『文章読本』丸谷才一

丸谷才一の略歴

丸谷才一(まるや・さいいち、1925年~2012年)
作家、文芸評論家、翻訳家。
山形県鶴岡市の出身。鶴岡市立朝暘第一尋常小学校、旧制鶴岡中学校を卒業。
東京の城北予備校に1年間通学。新潟高等学校文科乙類を卒業。東京大学文学部英文科を卒業、東京大学大学院人文科学研究科の修士課程を修了。
1968年に『年の残り』で、第59回芥川賞を受賞。

『文章読本』の目次

第一章 小説家と日本語
第二章 名文を読め
第三章 ちよつと気取つて書け
第四章 達意といふこと
第五章 新しい和漢混淆文
第六章 言葉の綾
第七章 言葉のゆかり
第八章 イメージと論理
第九章 文体とレトリック
第十章 結構と脈絡
第十一章 目と耳と頭に訴へる
第十二章 現代文の条件
主要引用文献一覧
わたしの表記法について

概要

1977年9月20日に第一刷が発行。中央公論社。単行本。ハードカバー。317ページ。127mm×188mm。四六判。

作家、文芸評論家、翻訳家として活躍する丸谷才一が書いた文章論。豊富な例文を挙げながら解説。

目次の通り、12の章から構成される。

主要引用文献一覧もあるので、さらにそこから掘り下げていくことも可能な配慮の行き届いた本。

1995年11月18日には文庫版も刊行されている。

感想

前々から何故か、『文章読本』は購入していた。でも、読んでいないままだった。

そんな折に、俳人・種田山頭火(たねだ・さんとうか、1882年~1940年)関連の書籍を探していて丸谷才一の『横しぐれ』という著作を知った。

そういえば、丸谷才一の本を持っていたことを思い出して、『文章読本』を読み始めた。

結論としては、とても面白かった。

今から約50年程前であり、また独特の文字表記もあるので、とっつきにくい感じは否めないが、興味深かった。

例文も古文や擬古文、漢文などもあり、ちょっと分からないところも多かったけれど。

結局のところ、過去の名文を沢山読むことが、文章を書く上での重要なポイントというか、経験値になるというもの。

以下、引用などを含めながら考察。

たとへば森鷗外は年少の文学志望者に文章上達法を問はれて、ただひとこと、『春秋左氏傳』をくりかへし読めと答へた。『左傳』を熟読したがゆゑに彼の文体はあり得たからである。(P.20「第二章 名文を読め」)

陸軍軍医であり小説家であった森鷗外(もり・おうがい、1862年~1922年)。

ここに挙げているということは、丸谷才一も評価していたということである。自分も好きな作家であるので、何となく嬉しくなった。

『春秋左氏傳』(しゅんじゅうさしでん)は、思想家・孔子(こうし、紀元前552頃~紀元前479年)の弟子の左丘明 (さ・きゅうめい、生没年不詳) の著といわれる『春秋』の解釈書。

『春秋』は、中国、春秋時代の歴史書。五経の一つ。魯(ろ)の史官の遺した記録に孔子が加筆し、自らの思想を託したといわれる。

漢文を読むと語彙が増えて、文章力も上がるということか。

ちなみに、森鷗外は、漢文に加えて、英語、ドイツ語も出来る。やはり、その膨大な知識量というか、吸収した語彙の桁が違い過ぎるという感じか。

続いて、そのまま、そのような伝統を学ぶ方法が才能であるという主旨の話も。

ところで、名文であるか否かは何によつて分れるのか。有名なのが名文か。さうではない。君が読んで感心すればそれが名文である。たとへどのやうに世評が高く、文学史で褒められてゐようと、教科書に載つてゐようと、君が詰らぬと思つたものは駄文にすぎない。(P.26「第二章 名文を読め」)

名文の定義についての部分。

これが名文である、とか、名文の要素はこれである、ということではない。

読者自身が読んで名文だと思ったら、名文である、ということ。

なかなか面白い定義というか、発想である。

何となく気張っていた肩の力が抜けて、思わず、なるほどと納得してしまう。

つまりは、自分の感性を重視せよ、ということと認識。

谷崎は、白楽天は自作の詩をまづ無学な爺さん婆さんに読んで聞かせ、解しがたい語があるときはただちに改めたといふ挿話を紹介して、われわれもこれに学ぶべきだと説く。(P.106「第六章 言葉の綾」)

谷崎というのは、小説家の谷崎潤一郎(たにざき・じゅんいちろう、1886年~1965年)。

ちなみに谷崎潤一郎も、1934年に同名の『文章読本』という書籍を出している。

白楽天(はく・らくてん)とは、中国・唐代の詩人・文学者である白居易(はく・きょい、772年~846年)のこと。

誰にでも分かるような文章を書くという指針。

この文章の前には、誰にとって分かりやすい文章を書くのかについて、問題提起。

この文章の後には、詩人の場合は、上記の文章の逆に、無学の人には分からないような言葉を使って、作品を書くことが多いとも。

特段、丸谷才一は、この件について否定しない。

確か思想家・教育者の福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち、1835年~1901年)も「文章は猿にでも分かるように書け」といった旨の指南をしていたという話を聞いたことがある。

分かりやすさというのは、大切な要素の一つである。

必要欠くべからざる引用ならどんなに長くてもかまはない。何度してもいい。肝要なのはさういふ弁解が要らないくらゐ必然的な引用をすること、引用文に負けないだけの質の高い文章を自分も書くこと、それによつて引用文の筆者を立てることなのである。(P.145「第七章 言葉のゆかり」)

「さういふ弁解」とは、この文章の前に「いささか長い引用になるが、とか、またしても引用で恐縮だが、などと言ひわけするのは愚の骨頂だらう」と書かれている、言い訳の部分。

「引用文に負けないだけの質の高い文章」という力の強い文章が、輝いている。

ある種の文章と文章による勝負というか、切磋琢磨というか、相乗効果という感じか。

そのような質の高い文章を書けるようにしていきたいところである。

たとへば林達夫があれほどの文章を書けるのは彼の語学力と切つても切れない関係があるといふことを、わたしはやはり言つておかなければならない。ある程度、西欧の文章に親しめば、日本語で書く時にもおのづから思考が生活から離れたものでなくなり、つまり論理的な文章をかくやうになる……はずなのである。さうは問屋がおろさない場合も、もちろんあるにしても。(P.288「第十二章 現代文の条件」)

思想家・評論家の林達夫(はやし・たつお、1896年~1984年)について言及。

林達夫は、幼少期の数年にアメリカのシアトルで過ごしている。福井や京都で過ごし、第一高等学校第一部丙類に入学するが後に中退。

京都帝国大学文学部哲学科(選科)に入学して卒業した人物。

英語とフランス語に堪能だったようだ。

また、ここでの補足として、英語は一つの単語で浅い意味から深い意味まで表すので、生活に根付いた言葉である。

日本語は、それぞれ細分化され、意味の限定された言葉も多く、抽象的な言葉もある。

そのため、場合によっては日常生活と掛け離れた言葉も多くなる、という考察が上記の文章の前に書かれている。

さまざまな言語に知悉していることは、やはり日本語の文章を書く上でも大きな手助けとなる、ということか。

もっともっと素敵な文章に触れたいし、自分も上質の文章を書いていきたいと思う。

初心者には、読み進めるのが少し大変かもしれないが、中級者以上には、非常にオススメの本である。

丸谷才一の他の著作や谷崎潤一郎の『文書読本』も読んでみたいと思う。

書籍紹介

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