
- 英語教育の構造的問題が大学入試の混乱で露呈
- 世界の潮流に合わせた「四技能」概念の再考
- 歴史から学び、英語教育の過ちを繰り返さない
- メディアや文学を活用して英語を楽しむ学習
鳥飼玖美子の略歴・経歴
鳥飼玖美子(とりかい・くみこ、1946年~)
通訳者、英語教育学者、通訳学者。本名は、町田玖美子。
東京都港区の出身。檜町小学校に入学、3年次から母親の母校である東洋英和女学院小学部に編入。中学部・高等部を卒業。1965年に、上智大学外国語学部イスパニア語学科を卒業。同年に英検1級、通訳案内業試験にも合格。
1990年に、コロンビア大学大学院修士課程(英語教授法)を修了。2007年、英国サウサンプトン大学人文学研究科の博士課程(通訳学)にて、Ph.Dを取得。
斎藤兆史の略歴・経歴
斎藤兆史(さいとう・よしふみ、1958年~)
英文学者。
栃木県宇都宮市の生まれ。栃木県立宇都宮高等学校、東京大学文学部英語・英米文学科を卒業。東京大学大学院人文科学研究科英語英文学専攻修士課程を修了。
東京大学助手を務めた後、米国インディアナ大学英文科修士課程を修了。
1990年に東京大学教養学部の専任講師。1992年に同助教授。1997年にイギリスのノッティンガム大学英文科博士課程を修了(Ph.D.取得、Style and Creativity : Towards a Theory of Creative Stylistics)。
『迷える英語好きたちへ』の目次
まえがき 鳥飼玖美子
第一章 対談1 英語民間試験導入狂騒曲
第二章 「四技能」という「錦の御旗」 鳥飼玖美子
第三章 四技能信仰の問題点 斎藤兆史
第四章 対談2 日本人の英語の現在、過去、そして未来
第五章 カナカナ語を活用した英語学習 鳥飼玖美子
第六章 日本語を脅かすカタカナ英語 斎藤兆史
第七章 メディアの英語講座 鳥飼玖美子
第八章 実用と教養のはざまで――私が関わった英語番組 斎藤兆史
第九章 文学を用いた英語学習法 斎藤兆史
第一〇章 英語で文学作品を楽しむ 鳥飼玖美子
あとがき 斎藤兆史
『迷える英語好きたちへ』の概要・内容
2020年10月20日に第一刷が発行。集英社。インターナショナル新書。221ページ。
第一章、第四章は、集英社クオータリー『kotoba』2019年春号・特集「日本人と英語」に掲載された対談、2019年秋号から三回にわたって連載された対談に、加筆・修正したもの。
英語教育の第一人者による対談と書き下ろしを収録した本。帯には「英語に迷う人必読!」とも書かれている。
『迷える英語好きたちへ』の要約・感想
- 英語民間試験導入の喧騒が残した問い
- 時代遅れの「四技能」信仰という幻想
- 100年前から変わらない英語教育の悩み
- ネイティブ信仰の功罪を歴史から学ぶ
- 日本人は本当に英語を「読める」のか?
- メディアの英語講座との賢い付き合い方
- 文学作品という最高の英語教材のすすめ
- 英語学習の迷路を抜けるために
英語学習という長い旅路で、道に迷った経験はないだろうか。溢れる情報、次々と現れる新しい学習法、そして根強く残る教育問題。
一体何を信じ、どう進めば良いのか。
そんな現代の「迷える英語好きたち」に、一つの確かな羅針盤を示してくれるのが、本書『迷える英語好きたちへ』である。
著者は、日本の英語教育と通訳研究を牽引してきた鳥飼玖美子(とりかい・くみこ、1947年~)と、英文学者として英語教育に鋭い視線を向ける斎藤兆史(さいとう・よしふみ、1958年~)。
それぞれの専門分野から、現代日本の英語が抱える問題点を多角的に浮き彫りにし、未来への展望を語り合う。
本書は、単なる学習法の紹介に留まらず、英語という言語と日本人がどう向き合うべきか、その本質的な問いを投げかける一冊だ。
この記事では、本書で展開される両氏の深い洞察を追いながら、我々が英語学習の迷宮から抜け出すためのヒントを探っていく。
英語との付き合い方に悩むすべての人にとって、思考を整理し、新たな一歩を踏み出すきっかけとなるだろう。
英語民間試験導入の喧騒が残した問い
近年の英語教育における大きな混乱の一つに、大学入学共通テストへの英語民間試験導入問題があった。
結果として延期に至ったこの騒動は、日本の英語教育が抱える構造的な問題を白日の下に晒したと言える。
鳥飼玖美子と斎藤兆史は、この問題の渦中においても、専門家として冷静な分析と提言を行ってきた。
対談の中で、鳥飼は過去の活動を振り返り、次のように述べている。
そういえば、私たち二人が関わった日本学術会議・文化の邂逅と言語分科会の「大学入試における英語試験のあり方についての提言」では、本質的な問題を論じていますよね。(P.38「第一章 対談1 英語民間試験導入狂騒曲」)
この提言は、民間試験導入がもたらすであろう教育格差や評価の公平性といった目先の問題だけでなく、より根源的な「大学入試における英語の役割とは何か」という点を問うものだった。
両著者は、表面的な議論に終始するのではなく、常に英語教育の本来あるべき姿を追求してきたのである。
この一連の騒動は、英語学習者にとっても他人事ではない。どのような試験が導入されるかによって、学習の方向性が大きく左右されるからだ。
本書は、こうした政策レベルの議論の背景を理解し、世の中の動きに振り回されずに自身の学習を見つめ直すための視座を与えてくれる。
時代遅れの「四技能」信仰という幻想
英語民間試験導入の根拠として、錦の御旗のように掲げられたのが「四技能(聞く・話す・読む・書く)のバランス良い育成」というスローガンだった。
しかし、鳥飼はこの「四技能」という枠組み自体が、すでに世界の言語教育の潮流から見れば古いものであると指摘する。
その根拠となるのが、ヨーロッパで開発された言語能力の国際標準であるCEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)だ。CEFRは常にアップデートされており、その考え方は進化し続けている。
CEFR増補版では、次の四つのコミュニケーション様式(mode)を提案しました。技能数で言えば七技能になります。
reception 受容(聞くこと・読むこと)
production 産出(話すこと・書くこと)
interaction やりとり(話すこと・書くこと)
mediation 仲介
(P.47「第二章 「四技能」という「錦の御旗」」)
ここで注目すべきは、「interaction(やりとり)」と「mediation(仲介)」という新しい概念である。
「やりとり」は、単に話したり書いたりするだけでなく、相手との双方向のコミュニケーションを重視する。
そして「仲介」は、言語や文化が異なる人々の間に立って、意味を伝え、理解を促進する能力を指す。これは、通訳や翻訳に近い高度な能力であり、これからのグローバル社会で不可欠なスキルだ。
日本の英語教育が「四技能」という言葉に固執し、その測定方法にばかり気を取られていた間に、世界の言語教育はより実践的で複合的な能力の育成へとシフトしていたのである。
この事実は、我々学習者が目指すべき英語力の姿を再考させるに十分な衝撃を持っている。
単にテストで高得点を取ることだけが目標ではない。他者と関わり、異なる文化の架け橋となるための英語力こそが、真に価値あるものなのだ。
100年前から変わらない英語教育の悩み
現代の英語教育が抱える課題は、実は今に始まったことではない。驚くべきことに、100年以上前の明治時代から、ほとんど同じ内容の議論が繰り返されてきたのだ。
本書では、歴史を紐解きながら、この根深い問題の正体を明らかにしていく。
鳥飼は、明治時代の英語学者である岡倉由三郎(おかくら・よしさぶろう、1868年~1936年)の文章を引用し、当時すでに小学校での英語教育の問題点が指摘されていたことを紹介している。
明治時代の小学校のでの英語教育については、岡倉由三郎(英語学者。岡倉天心の弟。一八六八~一九三六年)が文章を残していますね。「日本語の習得すら不十分な小学生に外国語を教えるのは弊害が少なくない」「外国語教授に十分な支出ができないので、不適当な教師しか雇えない」と、やはり英語教師の質の難しさを書いています。(P.81「第四章 対談2 日本人の英語の現在、過去、そして未来」)
母語の確立が不十分な段階での外国語教育の是非や、質の高い教員の確保という問題は、現代の早期英語教育の議論と全く同じ構図である。
歴史は、性急な教育改革が同じ過ちを繰り返す危険性を教えてくれる。
ネイティブ信仰の功罪を歴史から学ぶ
「ネイティブスピーカーから学ぶべきか、日本人教師から学ぶべきか」というのも、英語学習者にとって永遠のテーマだろう。
これもまた、明治時代にすでに活発な議論があった。
そして、その両方を体験した教育者、新渡戸稲造(にとべ・いなぞう、1862年~1933年)は、興味深い結論を導き出している。
この両方の指導法を体験した新渡戸稲造(教育者・思想家、一八六二~一九三三年)は、結論として、ネイティブから学ぶ正則教授法は「正しい発音はできても、知る価値のあることは少しも習得していない」と分析しているんです。そして、日本人の講読による変則教授法を、欠点はあるにせよ「正確厳密に意味内容を把握できる」と評価しています。(P.112「第四章 対談2 日本人の英語の現在、過去、そして未来」)
これは、ネイティブ信仰への痛烈な批判と言える。
もちろん、発音や自然な表現を学ぶ上でネイティブスピーカーから得るものは大きい。しかし、それだけでは知的で深い内容の習得には繋がりにくい、と新渡戸は喝破した。
一方で、日本人教師による文法や読解を中心とした授業は、内容を正確に理解する上で優れていると評価している。
現代においても、オンライン英会話などでネイティブスピーカーと話す機会は格段に増えた。しかし、ただ会話するだけでは、知的レベルの向上には限界があるかもしれない。
文法や構文を緻密に学び、文章の論理構造を正確に把握する訓練もまた、高度な英語運用能力には不可欠なのだ。
新渡戸の指摘は、100年の時を超えて、バランスの取れた学習の重要性を我々に示唆している。
日本人は本当に英語を「読める」のか?
「日本人は読み書きはできるが、会話が苦手だ」という言説は、もはや国民的な定説となっている。
しかし、本当にそうだろうか。1970年代に繰り広げられた英語教育論争の中で、この定説に鋭く切り込んだ人物がいた。
外交官であり政治家でもあった平泉渉(ひらいずみ・わたる、1929年~2015年)である。
彼は、当時の自民党政務調査会に提出した「平泉試案」の中で、日本の英語教育の惨状を厳しく分析した。
平泉によれば、日本人の英語は「会話能力が欠如している」だけでなく、「ほとんど読めず、書けず、わからないというのが、いつわらざる実状である」という分析です。(P.118「第四章 対談2 日本人の英語の現在、過去、そして未来」)
これは衝撃的な指摘である。「会話ができない」以前に、基礎となる「読む」能力すら、多くの日本人には欠如しているというのだ。
この論争の相手であった英文学者の渡部昇一(わたなべ・しょういち、1930年~2017年)も、方向性は違えど「すべての日本人が英語を使いこなせるはずがない」という点では平泉と共通の認識を持っていた。
専門家たちの間では、国民の多くが抱く「読める」という自己評価が、実は幻想に過ぎないことが見抜かれていたのである。この事実は、英語学習者にとって耳の痛い話かもしれない。
しかし、自分の現状を正しく認識することこそ、上達への第一歩である。まずは、自分は本当に英文を正確に読めているのか、と自問してみる必要があるだろう。
メディアの英語講座との賢い付き合い方
多くの人が一度は、NHKのラジオやテレビの英語講座に触れた経験があるのではないだろうか。
鳥飼、斎藤の両者もまた、こうしたメディアの英語番組に深く関わってきた経験を持つ。本書では、その経験を基に、メディアが日本の英語学習に果たしてきた役割と、その変遷が語られる。
鳥飼は、かつての教養主義的な内容から、次第に実用性や即時性が重視されるようになってきたメディアの英語講座の流れを解説する。
一方、斎藤は自身が関わった番組を例に挙げ、実用一辺倒ではない、教養としての英語の面白さを伝えようとしてきた試みを語る。
現代では、テレビやラジオだけでなく、YouTubeやポッドキャスト、学習アプリなど、英語に触れるメディアは爆発的に増加した。
選択肢が多いことは喜ばしいが、同時に、どの教材を選び、どう活用すれば良いのかという新たな悩みも生まれている。
両著者の議論は、メディアの英語コンテンツと付き合う上での重要な示唆を与えてくれる。それは、自分の学習目的を明確にすることだ。
ビジネスで必要な即戦力の英語を身につけたいのか、それとも文学や歴史を通して知的な世界を広げたいのか。
目的に応じてメディアを主体的に選ぶことで、情報の洪水に溺れることなく、効果的な学習を進めることができる。
文学作品という最高の英語教材のすすめ
英語学習がある程度のレベルに達すると、多くの人が「原書を読んでみたい」という憧れを抱く。しかし、何から読めば良いのか分からず、挫折してしまうケースも少なくない。
そんな学習者のために、斎藤は文学作品を用いた英語学習法を具体的に提案する。
英語の勉強は好きだけれど、文学作品を原書で読んだことがない読者の方を想定して紹介します。
英語学習者が最初に触れる原書の定番と言えば、ジョージ・オーウェルの『動物農場』(George Orwell, Animal Farm, 1945)でしょうか。ロシア革命を風刺した寓話的な小説です。ジョン・スタインベックの『真珠』(John Steinbeck, The Pearl, 1947)とアーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』(Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea, 1952)も、それぞれ短くて読みやすく、それでいながら胸にぐっと迫ってくる名作です。(P.206「第九章 文学を用いた英語学習法」)
ここで挙げられているのは、いずれも平易な言葉で書かれていながら、深いテーマ性を持つ傑作ばかりだ。
ジョージ・オーウェル(George Orwell、1903年~1950年)の『動物農場』は、政治的な寓話でありながら、動物たちの物語として引き込まれる。
ジョン・スタインベック(John Steinbeck、1902年~1968年)や、アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway、1899年~1961年)の文体は、簡潔でありながら力強く、英文そのものの美しさを感じさせてくれる。
斎藤は他にも、明晰な論理展開が学べるバートランド・ラッセル(Bertrand Russell、1872年~1970年)や、洗練された英語のサマセット・モーム(W. Somerset Maugham、1874年~1965年)。
読みやすいミステリーのアガサ・クリスティー(Agatha Christie、1890年~1976年)、そして現代作家のV・S・ナイポール(V. S. Naipaul、1932年~2018年)や、カズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro、1954年~)といった作家を推薦している。
文学作品を読むことは、単語や文法を学ぶ以上の価値をもたらす。
物語の文脈の中で言葉がどのように使われるかを自然に学べるだけでなく、その国の文化や歴史、人々の価値観に深く触れることができる。
それは、英語という言語を血の通った生きたものとして感じるための、最高の体験なのである。
英語学習の迷路を抜けるために
本書『迷える英語好きたちへ』は、専門的な内容を扱いながらも、鳥飼玖美子と斎藤兆史による対談形式が中心であるため、非常に読みやすく、二人の碩学の対話を隣で聞いているかのような臨場感がある。
専門用語が飛び交う堅苦しい学術書とは一線を画し、英語教育に関心のあるすべての人に開かれた一冊だ。
本書を通じて浮かび上がるのは、日本の英語教育が抱える問題の根深さと、我々学習者が陥りがちな思考の罠である。
「四技能」や「ネイティブ信仰」といった言葉に踊らされることなく、歴史的な視点を持って自分の立ち位置を客観視すること。
そして、実用性だけでなく、教養として英語を学ぶ楽しさを見出すこと。これらが、英語学習の迷路から抜け出すための鍵となる。
本書は、具体的な問題点を数多く提示してくれる。
しかし、それはあくまでも地図であり、知識に過ぎない。最終的に道を切り拓いていくのは、読者一人ひとりの実践である。
私自身、本書を読み終えて、改めて自身の英語学習を見つめ直す良い機会となった。
特に、平泉渉の「ほとんど読めず、書けず、わからない」という指摘は、心に突き刺さるものがあった。
流暢に話すことへの憧れはあれど、その土台となる「正確に読む」力がおろそかになっていなかったか。全ての技能の基礎は、やはり文法であり、緻密な読解力なのだと再認識させられた。
もしあなたが今、英語学習の道筋に確信が持てずにいるのなら、本書を手に取ってみてほしい。
鳥飼玖美子と斎藤兆史という二人の知性が、あなたの行く先を照らす、力強い光となってくれるはずである。
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書籍紹介
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コロンビア大学大学院:鳥飼玖美子
コロンビア大学大学院。ティーチャーズ・カレッジ、コロンビア大学(Teachers College, Columbia University)は、アメリカのニューヨークにあるコロンビア大学に所属する1887年に設立の教育大学院。
公式サイト:ティーチャーズ・カレッジ、コロンビア大学
サウサンプトン大学:鳥飼玖美子
サウサンプトン大学 (University of Southampton)は、イングランド南部の海沿いの街サウサンプトンに本部を置くイギリスの国立大学である。1862年に設立されたハートリー学会が前身。
公式サイト:サウサンプトン大学
インディアナ大学:斎藤兆史
インディアナ大学(Indiana University)は、1820年に設立されたアメリカ合衆国インディアナ州にある大学。8つのキャンパスから成立するが、基本的にインディアナ大学と言った場合、インディアナ大学ブルーミントン校。
公式サイト:インディアナ大学
ノッティンガム大学:斎藤兆史
ノッティンガム大学(University of Nottingham)は、1881年に設立されたイギリスのノッティンガム市にある大学。
公式サイト:ノッティンガム大学









