『明治・父・アメリカ』星新一

星新一の略歴

星新一(ほし・しんいち、1926年~1997年)
小説家。
東京の生まれ。東京女子高等師範学校附属小学校(現・お茶の水女子大学附属小学校)を経て、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に進む。
旧制の官立東京高等学校(現・東京大学教養学部及び東京大学教育学部附属中等教育学校に継承)に入学。東京大学農学部農芸化学科を卒業。東京大学大学院の前期修了。
本名は、筆名と同じ読み方で、漢字が異なる星親一。父親は、星薬科大学の創立者で星製薬の創業者・星一(ほし・はじめ、1873年~1951年)。

星一の略歴

星一(ほし・はじめ、1873年~1951年)
実業家。政治家。
福島県いわき市の出身。幼少時に右目を失明。東京商業学校(現・東京学園高校)を卒業。コロンビア大学政治経済科を卒業し修士号を取得。
星製薬の創業者であり、星薬科大学の創立者。SF短編小説で有名な星新一の父親。妻は、解剖学者・小金井良精(こがねい・よしきよ、1859年~1944年)の次女・せい

『明治・父・アメリカ』の目次

目次はない。
17の章で構成。章題も特になく数字のみ。

解説は、271~278ページまで、小説家の小島直記(こじま・なおき、1919年~2008年)。

さらに実業家で資生堂の名誉会長の福原義春(ふくはら・よしはる、1931年~)の「父と息子」という文章も279~283ページに掲載。

概要

1978年8月25日に第一刷が発行。新潮文庫。283ページ。

1975年9月に筑摩書房から刊行された単行本を文庫化したもの。

実業家・星一の前半生を、その息子で小説家の星新一が著した評伝。

出生からアメリカ留学を終えて帰国した時期までをまとめている。つまり、星製薬の設立の以前の出来事までがメイン。

物語は、星一の父親である小野佐吉(おの・さきち、1847年~1909年)、後の星喜三太の出生から始まる。

後に進歩的な人物となり、地元では良くも悪くも話題に。さらに村会議員となる。

その息子として、星一が生まれる。

苦学して教師となり、さらに東京で勉強しようとする。
『西国立志編』が当時の若者たちに影響を及ぼした。星一にも同様に。

さらに向上心を持ち、アメリカへ。

そこで、新渡戸稲造(にとべ・いなぞう、1862年~1933年)や、後藤新平(ごとう・しんぺい、1857年~1929年)、野口英世(のぐち・ひでよ、1876年~1928年)との交流も。

コロンビア大学を卒業。アメリカで日本のことを伝える新聞社をつくる。

その合間に、各種の知人や先輩との交流から、ヨーロッパや台湾にも赴く。

上記のような星一の前半生が、星新一の手によってまとめられた一冊。

感想

星新一がノンフィクション作品を手掛けていたのは、あまり知らなかった。

また、星一が有名な人物だったというのも全く知らなかった。何となく星製薬の創業者であるといった程度の知識しかなかった。

『武士道』(原題は『Bushido: The Soul of Japan』)を英文で書き上げたり、国際連盟の事務次長を務めたりした新渡戸稲造との交流。

医師で政治家の後藤新平、細菌学者の野口英世との親交があった人物だったとは。

分かりやすく丁寧に、その時代背景や関連人物の紹介などを絡めて、書かれている星一の伝記。

当たり前ではあるけれど、やはり文章が上手い。

史料や資料も恐らくかなりの量が準備されたのだろう、という予想が付くくらいに詳細な記述も多々ある。

調査や情報整理の妙も感じられる。

生い立ちから青年期までの物語なので、全体としても前向きでポジティブ、清涼な雰囲気を基調としている。

その後の星一の人生については『人民は弱し 官吏は強し』に、関連した人物たちについては『明治の人物史』に描かれている。

星新一の文章が読みたい人、星新一の父親である星一の前半生を知りたい人、星製薬の創業者の生い立ちを知りたい人には、非常にオススメの作品である。

書籍紹介

関連書籍

関連スポット

コロンビア大学

コロンビア大学(Columbia University)は、アメリカのニューヨーク州ニューヨークに本部を置くアメリカの私立大学。正式名称は、Columbia University in the City of New York。

公式サイト:コロンビア大学

星薬科大学

星薬科大学の創立者は星一。星製薬の教育部門が源流。校内には、星一の胸像や歴史資料館も。

公式サイト:星薬科大学