、1838年~1889年)は、フランスの作家、詩人、劇作家で、象徴主義を代表する存在の一人。

失敗したときから、商売ははじまる。苦しみだけが、知恵を生むことができる。一度も迷ったことのない人間、一度もぐらついたことのない鈍重な人間は、意欲することも、なぜかと問うこともない。(P.198「カッパの宣伝、販売術」)

消費者の眠っている欲望を掘り起こすことを、実体験から苦しんで、皮膚感覚によって捉えられるようになった神吉晴夫の言葉。

新聞の営業での苦労。

人間の欲望に対する考察。

そのような経験と思考から生み出された神吉晴夫の総合的な出版方法。

やはりもっと人間の欲望に焦点を合わせていかないといけないな。

なるほど。また今度、読み返すとしよう。

というわけで、出版や編集、メディアだけではなく、商売や販売、宣伝などについても深いヒントを与えてくれるオススメの本である。

書籍紹介

関連書籍

関連スポット

講談社

東京都文京区音羽にある出版社。1909年に大日本雄弁会として設立。1938年に株式会社に改組。1958年に株式会社講談社と改称。

公式サイト:講談社

光文社

東京都文京区音羽にある出版社。講談社を中心とした音羽グループに属する。1945年10月1日に創業。

公式サイト:光文社

かんき出版

東京都千代田区麹町にある出版社。1977年に神吉晴夫が創業。

公式サイト:かんき出版