『ニッポン天才伝』上山明博

上山明博の略歴

上山明博(うえやま・あきひろ、1955年~)
ノンフィクション作家、科学ジャーナリスト。
岐阜県の生まれ。

『ニッポン天才伝』の目次

化学の父 桜井錠二 百年後の日本をめざした化学者
アドレナリンの父 高峰譲吉 アメリカンドリームを体現した男
酸化酵素の父 吉田彦六郎 ジャパンを研究した日本人
ビニロンの父 桜田一郎 高分子化学のパイオニア
飛行機の父 二宮忠八 ライト兄弟に先駆けた男
蓄電池の父 島津源蔵 「日本のエジソン」と謳われた発明王
放送の父 安藤博 「東洋のマルコーニ」と言われた天才少年発明家
地震学の父 大森房吉 関東大震災に殉じた地震研究の世界的権威
天気予報の父 藤原咲平 本邦初のお天気博士
竜巻研究の父 藤田哲也 「ミスター・トルネード」と呼ばれた竜巻博士
ペースメーカーの父 田原淳 心臓が動く謎に挑んだ解剖学者
胃カメラの父 杉浦睦夫 胃袋の闇に光を当てた光学技師
類体論の父 高木貞治 「数論の神様」と称された現代数学の巨人
特殊合金の父 増本量 現代の錬金術師
量子統計力学の父 久保亮五 湯川秀樹とノーベル賞を競ったもう一人の天才
ゲル科学の父 田中豊一 生命の起源に挑んだ五十四年の生涯
あとがき――日本人と独創力
近代科学史年表
主な参考文献

概要

2007年9月25日に第一刷が発行。朝日選書。279ページ。ソフトカバー。128mm✕188mm。四六判。

副題は「知られざる発明・発見の父たち」。

P.247のあとがきに「なお、本書は富士通広報誌『飛翔』(一九九八年一月~二〇〇六年一月)並びにPHP研究所の月刊誌『歴史街道』(二〇〇六年八月)に掲載した初出原稿に、大幅に加筆修正を加えたものである」と書かれている。

また2018年6月4日には電子書籍版『ニッポン天才伝』も。電子書籍化に当たって、本文を適宜増補改訂しているとのこと。

取り上げられているのは、以下の16人。

桜井錠二(さくらい・じょうじ、1858年~1939年)…化学者。石川県金沢市の生まれ。研究分野は、物理化学。加賀藩立の英学校の致遠館、七尾語学所を経て、藩の貢進生として開成学校に入学。大学南校を経て、文部省の国費留学生としてロンドン大学に留学。

高峰譲吉(たかみね・じょうきち、1854年~1922年)…化学者、実業家。富山県高岡市の生まれ。石川県金沢市の育ち。工学博士及び薬学博士。1865年、12歳で加賀藩から長崎留学生に抜擢され、英語を学ぶ。1868年には、京都の安達兵学塾、大阪の適塾に転学、翌年には大阪医学校、さらに大阪舎密局にて化学を学ぶ。1872年に上京して勧工寮技術見習、1874年には工部省工学寮(のち工部大学校に改称)に第一期生として入学、1879年に工部大学校化学科、後の東大工学部応用化学科を首席で卒業。1880年から英国グラスゴー大学への3年間の留学を経て、農商務省に入省。

吉田彦六郎(よしだ・ひころくろう、1859年~1929年)…化学者。広島県福山市の生まれ。1871年、大学南校に入学し、1877年に東京帝国大学理学部化学科でロバート・ウィリアム・アトキンソンに師事、メントールの研究を行なう。1880年に卒業して農商務省に入り漆の研究を始める。

桜田一郎(さくらだ・いちろう、1904年~1986年)…化学者。京都府の生まれ。京都一中、三高を卒業。1926年、京都帝国大学工学部工業化学科を卒業。1931年に工学博士。

二宮忠八(にのみや・ちゅうはち、1866年~1936年)…軍人、航空機研究者、実業家。愛媛県八幡浜市の出身。

島津源蔵(しまづ・げんぞう、1869年~1951年)…実業家、発明家。京都府京都市の生まれ。2代目の島津源蔵。幼名は、梅次郎。島津製作所を創業した父の初代・島津源蔵(1839年~1894年)の後を継ぎ、同社の2代目社長を務めた。

安藤博(あんどう・ひろし、1902年~1975年)…発明家。滋賀県大津市の出身。明治学院中等部、早稲田大学理工学部を卒業。

大森房吉(おおもり・ふさきち、1868年~1923年)…地震学者、地球科学者。福井県福井市の生まれ。創立したばかりの旭小学校に入学し、3年生の時にに上京。1877年、官立阪本学校(現・中央区立阪本小学校)に転入。1881年、共立学校(現・開成高校)に進学。1883年、東京大学予備門本学に入学。1887年、帝国大学理科大学(現・東京大学理学部)に入学。1890年に帝国大学理科大学物理学科を卒業、その後大学院で気象学と地震学を専攻。

藤原咲平(ふじわら・さくへい、1884年~1950年)…気象学者。長野県諏訪市の出身。高島尋常小学校・諏訪高等小学校(現・上諏訪小学校)を卒業。諏訪郡立実科中学校・長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、第一高等学校第2部を卒業。1909年7月に東京帝国大学理論物理学科を卒業し、中央気象台(現・気象庁)に入って技術見習員講師となる。

藤田哲也(ふじた・てつや、1920年~1998年)…気象学者。福岡県北九州市の出身。小倉中学校(現・福岡県立小倉高等学校)を卒業。明治専門学校(現・九州工業大学)工学部機械科を卒業すると同時に、同大学で助手、物理学助教授に就任する。

田原淳(たはら・すなお、1873年~1952年)…病理学者。大分県国東市の出身。1889年に上京して東京英語学校と独逸学教会学校で学ぶ。1892年、伯父の中津藩医・田原春塘の養子に。1898年に第一高等学校を卒業、1901年に東京帝国大学医学部を卒業。1903年に私費でドイツに留学、マールブルク大学の病理学教室でルードヴィッヒ・アショフ(Ludwig Aschoff、1866年~1942年)に師事。

杉浦睦夫(すぎうら・むつお、1918年~1986年)…技術者。胃カメラの開発者。静岡県浜松市の出身。東京写真専門学校(現・東京工芸大学)を卒業。オリンパス光学工業株式会社に入社。

高木貞治(たかぎ・ていじ、1875年~1960年)…数学者。岐阜県本巣市の出身。岐阜尋常中学校(現・岐阜高等学校)、第三高等学校(現・京都大学)、帝国大学理科大学数学科(後の東京帝国大学理学部数学科)を卒業。

増本量(ますもと・はかる、1895年~1987年)…金属物理学者。広島県広島市の出身。私立修道学校、東北帝国大学理学部を卒業。

久保亮五(くぼ・りょうご、1920年~1995年)…物理学者。東京都の出身。台北高等学校尋常科から東京府立第五中学校に転学し4年で修了、第一高等学校理科甲類、東京帝国大学理学部物理学科を卒業。

田中豊一(たなか・とよいち、1946年~2000年)…物理学者。新潟県長岡市の出身。東京都立日比谷高等学校、東京大学理学部物理学科、東京大学大学院博士課程を修了。

感想

小説家の新田次郎(にった・じろう、1912年~1980年)のエッセイか、もしくは妻・藤原てい(ふじわら・てい、1918年~2016年)の作品で、伯父である藤原咲平のことを知った。

ちなみに、新田次郎の本名は藤原寛人(ふじわら・ひろと)で気象学者。気象庁職員として富士山気象レーダー建設などにも携わっている人物。

何か藤原咲平のことが書かれている本を探していたら見つけたのが『ニッポン天才伝』

ざっくりと情報を確認してみたら、興味深そうな人物たちが豊富に掲載さている。面白そうということで購入。

いくつか他の人物についても、引用しながら記述してみる。

地震を研究するために不可欠な地震計は、日本で誕生した。明治十三年(一八八〇)、日本政府のお雇い外国人教師ジェームズ・アルフレッド・ユーイング(James Alfred Ewing, 1855-1935)が水平振子を製作したことにはじまる。(P.119「地震学の父 大森房吉」)

ジェームズ・アルフレッド・ユーイングは、イギリスのスコットランド生まれの物理学者。エディンバラ大学(The University of Edinburgh)に奨学生として入学し、卒業後にはグラスゴー大学(The University of Glasgow)に勤務。1878年9月に来日。

地震計が、日本において、外国人の手によって生まれたというのが面白い。

地震が多い地域である日本という立地、そして日本が当時そこまで地震学に関する研究者が少なかった、もしくは海外の研究者の方がさまざまな面で学識があった、という感じか。

日本政府が有能な外国人たちを招聘していた時期か。

札幌農学校(現・北海道大学)の初代・教頭のウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark、1826年~1886年)も、1876年7月に来日しているし。日本の教育や学問などの成長の時代か。

藤原咲平は、第一高等学校(一高)に入学し、特に新渡戸稲造の「倫理」と夏目漱石の「英語」の授業を、一度も欠かさずに熱心に聴講した。咲平が気象学に接するきっかけは、この頃に遡る。(P.137「天気予報の父 藤原咲平」)

教育者・新渡戸稲造(にとべ・いなぞう、1862年~1933年)と英文学者で小説家・夏目漱石(なつめ・そうせき、1867年~1916年)が登場。

おお、凄い。

そこで思い出した人物。俳人の荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい、1884年~1976年)。藤原咲平と同じ生年で、第一高等学校、東京帝国大学を卒業している人物。

荻原井泉水の本でも、夏目漱石の話とか出ていたから思い出した。

藤原咲平と荻原井泉水に交流があったら面白い。顔見知り程度くらいだったりは可能性はあるか。

当時の教育制度や浪人、留年とかが不明だから、同一の学年だったかも分からない。他にも一つ年齢が下になるが、同じく第一高等学校、東京帝国大学を卒業している俳人の尾崎放哉(おざき・ほうさい、1885年~1926年)との関わりとかも、あったら面白い。

今まで読んだ荻原井泉水や尾崎放哉の書籍の中で、藤原咲平が出てきていないので、深い交流は確実に無かったのだろうな。

第一に、この研究所には老朽化の心配がない。第一にこの研究所は自由であり、独創性に富む。第三にコストパフォーマンスが良い。(P.228 「量子統計力学の父 久保亮五」)

久保亮五「随筆――老人研究所」『日本学術会議月報』に書かれた内容。1982年8月・第23巻第8号に記載されたもの。

老人を研究する研究所ではなく、老人が研究する研究所の設立を構想した久保亮五。そこでのメリットを挙げているのが上記の引用。

これは笑った。第一と第三は、かなり直接的な気もする。第ニのメリットは、確かにそうかもしれない。俗縁なども、かなり無くなり自由度が増しているから。

こういった発想が出るというのが、そもそも久保亮五の才能というか、知的柔軟性なのかもしれない。

というわけで、以下にまとめ。

まずは、こんなにも素晴らしい研究者、科学者たちがいたのかと驚いた。知らないことが多くて勉強になった。もちろん、その分野に関しては理解が及ばないものが多々あったが。

というよりも、これを書き上げた上山明博が凄まじい。

それぞれの人物紹介が上手くまとめ上げられているし。むしろ、もう少し文章量を多くしてくれても良かったくらい。

まあ、各人物たちについては、個別でより調べていこうと思う。主要参考文献も豊富に掲載されているので、さらに深掘りも可能だし。

理系や文系といったことに関わらず、多くの人が楽しめるオススメの科学系ノンフィクション作品である。

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