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城山三郎『わたしの情報日記』要約・感想

城山三郎『わたしの情報日記』表紙

書籍紹介

  1. 仕事選びの基準として、倫理・時代適合・人間関係・自己認識のバランスを重視した考えに賛同。
  2. 挫折を知らないエリートや無趣味な生き方が自殺につながる危うさを指摘し、趣味によって日常的に失敗を経験する重要性にも賛同。
  3. 戦後の知的飢餓感から、原書で古典・哲学・文学を読み込み、一次情報を血肉化する驚異的な読書速度と処理能力を発揮。
  4. 歴史の欺瞞や慢心の危険を警鐘し、自己をオープンに保ち、次善の策を積み重ねる持久力で、情報探求を通じて巨大な知性を構築。

城山三郎の略歴・経歴

城山三郎(しろやま・さぶろう、1927年~2007年)
小説家。本名は、杉浦英一(すぎうら・えいいち)。
愛知県名古屋市の出身。名古屋市立名古屋商業学校(現在の名古屋市立向陽高等学校)を経て、1945年に愛知県立工業専門学校(現在の名古屋工業大学)に入学。大日本帝国海軍に志願入隊し、海軍特別幹部練習生として、特攻隊である伏龍部隊に配属。
1946年に東京産業大学(現在の一橋大学)予科入学、1952年に一橋大学を卒業。
1957年に『輸出』で第4回文學界新人賞。
1959年に『総会屋錦城』で第40回直木賞。
1975年に『落日燃ゆ』で吉川英治文学賞、毎日出版文化賞。

『わたしの情報日記』の目次

Ⅰ わたしの情報日記
Ⅱ 某月某日
Ⅲ ミドルの悩み 他
あとがき
解説 飯塚昭男

『わたしの情報日記』の概要・内容

1986年10月25日に第一刷が発行。集英社文庫。291ページ。
1981年10月に刊行された単行本を文庫化したもの。

解説は、 経済評論家、編集者の飯塚昭男(いいづか・あきお、1933年~2003年)。 新潟県新潟市の生まれ。早稲田大学教育学部を卒業。雑誌の記者、編集者を経て独立した人物。

『わたしの情報日記』の要約・感想

  • 仕事を選ぶための四つの羅針盤
  • 挫折の不在と無趣味がもたらす危うさ
  • 知への投資としての蔵書
  • 知的な飢餓感と自己の再構築
  • 古典と哲学による世界の再解釈
  • 一次情報へのアクセスと原書購読
  • 文学への傾倒と内面世界への探求
  • 歴史の欺瞞と情報汚染への警鐘
  • 驚異的な情報処理速度と読書の技術
  • 交友関係と知のネットワーク
  • アンテナの感度を保つための自己規律
  • 日々の積み重ねがアイデンティティを創る
  • 世界に向けた自己ブランディング
  • 慢心という病と歴史の教訓
  • 次善の策を打ち出し続ける思考の持久力
  • 組織と人間関係における選択の覚悟
  • まとめ:飽くなき情報の探求が生んだ巨大な知性

城山三郎(しろやま・さぶろう、1927年~2007年)という類稀なる作家が残した思索の軌跡を辿ることは、現代を生きる我々にとって極めて有意義な体験となる。

彼の本名は杉浦英一(すぎうら・えいいち)である。

愛知県名古屋市に生まれた彼は、激動の時代を全身で駆け抜けた人物だった。

大日本帝国海軍に志願入隊し、特攻隊である伏龍部隊に配属された過酷な経験は、彼の人生観や死生観に決定的な影響を与えたはずである。

戦後、価値観が根底から覆る中で、彼は自己を再構築するための果てしない情報の探求へと向かった。

本書『わたしの情報日記』は、そんな彼が日々の生活の中でどのように情報を収集し、処理し、そして自らの血肉に変えていったのかを克明に記した貴重な記録である。

文学、歴史、経済、そして人間の本質に対する深い洞察が随所に散りばめられており、読む者の知的好奇心を強く刺激してやまない。

彼が記した一つ一つの言葉には、単なる情報収集のテクニックを超えた、生き方そのものへの深い問いかけが込められている。

今回は、この名著の中から特に印象深い言葉を抽出し、多角的な視点からその真意を読み解いていきたい。

仕事を選ぶための四つの羅針盤

人生における仕事の選択は、誰にとっても重要なテーマである。

本書の序盤で、著者はある人物の仕事に対する哲学を紹介している。

文才も画才もある氏は、主に実業界で活躍されたわけだが、息子たちが仕事を選ぶについて、1正しい仕事か 2時代に適しているか 3和を得ているか 4分にふさわしいか、の四点を目安にするよう言われたという。(P.18「わたしの情報日記」)

ここで言及されている「文才も画才もある氏」とは、日本資本主義の父と称される人物・渋沢栄一(しぶさわ・えいいち、1840年~1931年)の四男である渋沢秀雄(しぶさわ・ひでお、1892年~1984年)のことである。

正、適、和、分の四点という評価軸は、極めて論理的かつ実践的な指針である。

経営学の視点から見れば、「正」とは企業の社会的責任や倫理的妥当性を意味し、「適」とは市場適合性や時代が求めるニーズへの合致を指す。

さらに「和」とは組織内の人間関係やステークホルダーとの調和であり、「分」とは自己の強みや身の丈を正しく認識することである。

この四つの条件が満たされて初めて、その仕事は個人の人生において確固たる意味を持つようになるのだろう。

私自身、彼の存在についてこれまで深くは知らなかったが、その多才ぶりと残された膨大な業績には驚かされるばかりである。

数多くの優れた書籍も出版されているため、機会を見つけて彼の世界に触れ、その思想の深淵を少しでも覗いてみたいと強く感じた。

挫折の不在と無趣味がもたらす危うさ

組織の中で優秀とされる人々が、なぜ時として深刻な行き詰まりを見せるのか。

著者は対談を通して、その一つの答えを導き出している。

官僚の自殺者には無趣味のひとが多い、とか。挫折を知らぬままにエリート・コースをまっすぐ歩いてきて、仕事に完璧のみを求めて行き場がなくなり、自殺。(P.48「わたしの情報日記」)

これは谷村裕(たにむら・ひろし、1916年~1996年)との対談の中で語られた、極めて重い逸話である。

彼は肋骨を七本も取る大手術を経験し、追突事故で右目が失明同然になるという、想像を絶する壮絶な人生を歩んできた。

しかし、そんな過酷な状況にあっても彼は多趣味であり、絵を描いたり、園芸を楽しんだり、読書や随筆の執筆にも精を出していたという。

趣味を持つことは、人生における強力な安全網として機能する。

工学におけるフェイルセーフの概念と同様に、一つのシステムが機能不全に陥った際でも、別の領域が心のバランスを保つ役割を果たすのである。

趣味を通じて失敗や行き詰まりを日常的に経験しておくことは、人生において挫折が当たり前であることを身体で覚えるための重要な訓練となる。

これほどまでに凄絶な経験を持ちながら、しなやかに生き抜いた人物がいたという事実には、心を打たれる。

世の中には、私たちの想像を超えるような素晴らしい生き方をしている人が数多く存在しているのだと、改めて教えられた気がした。

知への投資としての蔵書

情報化社会において、知識へのアクセス方法は多様化している。

しかし、著者は本を自らの手元に置くことの重要性を強く主張している。

日本人は蔵書を好んで図書館を活用しない、という批判もあるが、本は手近にあってこそ生きるという気がするので、必要な本だけでなく、かなり先に読みたい本までせっせと買っている。(P.53「わたしの情報日記」)

やはり著者も、必要な情報は自らの資本を投じて所有する「購入派」であったのだ。

大学の教壇に立ち、同時に小説家としても活躍していた彼にとって、膨大な蔵書を持つことはいわば職業上の必須条件であったのかもしれない。

経済学的に見れば、本を購入することは単なる消費ではなく、未来の自己への先行投資である。

情報工学の観点からも、手近に必要なデータが揃っている環境は、思考の処理速度を飛躍的に向上させるインフラとして機能する。

本は手元にあり、いつでも参照できる状態にあってこそ、その真価を発揮するのである。

もちろん、そのためには相応の金銭的コストと物理的な保管場所という代償が必要となる。

それでもなお、手元に知の集積を築くことの価値は、それらのコストを遥かに凌駕するほどの見返りを人生にもたらすのである。

知的な飢餓感と自己の再構築

戦後の焼け野原の中で、人々の価値観は一度完全に崩壊した。

その空白を埋めるため、著者は凄まじい執念で知識を貪り続けた。

『善の研究』は、全ページ、大学ノートに書きとった。知的な飢えというのは、それほどはげしかった。(P.59「わたしの情報日記」)

戦争という極限状態を経て、これまで信じてきた絶対的な考え方が一気に崩れ去るという経験は、どれほどの虚無感をもたらしただろうか。

新しい自分自身の確固たる軸を構築する手段として、知的情報が凝縮された書籍は、当時の多くの人々から渇望されていた。

西田幾多郎(にしだ・きたろう、1870年~1945年)による哲学書は、発売の前日から徹夜で本屋に行列を作る人がいたほどの熱狂を生んだという。

著者は徹夜で並ぶことこそしなかったようだが、全ページをノートに書き写すという途方もない作業をやってのけた。

他にも必要な本があれば、同じように一文字ずつ書き写して自らの脳に刻み込んでいたという逸話には、ただただ驚嘆するしかない。

それほどまでに、戦後という時代は人々の内面における価値観の根本的な再起動を要求したのである。

情報をただ消費するのではなく、血肉化しようとするこの執念こそが、後の大作家を生み出す原動力となったことは疑いない。

古典と哲学による世界の再解釈

著者の知的な探求は、日本の思想だけに留まることはなかった。

彼は自らの思考を鍛え上げるために、世界の難解な思想にも果敢に挑んでいった。

毎日毎日、わたしは古典を読んだ。すべてを疑ってかかるということで、哲学書が多かった。すると、同室の上級生が哲学研究会というサークルをはじめたため、まる一年間というもの、明けても暮れてもカントを読み、次の一年間はマックス・ウェーバーを読んだ。(P.60「わたしの情報日記」)

イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724年~1804年)や、マックス・ウェーバー(Max Weber、1864年~1920年)といった海外の重厚な古典や哲学書をも、彼は徹底的に読み込んでいたのである。

しかも、それを個人でただ読むだけでなく、サークル活動として仲間と共に腰を据えてガッツリと議論し合う環境を持っていた。

すべての物事を根底から疑ってかかるという哲学的な態度は、戦後の情報操作や欺瞞を見抜くための強力な武器となったはずである。

難解な概念を理解し、それを自らの思考体系に組み込んでいく彼の知的な処理能力の高さには、ただ圧倒される。

こうした哲学や社会学の深い教養が、後の彼の小説作品に重層的な厚みをもたらす基盤となったことは容易に想像がつく。

一次情報へのアクセスと原書購読

情報収集において、言語の壁を越えることは極めて重要な意味を持つ。

著者はその壁を、若き日から軽々と飛び越えていた。

大学に入ってから、神田の本屋街へ行くと、いちばん豊富で割安だったのは、アメリカ兵たちが手放したポケット・ブック類であった。ヘミングウェイ、スタインベック、コールドウェルなど、わたしは買い漁って読み続けた。社会性や、歯ぎれのよい文体などが、わたしには新鮮であった。(P.62「わたしの情報日記」)

ここで挙げられているのは、アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway、1899年~1961年)、ジョン・スタインベック(John Steinbeck、1902年~1968年)、アースキン・コールドウェル(Erskine Caldwell、1903年~1987年)といったアメリカ文学の巨匠たちである。

つまり彼は、これらの文学作品を翻訳ではなく、すべて英語の原書で読んでいたということである。

大学に入る前の段階で、既に海外の文学を原文のまま理解できるだけの充分な英語力と語彙力を身につけていた事実に驚かされる。

後に翻訳の仕事も多数手掛けている彼の経歴を考えれば、それも当然のことと納得できる。

他者のフィルターを通さない一次情報に直接アクセスする能力は、情報収集の精度を極限まで高めるための必須スキルであると言える。

文学への傾倒と内面世界への探求

社会の動向や経済の仕組みに強い関心を示しながらも、著者の本質的な興味は常に人間の内面に向かっていた。

その証拠として、彼は特定の文学作品に対する深い愛情を吐露している。

社会派の小説はおもしろいが、しみじみと読み返せたのは、S・アンダソン、J・ジョイス、V・ウルフなどの作品である。「こうした世界に入りびたって、人生を過ごせるものなら」と、かなり真剣に、文学部への転校を考えた時期もある。(P.63「わたしの情報日記」)

シャーウッド・アンダソン(Sherwood Anderson、1876年~1941年)、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce、1882年~1941年)、ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf、1882年~1941年)らの作品は、人間の意識の奥底を描き出す心理描写に定評がある。

大学の英語の授業で課されたレポート作成に際しての回想であるが、「読み返せた」と書かれている点に注目したい。

これはつまり、感想レポートを書くために、既に一度読み終えていた難解な作品群を、再び深く読み直しているということである。

彼の読書量と、その関心領域の広さは、まさに規格外と呼ぶにふさわしい。

哲学で思考の枠組みを作り、経済学で社会の構造を理解し、そして文学で人間の心の機微を味わう。

この多角的なアプローチこそが、人間の本質を立体的に描き出す彼の作家としての凄みを生み出したのである。

歴史の欺瞞と情報汚染への警鐘

自らが直接体験した戦争という悲劇を通じて、著者は情報が持つ恐ろしさを骨の髄まで理解していた。

だからこそ、彼は歴史の捏造や情報の歪曲に対して、誰よりも厳しい目を向けていた。

「強制」なのに「志願」とすりかえたのをはじめとする戦中のおそるべき欺瞞の数々。そうした高級軍人たちが、戦後は戦史家となって、相変わらずの「虚像固守」で、せっせと一方的な資料を書き残す。「美化」という形での情報汚染が続いているのでは、死者たちも浮かばれまい。(P.83「わたしの情報日記」)

これは、現代の情報社会を生きる我々にとっても極めて重要な指摘である。

権力を持つ側が都合の良いように状況を仕立て上げ、実質的な「強制」をあたかも本人の自発的な「志願」であったかのように装う手口は、歴史上何度も繰り返されてきた。

しかも、その悲劇的な状況を仕立て上げた張本人たちが、戦後になって巧みに情報操作を行い、自らの保身と正当化を図るという流れには、強い憤りを禁じ得ない。

こうした悍ましい事態を正しく認識するためには、感情に流されない冷静な分析と、一次史料への徹底した批判的検討が必要不可欠である。

歴史学的な視点から物事を俯瞰し、情報の中に潜むノイズや意図的な歪みを見抜く冷静な視点が、我々には常に求められているのである。

驚異的な情報処理速度と読書の技術

膨大な情報を吸収し続けるためには、必然的にそれを処理するための圧倒的な速度が必要となる。

彼の日記には、その常人離れした情報処理能力の一端がさりげなく記されている。

「こだま」で新大阪へ。車中で文庫本二冊を読み終える。(P.87「わたしの情報日記」)

何気ない一文であるが、これは冷静に考えると異常なほどの読書速度である。

著者は当時、神奈川県の茅ヶ崎に住んでいた。

新幹線の乗車駅を小田原だと仮定すると、茅ヶ崎から小田原までが在来線で約25分かかる。

そして、小田原から「こだま」に乗って新大阪へ向かうには、現在でも約184分、およそ3時間の乗車時間が必要となる。

諸々の乗り継ぎや待ち時間などを多めに見積もって、全体で4時間の移動だったとしよう。

その限られた時間の中で文庫本を2冊読了しているということは、単純計算で2時間に1冊、速ければ1時間30分で1冊を読み終えているペースである。

それだけの膨大なテキストデータを瞬時に脳内で処理し、意味として再構築するスピードがなければ、やはりプロの作家として第一線で活躍し続けることは難しいのかもしれない。

真の知的生産を行うためには、入力の速度を極限まで高める基礎体力が必要であることを思い知らされる。

私自身も、日々の情報収集においてもっと読書速度を上げ、同時に執筆の速度も高めていきたいと強く感じた。

交友関係と知のネットワーク

孤独な執筆作業の裏側で、著者は多様な人物との直接的な対話も大切にしていた。

人との出会いもまた、彼にとっては重要な情報の源泉であったのだ。

名古屋への途次、浜松で途中下車し、短時間、藤枝静男さんのお宅を訪ねる。(P.94「わたしの情報日記」)

著者は一見すると孤独を愛するタイプにも思えるが、意外にも交友関係が広く、他の作家たちとの直接的な交流を積極的に持っていたことが窺える。

自分自身の印象としては、彼はそこまで多くの人と群れるような雰囲気ではないと感じていたため、少し意外な発見であった。

藤枝静男(ふじえだ・しずお、1907年~1993年)のような独自の文学世界を持つ先輩作家との交流も、彼に新たな視点を与えていたに違いない。

確か別の書籍などでは、柴田錬三郎(しばた・れんざぶろう、1917年~1978年)や、石原慎太郎(いしはら・しんたろう、1932年~2022年)、さらには若き日の村上龍(むらかみ・りゅう、1952年~)などについても触れていた記憶がある。

また、佐高信(さたか・まこと、1945年~)の著作か何かで、猪瀬直樹(いのせ・なおき、1946年~)などについて書かれていたことも思い出した。

多様な思想や背景を持つ人々とのネットワークは、情報の交差点として機能し、彼の思考をより柔軟で強靭なものへと鍛え上げていったのだろう。

アンテナの感度を保つための自己規律

どれほど優れた知識を持っていても、それを受け入れる土壌が荒れていれば新しいものは育たない。

著者は、自らの情報受信の感度を落とさないための精神的な工夫を明かしている。

平凡なことだが、できるだけオープンな心を持ち、さまざまな人とつき合い、常に自らの受信性能を良くすること。決して、自己を肥大させないこと等々、いくらでも工夫できそうである。(P.162「わたしの情報日記」)

これは、自身の視野を狭く固定化させないための極めて実践的な方策である。

通信工学におけるアンテナの性能と同じように、人間の情報受信能力もまた、日々のメンテナンスを怠れば容易に錆びついてしまう。

思考の柔軟性を保つためには、過去の成功体験に固執せず、不要なプライドを捨て去ることが重要である。

それと同時に、自分とは異なる価値観を持つ新しい要素を、定期的に、そして意図的に外部から取り入れていく努力が求められる。

自己を過剰に肥大させてしまうと、他者の意見を受け入れる余白がなくなり、結果として時代性から取り残された、いわゆる老害的な状態に陥ってしまう。

常に自らの心をオープンに保つというこの戒めは、私自身も強く肝に銘じておきたい重要な教訓である。

日々の積み重ねがアイデンティティを創る

人は他者の目を気にして生きる生き物だが、最も厳しい観察者は自分自身である。

著者は、日々の生活態度がその人の根本的な人間性を決定づけると説く。

客の目は、節穴ではない。それに、その人にとって、毎日の生き方そのものが人間をつくって行く。(P.222「某月某日」)

確かに、世の中には本質を見抜けない節穴のような目を持った人もいるかもしれない。

しかし、決して騙すことのできない鋭い観察眼を持った人も確実に存在している。

そして何よりも恐ろしいのは、自分自身が自分の生き方を最も近くで、常に監視しているという事実である。

毎日の行動の積み重ねが、自分という人間の価値やアイデンティティを形成していく。

であるならば、私たちは毎日を、自分自身が心から納得のいくものへとデザインしていかなければならない。

もちろん、時には適切な休息や息抜きを挟みながら、長期的な視点で自己の人間性を磨き続けていく覚悟が必要なのである。

世界に向けた自己ブランディング

作家にとって、自らの作品は最高の名刺であり、自己紹介のツールとなる。

著者は、海外の人々に対して自らをどう提示すべきかを明確に持っていた。

幸い、『落日燃ゆ』の英訳本が出ており、外人にはこの書を呈上することで、わたしという作家を理解してもらうことにしている。(P.240「ミドルの悩み 他」)

これは、海外という未知のオーディエンスに向けて、自らのイメージをどのように発信していくかという自己ブランディングの戦略的な話である。

そして、自身の代表作である『落日燃ゆ』が、彼にとってどれほど強い自信作であったかという証明でもある。

複雑な日本の歴史的背景と人間の心理を見事に描き切ったこの作品は、言語の壁を越えて世界中の読者の心を打つ普遍性を持っている。

自分が何者であるかを説明するために、言葉を尽くすのではなく、自らの最高の仕事を見せる。

プロフェッショナルとしての誇りと、作品に対する絶対的な信頼が感じられる素晴らしいエピソードである。

慢心という病と歴史の教訓

歴史上の出来事や人物の逸話も、彼にとっては現代を生き抜くための重要な情報ソースであった。

権力の絶頂にある人間に対する、ある商人による痛烈な皮肉が紹介されている。

秀吉が山崎の戦いに勝ったその年の夏、堺屈指の豪商天王寺屋宗及は、ある月見の宴で一句詠む。
われなりと 慢ずる月の 今宵かな
天下をとったと、すでに慢心の気配のある秀吉に対する痛烈な皮肉である。(P.251「ミドルの悩み 他」)

ここで登場する天王寺屋宗及(てんのうじや・そうきゅう、生年不詳~1591年)は、歴史に名を残す堺の豪商であり、高名な茶人でもあった。

権力者である豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし、1537年~1598年)のわずかな慢心の兆候を見逃さず、それを優雅な句に仮託して皮肉るという高度な知性がそこにはある。

私自身、この人物の深い洞察力や、この句が詠まれた背景については全く知らなかった。

著者の歴史に対する造詣の深さと、そこから教訓を抽出する見事な手腕には感嘆するしかない。

本当に頭が良い人とは、ただ知識を詰め込むだけでなく、それを現実の人間観察に応用できる人のことを指すのだろう。

慢心は、すべての判断を狂わせる恐ろしい病である。

どれほど状況が良くなっても、常に適度な不安感や危機感を抱き続けることこそが、正しい精神の在り方なのかもしれない。

次善の策を打ち出し続ける思考の持久力

困難な状況に直面した時、人はどのような思考回路を持つべきか。

著者は、歴史上の偉人を評した言葉を引用して、その答えを提示している。

「最善を得ざれば次善。次善を得ざれば、その次善を」とは、徳富蘇峰の大久保利通評だが、焦らず、辛抱して、じっくり立ち向かって行くことだ。いい意味で、鈍であること。そして、ある程度、楽天的であること。(P.262「ミドルの悩み 他」)

ジャーナリストであった徳富蘇峰(とくとみ・そほう、1863年~1957年)による、明治の元勲である大久保利通(おおくぼ・としみち、1830年~1878年)へのこの評価は、極めて実践的な危機管理の極意である。

最善のシナリオが崩れた時に絶望するのではなく、即座に次善の策を構築し、それもダメならさらに次の策を用意すること。

大久保利通という人物の凄みや、それを正確に言語化した徳富蘇峰の観察眼について、さらに深く勉強してみたいという意欲を掻き立てられる。

著者はこの思考法を支える要素として、柔軟な思考力、長期的な忍耐、些細なことに動じない鈍感力、そして未来を信じる楽天性が必要だと説いている。

特に、次善、さらに次善と諦めることなく代替案を繰り出し続ける「思考の持久力」は、現代社会を生き抜くための最強の武器となるだろう。

組織と人間関係における選択の覚悟

組織に属して働くことの本質について、著者は極めて冷徹かつ的確な定義を与えている。

人間関係の煩わしさは、組織というシステムの構造上の宿命である。

わたしは、サラリーマンになることは、「人間関係についてえり好みができぬこと」を承認し、そうした人間関係に耐えることを約束することだ、と思う。(P.279「ミドルの悩み 他」)

これほどまでに、組織に属して働くことの核心を突いた分かりやすいまとめ方は他にないだろう。

会社という組織においては、上司や同僚、部下を自分自身の意思で自由に選ぶことは原則として不可能である。

その与えられた環境の中で、いかに摩擦を減らし、協調して成果を出していくかという耐久レースに参加する契約を結ぶこと、それが組織に属するということの真意である。

著者のこの的確な分析には、全面的に同意せざるを得ない。

私自身も、そうした理不尽な人間関係の強制や組織の論理に縛られることがどうしても無理だと感じたからこそ、独立して自らの足で歩む道を選んだのである。

自分の適性を正しく理解し、それに合った環境を選択することが、人生の質を決定づけるのだと改めて感じさせられる言葉である。

まとめ:飽くなき情報の探求が生んだ巨大な知性

本書を通して見えてくるのは、城山三郎という一人の人間の、真摯で泥臭いまでの生活の実態である。

巻末に収められた飯塚昭男(いいづか・あきお、1933年~2003年)による優れた解説も、著者の人物像をより立体的に浮かび上がらせるのに一役買っている。

その性格は極めて生真面目であり、常に自己研鑽を怠らない生粋の勉強家であったことがよく分かる。

彼の驚異的な情報収集能力と処理能力の根底にあったものは、敗戦によって自らのアイデンティティが崩壊したことによる、強烈な自己否定と情報への飢餓感であった。

焼け野原の中で、彼は一から新しい自分自身の精神的な骨格を作り上げる必要に迫られた。

そのための確固たる指針と建築資材として、世界中のあらゆる知識や情報がどうしても必要だったのである。

彼が経済小説だけでなく、歴史小説の分野でも優れた足跡を残していた理由も、この徹底した情報への執着を見れば納得がいく。

『わたしの情報日記』は、単なる読書の記録や思考の断片を集めた本ではない。

これは、一人の人間が圧倒的な絶望の中から立ち上がり、情報という武器を手に自らの知性を巨大な城へと築き上げていく、壮大な魂のドキュメンタリーなのである。

書籍紹介

関連書籍

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文化のみち二葉館

文化のみち二葉館(ふたばかん)は、愛知県名古屋市東区橦木町にある展示施設。旧川上貞奴邸(きゅうかわかみさだやっこてい)とも呼ばれる。2階には、名古屋にゆかりのある文学資料室があり、城山三郎の関連資料や復元された書斎なども展示されている。

公式サイト:文化のみち二葉館