
- 読者との接点
- 意外性の演出
- 物語の威力
- 構成の工夫
奥山晶二郎の略歴・経歴
奥山晶二郎(おくやま・しょうじろう、1977年~)
新聞記者、withnews創刊編集長。
北海道の生まれ。立命館大学産業社会学部を卒業。 2000年に朝日新聞社に入社。サムライト取締役CCO(Chief Content Officer)。
『スマホで「読まれる」「つながる」文章術』の目次
はじめに
1章 スマホという読まれる「場所」を意識する
2章 「親近感」「自分ごと化」で読まれる
3章 つながる文章には、まず「自分を出す」
4章 読まれた先でユーザーを動かすには?
5章 炎上やアンチともうまくやっていく
6章 マンガ、動画……文章以外でつながる
おわりに
『スマホで「読まれる」「つながる」文章術』の概要・内容
2023年2月17日に第一刷が発行。ディスカヴァー・トゥエンティワン。238ページ。
題名の前に「朝日新聞ウェブ記者の」と付く。
表紙には、“ウェブメディア「withnews」創刊編集長の伝える極意”や、“拡散、完読されてユーザーを動かす”の表記も。
また、“伝えたいことは、はじめに書かない”、“答えのない文章を書いていい”、“オチは早めに言う”、“「やってみた」系の体験談は強い”とも。
『スマホで「読まれる」「つながる」文章術』の要約・感想
- 読者の世界と自分の世界をつなぐ言葉選び
- 既視感を打ち破る「違和感」というスパイス
- 主役を「モノ」から「ヒト」へ移す物語の力
- 読者を引き込む時間軸の魔術
- 議論を誘発する「モヤモヤ」という余白
- 本書は「文章術」の先にある何を教えてくれるのか
- 結論:全ての情報発信者が持つべき「編集者の視点」
この記事は、情報発信が誰にとっても不可欠なスキルとなった現代において、多くの人が抱える
「どうすれば自分の文章が読まれ、人の心に届くのか」
という根源的な問いに、一つの明確な答えを示す書籍について論じるものである。
紹介するのは、新聞記者であり、ウェブメディア「withnews」の創刊編集長も務めた奥山晶二郎(おくやま・しょうじろう、1977年~)による『スマホで「読まれる」「つながる」文章術』だ。
本書のタイトルは「文章術」と銘打たれているが、その本質は単なる文章の書き方、テクニックの紹介に留まるものではない。
むしろ、スマートフォンという現代の主要な情報接触デバイスを前提とした、コンテンツ全体の設計思想に着目する。
すなわち「どうすれば情報が受け手に届き、共感を呼び、さらには行動を促すことができるのか」という、より大きな問いに対する実践的な手引書と呼ぶべき内容である。
ウェブメディアが乱立し、SNSでは膨大な情報が滝のように流れ続ける。
そんな情報過多の時代において、書き手がどれだけ情熱を込めて文章を綴っても、読者の目に留まらなければ存在しないのと同じである。
読者の可処分時間は有限であり、その貴重な時間を自らのコンテンツに割いてもらうためには、戦略的な思考が不可欠となる。
この記事では、同書で語られる数々の手法を深掘りし、その背景にある思想や、実際の現場でどのように活用できるのかを、具体的な考察と共に解き明かしていく。
本書が、特に情報発信の初心者にとってなぜ価値があるのか、そして「文章術」という言葉の先に広がる、これからの時代のコンテンツ作りの要諦とは何かを、多角的な視点から論じたい。
これから自身の言葉で何かを伝えたいと願うすべての人にとって、有益な洞察を提供できれば幸いである。
読者の世界と自分の世界をつなぐ言葉選び
情報発信の第一歩は、書きたいことを書くことではない。
読者が何を知りたいのか、どのような言葉で情報を探しているのかを理解することから始まる。これは、ウェブ上で文章を公開する際の、最も基本的かつ重要な原則である。
著者の奥山晶二郎は、この点について極めて明確に指摘している。
単にアクセス数を稼ぐための小手先の技術としてではなく、読者との最初の接点を築くための誠実な行為として、検索される言葉を意識する必要性を説いているのだ。
検索に引っかかる言葉を考えることは、単なる数字狙いではなく、ユーザーとつながるためにも大切なことです。(P.28「1章 スマホという読まれる「場所」を意識する」)
この一文は、ウェブにおけるコミュニケーションの本質を的確に捉えている。
新聞や雑誌といった旧来のメディアでは、編集者や記者が設定した議題が読者に届けられる、という一方向的な情報の流れが主であった。
しかし、インターネットの世界では、ユーザーが自らの興味や疑問に基づいて「検索」という能動的な行為を行う。
書き手が伝えたい専門的な用語や、業界内でしか通用しない言葉をいくら並べても、読者の検索キーワードと一致しなければ、両者が出会うことはない。
例えば、最新の金融商品を解説する際に「デリバティブ」という言葉を使っても、その言葉自体を知らない人には届かない。
「お金の増やし方」「初心者 投資」といった、より一般的で平易な言葉で語りかける必要があるのだ。
これは、読者に寄り添う姿勢そのものである。相手の目線に立ち、相手が使う言葉で語りかける。
そのために、グーグルのサジェスト機能やキーワードプランナーといったツールを活用し、読者がどのような言葉で悩みを検索しているのかをリサーチすることは、もはや情報発信者の必須の作法と言えるだろう。
読者の使う言葉を理解し、それに合わせて自らの表現を調整する。
この地道な作業こそが、無数の情報が漂う広大なウェブの海で、読者という名の船と確実に出会うための、唯一の灯台となるのである。
それは単なる技術ではなく、読者への想像力であり、コミュニケーションの第一歩に他ならない。
既視感を打ち破る「違和感」というスパイス
読者の注意を引き、その他大勢のコンテンツから一線を画すためには、何が必要だろうか。
その答えの一つが、「違和感」の創出である。人は、見慣れたもの、予測可能なものには注意を払わない。
しかし、そこに少しでも異質な要素が加わると、脳が刺激され、思わず目を留めてしまう。
奥山は、この「違和感」の重要性を、非常にシンプルかつ力強い言葉で表現している。
最も縁遠いものをぶつける。
違和感のある要素を組み合わせる。
ユーザーは、ありがちな構図に飽き飽きしています。(P.42「1章 スマホという読まれる「場所」を意識する」)
これは、コンテンツの企画段階において極めて有効な思考法である。
例えば、「最新スイーツ」というテーマで記事を書くとする。「人気パティシエが作る、ふわふわ食感の新作ケーキ」という切り口は、あまりにもありきたりで、読者の心には響きにくいだろう。
読者はすでに、そのような情報を何度も目にしており、既視感を覚えるだけである。
しかし、ここに「最も縁遠いもの」をぶつけてみるとどうなるか。
例えば、「元力士が作る、繊細なデコレーションケーキ」あるいは「AIがレシピを考案した、誰も食べたことのない未来のスイーツ」といった具合だ。
この組み合わせは、読者の頭の中に「なぜ?」「どういうこと?」という疑問符を生み出す。この疑問こそが、クリックや読み進めるという行動の引き金となるのだ。
この手法は、一種の「抑揚」であると捉えることができる。
平坦な一本道を歩き続けるのは退屈だが、予期せぬカーブや上り坂があれば、景色が変わり、歩くこと自体が楽しくなる。
文章やコンテンツも同様で、意外な要素の組み合わせという「揺さぶり」をかけることで、読者を飽きさせず、最後まで惹きつけることが可能になる。
ただし、注意すべきは、単に奇をてらえば良いというわけではない点だ。
その「違和感」には、最終的に納得できるだけのストーリーや理由が伴っていなければならない。
「元力士が作る」のであれば、なぜ彼がパティシエになったのかという背景の物語が、「AIが考案した」のであれば、その開発の経緯や味わいの独創性が、コンテンツの核としてしっかりと存在する必要がある。
表面的なインパクトだけを狙った無意味な組み合わせは、読者の期待を裏切り、かえって信頼を損なうことにもなりかねない。
あくまでも、伝えたい本質的な価値を、より効果的に届けるためのスパイスとして「違和感」を活用する。そのさじ加減こそが、書き手の腕の見せ所と言えるだろう。
主役を「モノ」から「ヒト」へ移す物語の力
商品の魅力を伝えたい、サービスの良さをアピールしたい。
そう考える時、多くの人はその商品やサービスそのものを主役にして語ろうとする。スペックの高さ、機能の多さ、価格の安さ。
しかし、そうした情報だけでは、人の心はなかなか動かない。なぜなら、そこには感情の入る余地が少ないからである。
奥山は、この課題を乗り越えるための一つのエレガントな解決策を提示する。それは、主役をずらす、という技術だ。
商品をアピールしたいなら、主役を「人」にずらす。そして、「人」の悩みや感情の中で、共感してもらえそうな内容を文章にする。(P.62「2章 「親近感」「自分ごと化」で読まれる」)
この視点の転換は、極めて強力である。例えば、高性能な掃除機を売りたいとしよう。
「吸引力No.1!微細なゴミも逃さない」と謳うだけでは、機能的な訴求に留まる。しかし、主役を「人」にずらしてみると、全く異なる物語が見えてくる。
「共働きで忙しい毎日を送る、ある夫婦。週末くらいはゆっくりしたいのに、掃除に時間がかかって喧嘩ばかり。そんな時、この掃除機と出会ったことで、掃除の時間が半分になり、二人の笑顔の時間が増えた」
上記のような使用者の物語。あるいは、掃除機の開発者の物語なども。
このような物語として語られることで、読者は単なる製品情報としてではなく、自分自身の生活や悩みに引きつけて内容を読み解くようになる。
掃除機は、もはや単なる「モノ」ではなく、夫婦関係を改善し、暮らしにゆとりをもたらす「コト」の象徴へと昇華されるのだ。
この「ずらし」の技術は、宣伝特有のいやらしさを消し去る効果も持つ。
企業が自社製品を褒め称えるのは当然であり、受け手は無意識のうちに警戒心を抱く。
しかし、主役が「人」の悩みや喜びの物語であれば、読者は素直にその世界に入り込み、感情移入することができる。
そして、その物語の重要な要素として登場する商品に対し、自然な形で好意や興味を抱くようになるのだ。
これは、あらゆる情報発信に応用できる考え方である。
伝えたいテーマが抽象的で難しいものであっても、それを実際に体験した「人」の物語として語ることで、格段に分かりやすく、共感を呼びやすいコンテンツになる。
私たちはスペックの羅列にではなく、人の生き様や感情の機微にこそ、心を動かされる生き物なのである。
読者を引き込む時間軸の魔術
人の心を掴む物語には、巧みな構成が存在する。
単に事実を時系列で並べるだけでは、読者は退屈してしまう。読み手の関心を持続させ、伝えたいテーマを深く印象付けるためには、時間と視点を巧みに行き来する構成力が求められる。
奥山は、ジャーナリストとしての自身の経験を基に、読者に関心を持ってもらうための「鉄板テク」として、エピソードで本編を挟む構成を紹介している。
書き手の「今」の個人的な体験から始まり、言いたいことである本編「難民問題」を語り、「今」の記者の反省で終わる。
記事は、本編を記者の体験したエピソードではさむ構成になっています。
2020年代から1970年代へ移動し、再び2020年代へ。
これが、ユーザーに関心をもってもらう鉄板テクの一つです。(P.103「3章 つながる文章には、まず「自分を出す」」)
この構成は、サンドイッチに喩えることができる。
書き手の個人的な体験という、読者にとって親しみやすい「パン」で、難民問題という硬質なテーマの「具材」を挟み込む。
これにより、読者は最初の「パン」で興味を惹かれ、抵抗なく「具材」を味わい、最後の「パン」で全体の味を再確認し、深い余韻に浸ることができるのだ。
具体的には、「現在(書き手の体験)→ 過去(本編のテーマ)→ 現在(書き手の反省や気づき)」という時間軸の移動が、読者の思考にダイナミズムを与える。
冒頭で提示された個人的なエピソードが伏線となり、本編を読む際の視点を与えてくれる。
そして、本編を読み終えた後で再び現在の視点に戻ることで、テーマが他人事ではなく、自分たちの生きる「今」と地続きの問題なのだと実感させられる。
この手法は、時間軸だけでなく、「自分(書き手)→ 他者(テーマの対象)→ 自分(書き手)」という視点の移動としても機能する。
書き手の個人的な視点から入ることで、読者はまず書き手という一人の人間に共感する。
その上で、その書き手が見つめる他者の問題に触れ、最後には再び書き手の内面に戻ってくることで、テーマに対する理解と共感が一体化した、立体的な読書体験が生まれるのだ。
この構成は、単に分かりやすくするだけでなく、書き手の誠実さや人間性を伝える上でも非常に有効である。
なぜ自分はこのテーマを語るのか。
その動機や問題意識を自らの体験と結びつけて示すことで、文章に血が通い、単なる情報の伝達を超えた、魂のこもったメッセージとなる。
難しいテーマを多くの人に届けたいと願うとき、この物語の構成術は、強力な武器となるだろう。
議論を誘発する「モヤモヤ」という余白
完璧に整理され、明確な結論が示された文章は、読者に知的な満足感を与えるかもしれない。
しかし、その満足感は、読了と同時に完結してしまうことが多い。一方で、読んだ後に何か心に引っかかる、考えさせられる、誰かと話したくなる。
そんな「モヤモヤ」を残す文章こそが、SNS時代においては拡散し、議論を巻き起こす力を持つ。
奥山は、この一見すると不完全に見える文章が持つ、逆説的な力を指摘している。
モヤモヤによって「私はこう思う」「私はこう感じる」といったユーザーの気持ちの入り込む余地が生まれる。
そして、それを発信したくなる。(P.157「4章 読まれた先でユーザーを動かすには?」)
これは、コンテンツにおける「余白」の重要性を示唆している。
書き手が1から10まで全てを語り尽くし、白か黒かを断定してしまうと、読者は「なるほど」と受け取るだけで、そこに自らの意見を差し挟む余地がなくなってしまう。
いわば、完成された絵画を鑑賞するようなもので、鑑賞者はその絵に何かを描き加えることはできない。
しかし、書き手があえて断定を避け、肯定も否定もせず、問題提起に留めたり、複数の視点を提示するだけにしたりすることで、コンテンツに意図的な「未完成」の部分、つまり「余白」が生まれる。
読者はその余白を見つけたとき、「自分ならこう思う」「いや、こちらの意見の方が正しいのではないか」と、自らの思考を働かせ、その空白を埋めようとする。
この「埋めたい」という欲求こそが、コメントやシェアといった、SNS上での発信行動の強力な動機となるのだ。
例えば、ある社会問題について論じる際に、「この問題の解決策はAである」と断定するのではなく、「Aという意見もあれば、Bという反論もある。また、Cという全く異なる視点も存在する。私たちは、この複雑な状況とどう向き合うべきだろうか」と問いかける。
このような「分かりにくさ」をそのまま提示することで、読者は自らの立ち位置を明確にし、意見を表明したくなる。
この手法は、書き手にとって勇気がいるかもしれない。
分かりやすい結論を示す方が、読者からの評価は得やすいように思えるからだ。
しかし、真に読者を動かし、社会的な対話を生み出したいと願うのであれば、あえて完璧な答えを提示しないという選択肢は、極めて戦略的であると言える。
もちろん、これは単なる思考停止や責任放棄とは違う。
多様な視点を公平に、かつ深く取材した上で、それでもなお残る「モヤモヤ」を誠実に提示する。
その知的な葛藤の共有こそが、読者の主体的な参加を促し、コンテンツを単なる読み物から、生きた対話のプラットフォームへと変貌させるのである。
本書は「文章術」の先にある何を教えてくれるのか
『スマホで「読まれる」「つながる」文章術』というタイトルから、多くの人は、より流麗な文章を書くための修辞法や、語彙を増やすための具体的な訓練法を期待するかもしれない。
しかし、本書を読み進めていくと、その期待が良い意味で裏切られることに気づくだろう。本書の核心は、いわゆる「美文」を書くための技術論ではないからだ。
本書が提供するのは、もっと根源的で、現代において遥かに重要なスキルセットである。
それは、文章という手段を用いて、いかにしてコンテンツを成立させ、読者との関係性を築き、最終的には社会との接点を生み出していくか、という「コンテンツ設計」の思想と実践である。
ユーザーの総論的な意見にもあるように、本書は「文章術」というよりも「コンテンツづくりの要点」をまとめた内容と言える。
そして、それは決して本書の価値を貶めるものではなく、むしろ現代における情報発信の本質を正確に捉えていることの証左である。
なぜなら、もはや「良い文章」を書くだけでは、誰にも読まれない時代だからだ。
考えてみてほしい。どんなに栄養価が高く、美味しい料理を作ったとしても、それが人里離れた山奥の、誰にも知られていない店で提供されているとしたら、誰も食べることはできない。
まず、店の存在を知ってもらい(検索キーワード)、店の前に立ってもらい(タイトル)、店内に入って席に座ってもらう(導入)という一連のプロセスがなければ、料理の価値は伝わらない。
本書で語られる、検索を意識した言葉選び、意外性のある組み合わせ、主役をずらす物語化、体験談を交えた構成、あえて余白を残す問題提起といったテクニックは、すべてこのプロセスを円滑に進めるためのものである。
文章そのものの巧拙を論じる前に、まずは読者と同じテーブルに着くための方法論が、徹底して語られているのだ。
この意味で、本書は特に、これから情報発信を始めようとする人々や、自分の文章がなぜか読まれないと悩んでいる人々にとって、最高の入門書となり得る。
高度で専門的な文章理論の前に、まず知るべき「届けるための作法」が、豊富な事例と共に、極めて平易な言葉で解説されているからだ。
挿絵やマンガを多用し、意図的にハードルを下げている点も、著者の「一人でも多くの人に届けたい」という真摯な姿勢の表れだろう。
結論:全ての情報発信者が持つべき「編集者の視点」
『スマホで「読まれる」「つながる」文章術』を読み解くことで見えてくるのは、奥山晶二郎という一人の優れた編集者の思考プロセスそのものである。
彼は新聞記者として事実を追求する目を持ちながら、同時にウェブメディアの編集長として、どうすればその事実が人々に興味を持たれ、読まれ、そして広がっていくのかを常に考えてきた。
本書は、その思考の軌跡を、誰にでも実践可能な形で体系化したものだ。
ここで語られるのは、単なるライティング技術ではない。
それは、自分の伝えたいことを、読者の興味や、メディアの特性、時代の空気感といった様々な要素と掛け合わせ、最適な形で世に送り出す「編集」の技術である。
情報発信が一部の専門家の独占物ではなくなった今、私たちは誰もが発信者であると同時に、自分自身のコンテンツの「編集者」とならなければならない。
自分の文章をいかにパッケージングし、どのような切り口で見せ、どのタイミングで発信するのか。
そうした戦略的な視点を持つことが、その他大勢の声にかき消されないために不可欠となっている。
本書は、そのための具体的な武器と考え方を、惜しみなく提供してくれる。
紹介されているテクニックの一つ一つは、決して目新しいものではないかもしれない。
しかし、それらがスマートフォン時代の読書行動という明確な文脈の上で再定義され、一貫した思想の下に統合されている点に、本書の最大の価値がある。
文章を磨くことはもちろん重要である。
しかし、それ以上に、自分の文章が置かれる「場所」を意識し、読者の心を想像し、コンテンツ全体を設計する視点を持つこと。
それこそが、これからの時代に求められる真の「文章術」なのかもしれない。
本書は、高度な表現技法を求める熟練者には、物足りなく感じられる部分もあるだろう。
だが、「読まれること」の壁に直面しているすべての人にとって、本書は暗闇を照らす確かな光となり、次の一歩を踏み出すための力強い後押しとなるはずだ。
それは、単なる知識の提供ではなく、読者とつながるための「勇気」を与えてくれる一冊なのである。









