北康利『叛骨の宰相 岸信介』

北康利の略歴

北康利(きた・やすとし、1960年~)
作家、元銀行員。
愛知県の生まれ。大阪市立東我孫子中学校、大阪府立天王寺高等学校、東京大学法学部を卒業。
金融機関の勤務を経て執筆業に。2005年、『白洲次郎 占領を背負った男』で、第14回山本七平賞を受賞。

岸信介の略歴

岸信介(きし・のぶすけ、1896年~1987年)
政治家、官僚、第56・57代の内閣総理大臣。
山口県山口市の生まれ。
岡山市立岡山下小学校を経て、山口中学校を卒業。第一高等学校独法学科を経て、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。農商務省、商工省にて要職を歴任。“昭和の妖怪”とも呼ばれる。旧姓・佐藤。

『叛骨の宰相 岸信介』の目次

プロローグ 巨木のみぞ知る孤独
尋常ならざる秀才
東京帝大教授の椅子を蹴って農商務省へ
国力伸張を夢見て
満洲に見た大アジア主義の夢
満洲に“二キ三スケ”あり
小林一三商工大臣との衝突
日米開戦
名に代えてこの聖戦の正しさを
巣鴨プリズン
幽囚の日々
巣鴨の扉が開いた日
盟友たちと誓った日本再建
反吉田を掲げて
背中を押してくれた“バカヤロー解散”
岸派の梁山泊と化した憲法調査会
造船疑獄と新党立ち上げ
吉田政権の落日
恩讐を超えて実現した保守合同
緒方の死
一敗地にまみれた総裁選
運を使いきった石橋
ついにつかんだ総理の座
アジアのなかの日本
日米首脳会談
日米新時代共同宣言
安全、安心、豊かさ……そのすべてを目指して
戦後賠償と独自外交
驕りが落とし穴となった警職法改正
池田と河野の運命を分けた日
いざ安保改定へ
天将に吾に大任を下さんとするの秋なり
強行採決
耐えに耐えた三十日間

あとがき
岸信介年譜
参考文献

『叛骨の宰相 岸信介』の概要

2014年1月2日に第一刷が発行。KADOKAWA。378ページ。電子書籍は、2016年6月1日に発行。

内閣総理大臣にも就任したことのある岸信介の波乱に満ちた生涯を描いた評伝。

目次にも出てくる登場人物を列挙。

小林一三(こばやし・いちぞう、1873年~1957年)…実業家、政治家。山梨県韮崎市生まれ。慶應義塾正科を卒業。阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループを創業。政界では、商工大臣を務める。商工次官であった岸信介と対立。

吉田茂(よしだ・しげる、1878年~1967年)…外交官、政治家。第45・48・49・50・51代の内閣総理大臣。東京都千代田区生まれ。東京帝国大学法科大学政治科を卒業。

緒方竹虎(おがた・たけとら、1888年~1956年)…ジャーナリスト、政治家。山形県山形市生まれ。福岡で育つ。東京高等商業学校(現在の一橋大学)を中退。早稲田大学専門部政治経済学科に編入し、卒業。

その他にも様々な人物が登場して、昭和の歴史が織りなされていく。

『叛骨の宰相 岸信介』の感想

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北康利の作品は好きで、『銀行王 安田善次郎』『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』『白洲次郎 占領を背負った男』『吉田茂 ポピュリズムに背を向けて』なども読んでいる。

どれも非常に面白いのでオススメである。

今回の著作は、岸信介。結論としては、とても面白かった。

政治体制の仕組みなどは、いまいち分からない部分が多かったが、臨場感が溢れていて、手に汗握る感じだった。

この辺りも、しっかりと勉強していきたいところである。

以下、引用などを含めて。

イプセンやトルストイ、ドストエフスキーなどもドイツ語訳で読み、英書はあまり読まなかった。英語など読めてあたり前というのが当時の教養人だったのだ。(P.24「尋常ならざる秀才」)

岸信介の一高時代の話。

入試の成績は、いまいちであったが、最初の頃から通常の試験はトップクラスであったという。

読書量なども桁違い。英語は出来て当たり前。ドイツ語でも読書をしていた。

引用部分に出てきた作家たちの情報は以下。

ヘンリック・イプセン(Henrik Johan Ibsen、1828年~1906年)…ノルウェーの劇作家、詩人、舞台監督。近代演劇の父とも呼ばれる。

レフ・トルストイ(Lev Nikolayevich Tolstoy、1828年~1910年)…ロシアの小説家、思想家。代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』など。

フョードル・ドストエフスキー(Fyodor Mikhailovich Dostoevsky、1821年~1881年)…ロシアの小説家、思想家。代表作に『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』など。

その決断は彼の叛骨心を十分満足させるものであった。“エリートは大蔵か内務”という型にはまるのを彼は潔しとしなかったのだ。のちのちまで彼は“政治の実態は経済にあり”と口にするが、その点でも農商務省は、政治家になるための修行の場として適当に思えた。(P.33「東京帝大教授の椅子を蹴って農商務省へ」)

高等文官試験を一番で合格していた岸信介。どの役所に入るのかを考えていた。

遠縁の農商務省商務局監理課長であった長満欽司(ながみつ・きんじ、生年不明~1937年)との出会いにより、岸信介は、農商務省に入ることを決める。

だが、法学者で東京帝国大学の教授であった上杉慎吉(うえすぎ・しんきち、1878年~1929年)から学者になれと強く勧められるといったエピソードも。

フィラデルフィアに三ヵ月滞在し、“産業の米”とされる製鉄事業について視察したが、その規模の大きさに圧倒された。
(アメリカと戦争するなどとは無謀だ……)
このときに抱いた思いが、のちに戦争の早期終結を主張して東条英機と対立する伏線となっていく。(P.40「国内伸張を夢見て」)

1926年にアメリカの独立150周年の記念博覧会がフィラデルフィアで開かれる。

その際、岸信介は、博覧会担当事務官として渡米。現地で、アメリカの国力を間近で見つめることとなり、上記の感想にいたる。

東条英機(とうじょう・ひでき、1884年~1948年)…陸軍軍人、政治家。第40代の内閣総理大臣。東京都千代田区生まれ。陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業。

アメリカの後には、イギリス、ドイツを訪問して、約半年にわたる欧米視察を終える。

だが、岸の胸に死の誘惑は一片たりとも浮かんでこなかった。
一高時代の恩師である長州出身の杉敏介から、
二つなき命に代へて惜しきものは
千載に朽ちぬ名にこそありけれ
という故郷の偉人・吉田松陰の歌を贈られ、暗に自決を促されたときも、
名に代へてこの聖戦の正しさを
万代までも伝へ残さむ
と返歌している。(P.109「名に代えて この聖戦の正しさを」)

千載(せんざい)、聖戦(みいくさ)、万代(よろずよ)という読み。

杉敏介(すぎ・としすけ、1872年~1960年)…教育者、第一高等学校の教授。山口県岩国市の生まれ。夏目漱石(なつめ・そうせき、1867年~1916年)の『吾輩は猫である』の津木ピン助のモデル。

吉田松陰(よしだ・しょういん、1830年~1859年)…武士、思想家、教育者。山口県萩市の生まれ。松下村塾で多くの若者に影響を与えた人物。

玉音放送から一月後、さまざまな大臣たちが自殺。

恩師から死を促されたが、岸信介は明確に断る。

自らの考え及び、日本がやってきたことは、何ら恥じることはないと思いがあったため。

この辺りも、岸信介の真骨頂かもしれない。

だが彼の強靭な生命力はこれしきのことで参らない。月に二回ずつ、決まって夢精したという。汚れたふんどしは自分で洗わねばならないから、寒い日などは辛くも情けなくもあったが、たまたま同じように収監されている軍人のなかに、そうした悩みのないものがいたことにむしろ驚かされた。これしきのストレスで性欲を失ってしまうようなひ弱な人間に軍隊を任せていたことが情けなかったのだ。(P.123「幽囚の日々」)

この逸話も凄い。

巣鴨プリズンに収容されていた当時。死と向き合うストレスは体力を奪って、収監中に病死するものも続出したという。

岸信介も徐々に痩せていったという。

だが、持って生れた生命力が、尋常ではない。そのような状況でも、もしくは、そのような状況だからこそ、なのか分からないが、性欲はあり、夢精をしていたという逸話。

さらに、この続きには、収監中の読書についても。

正岡子規(まさおか・しき、1867年~1902年)、若山牧水(わかやま・ぼくすい、1885年~1928年)、島木赤彦(しまき・あかひこ、1876年~1926年)、斎藤茂吉(さいとう・もきち、1882年~1953年)の句集や歌集。

さらに、二葉亭四迷(ふたばてい・しめい、1864年~1909年)、森鴎外(もり・おうがい、1862年~1922年)、夏目漱石の作品、そして7世紀後半~8世紀後半にかけて編纂された日本最古の歌集である万葉集も読む。

チャールズ・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens、1812年~1870年)の『David Copperfield』を原書で読み、ヴィクトル・ユーゴー(Victor-Marie Hugo、1802年~1885年)の『Les Miserables』の翻訳もしたという。

歌集や句集から万葉集、小説、そして、イギリスの作品を英語で読み、フランスの作品を日本語に翻訳した。

もう想像できないくらいの能力、といった感じ。体力も気力も知力も、一般の物差しでは計れない。

第一はね、言うまでもなく安全保障ですよ。政治においてその国が安全であり、その国が平和であるということが政治の基本ですよ。それがなけりゃあ、経済の発展も、あるいは文教の振興もないと思うんですよ。(P.262「ついにつかんだ総理の座」)

首相が政策として、もっとも重要視するべき課題は、何であるかという問いに対して、答えたもの。

『岸信介回顧録』の中に書かれている内容。

基本的なことながら、とても分かりやすく重要性を説いている。

その他にも、外交交渉や外交ルートなども慎重に戦略を立てていたという話も。

さらに現実的に、社会保障を充実させていった政治家でもある。1959年の最低賃金法と国民年金法の制定など。

その他にも、見所は沢山、詰まっている作品。岸信介の魅力も存分に表現されている。

歴史や政治、もしくは昭和史や政治家などに興味のある人には非常にオススメの著作である。

書籍紹介

関連書籍

関連スポット

東山旧岸邸

1969年に岸信介の自邸として静岡県御殿場市東山に建てられたもの。設計者は、建築家の吉田五十八(よしだ・いそや、1894年~1974年)。晩年の17年間を過ごす。

公式サイト:東山旧岸邸

田布施町郷土館

田布施町郷土館は、山口県熊毛郡田布施町にある文化施設。岸信介の遺品展示室及び、弟・佐藤栄作(さとう・えいさく、1901年~1975年)の遺品展示室もある。

公式サイト:田布施町郷土館