- 読書の真意と自己
- 文章への向き合い方
- 美と表現と挑戦
- 教養の本質と思考と人格
小林秀雄の略歴・経歴
小林秀雄(こばやし・ひでお、1902年~1983年)
文芸評論家。
東京都千代田区の生まれ。白金尋常小学校、東京府立第一中学校(現在の日比谷高校)を卒業、第一高等学校の受験に失敗、翌年に合格し、第一高等学校文科丙類に入学。東京帝国大学文学部仏文科を卒業。
『読書について』の目次
Ⅰ
読書について
作家志願者への助言
文章鑑賞の精神と方法
読書の工夫
読書週間
読書の楽しみ
国語という大河
カヤの平
美を求める心
Ⅱ
喋ることと書くこと
文章について
文章について
批評と批評家
批評について
批評
Ⅲ
文化について
教養ということ<対談>
解説 木田元
※Ⅱに「文章について」が二つあるが、間違いや重複ではない。
※解説の後には「初出一覧」も記載されている。
『読書について』の概要・内容
2013年9月25日に第一刷が発行。中央公論新社。187ページ。ハードカバー。112mm✕174mm。小B6版。
小林秀雄のさまざまな作品の中から、読書や文章、批評、文化などに関するものを選んで、まとめた本。
Ⅲの「教養ということ」の対談相手は、哲学者・西洋古典学者の田中美知太郎(たなか・みちたろう、1902年~1985年)。新潟県新潟市の生まれ。旧制東京開成中学校を卒業、上智大学予科第一年二学期に編入、本科を中退。京都帝国大学文学部哲学科選科を修了している人物。
解説は、哲学者・翻訳家の木田元(きだ・げん、1928年~2014年)。新潟県新潟市の生まれ。山形県立農林専門学校(現在の山形大学農学部)、東北大学文学部哲学科を卒業、東北大学大学院哲学科特別研究生課程を修了している人物。
『読書について』の要約・感想
- 読書は「他人になる」ことではない
- 「読む力」を鍛えるための五つの助言
- 「美を表現する言葉」との格闘
- 文章とは、努力してもうまくならないもの?
- 教養とは何かを問い直す
- 『読書について』は難しい? 読む価値はあるのか
- 読書とは、自分をつくる営みである
読書は「他人になる」ことではない
本書の第一章「読書について」では、現代人の読書傾向についての厳しい指摘から始まります。
「自分を忘れるには、他人になった気になりさえすればよい…」(P.16)
一見すると、「読書とは自分を忘れる行為」であるようにも思えます。しかし小林秀雄は、その姿勢を「健全ではない」と断じます。自分の行動を通して自分を忘れること、つまり「自分になり切る」ことの大切さを説いているのです。
「自ら行動する事によって、我を忘れる…そういう正常な生き方から、現代人はいよいよ遠ざかって行く。」(P.17)
ただ文字を追い、受け身で物語に没頭するだけの読書は、自己喪失につながりかねない。読書とは、本来「自分を深く見つめ直すための行為」である。そんな厳しくも力強いメッセージが、この章には込められています。
読書とは、一時的に現実から逃避するためのツールではない。むしろ、自己と向き合い、行動を通じて人生の意味を見出すための糧であるという姿勢に、小林の思想の本質が表れています。
「読む力」を鍛えるための五つの助言
第二章「作家志願者への助言」では、文筆を志す人へのアドバイスが非常に具体的に述べられています。その冒頭で紹介されるのが、作家の菊池寛(きくち・かん、1888年~1948年)の言葉です。
「これから小説でも書こうとする人々は、少くとも一外国語を修得せよ。」(P.25)
これは単なる語学習得の勧めではありません。他国の言語で書かれた文学作品に触れることにより、自国語では得られない視点やリズム、思考方法を吸収しろ、という意味でもあるのです。
さらに小林秀雄自身が挙げた助言は、以下の五つ。
- つねに第一流作品のみ読め
- 第一流作品は例外なく難解なものと知れ
- 第一流作品の影響を恐れるな
- 若し或る名作家を択んだら彼の全集を読め
- 小説を小説だと思って読むな(P.28以降の抜粋)
これは非常に骨太な指針です。難解な作品を避けるのではなく、積極的に挑み、全集を通して作家の全体像を理解せよという姿勢が求められています。文学に触れるとは、単にストーリーを追うことではなく、思想や人生観を読み解く行為なのです。
自分もまた英語の学習を続けているのは、こうした理由からです。深い理解を得るためには、逃げずに難しい作品と向き合うことが大切なのだと、改めて思いました。
「美を表現する言葉」との格闘
第三章「美を求める心」では、詩や文学において「言葉にならないもの」を、どう言葉にするかという問題が取り上げられます。
「詩人は言葉で詩を作る。しかし、言うに言われぬものを、どうしたら言葉によって現す事が出来るか…」(P.90)
この言葉にふれて、私は萩原朔太郎(はぎわら・さくたろう、1886年~1942年)の詩集『月に吠える』の序文「詩は人間の言葉で説明することの出来ないものまでも説明する。詩は言葉以上の言葉である」を思い出しました。曖昧でつかみ所のない感情を、繊細な言葉でとらえる努力。まさにそれが詩であり、文学であり、美を求める心なのです。
詩人に限らず、あらゆる表現者にとって「言葉にならないもの」を言葉にする作業は、終わりなき挑戦です。苦しみながらも、どうにかして心の奥にある何かをすくい上げようとするその姿勢こそが、芸術の核であるということを小林は伝えているのです。
文章とは、努力してもうまくならないもの?
「努力しても巧くなるとは限らぬ事だけは確かです」(P.115)
この言葉は、読者の多くに衝撃を与えるかもしれません。特に「書くこと」に悩んでいる人にとって、この一節は救いであると同時に、深い問いかけでもあります。
小林秀雄自身が、文章上達に限界を感じていたという事実は、驚くべきことです。しかし、だからこそ「言葉に向き合う姿勢」こそが重要であると気づかされます。どんなに努力しても満足できない——その先にある何かを見つける旅。それが書くことなのかもしれません。
文章とは、完成するものではなく、常に試行錯誤と共にあるもの。小林のこの姿勢に、真摯な思考者としての誠実さを感じます。
教養とは何かを問い直す
巻末には、哲学者の田中美知太郎との対談「教養ということ」が収録されています。ここで議論されているのは、学校で習うような形式的な教養ではなく、「人格と精神の深み」に通じる教養です。
現代では、資格や経歴ばかりが強調されがちですが、本来の教養とは、時間をかけて身に付ける「思考の習慣」であり、「人間理解の力」であるはずです。この対談を通して、小林は「生き方としての読書」の意義を強く主張しています。
また巻末の解説を担当するのは哲学者の木田元。彼は本書の構造と思想的背景を丁寧に分析し、読者にさらなる理解の道筋を示してくれます。単なる評論集ではなく、一つの思想書として『読書について』を読み解くことができるのです。
『読書について』は難しい? 読む価値はあるのか
たしかにこの本は、現代の読者にとって読みやすいとは言えません。使われている語彙も独特で、論理展開も時に難解です。けれども、その一文一文には、小林秀雄の経験と知性が凝縮されています。
「受け身で読んでも意味がない。読むことで、自分を見つめ、鍛えるべきだ」——これは本書を通して伝わってくる根本的な思想です。読書が「思考と行動」の起点になる、という信念。私はこの本を読み終えて、「もっと自分の現実を生きないといけない」と強く感じました。
読書の意義を単なる知識の獲得にとどめず、人生そのものを深く耕す行為と捉え直す本書は、今という時代にこそ読まれるべき書物です。
読書とは、自分をつくる営みである
『読書について』は、「何を読むか」よりも「どう読むか」「なぜ読むか」を問いかける一冊です。
現代では、情報を短時間で消費することが当たり前になりました。しかし、読書の本当の価値は、深く読み、じっくり考え、心の中で反芻することにあります。
本書は読者に対し、知識やスキルではなく、人格そのものを養うための読書を提案しています。それは極めてストイックで、時に厳しい道のりかもしれません。しかし、そこには確かな希望と光があるようにも思えます。
たった一冊の本が、人の考え方や生き方を大きく変えることがある。『読書について』は、そんな一冊です。読書に迷っている人、自分の軸を見失いかけている人、もっと真剣に言葉と向き合いたい人にこそ読んでほしい本です。
そして私は、次にこの作品でも触れられていた正宗白鳥(まさむね・はくちょう、1879年~1962年)を読んでみようと思います。文学の旅は、まだまだ終わりそうにありません。
書籍紹介
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天ぷら ひろみ
神奈川県鎌倉市にある天ぷら料理店。小林秀雄が好きな食材を使った天ぷら丼「小林丼」がある。鎌倉にゆかりのある文豪などが通ったというお店。
注文から提供までは、時間がそれなりに掛かるので、心の準備をしておくと良い。私の場合はランチの時間帯で、注文してから「小林丼」が出てくるまで、40分くらいは掛かったかも。
公式サイト:天ぷら ひろみ
東慶寺
東慶寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗・円覚寺派の寺院。小林秀雄の墓、また父親・小林豊造の墓がある。その他に多くの文人の墓も。駆け込み寺、縁切り寺としても有名。
公式サイト:東慶寺