- 仏教と知性と時代背景
- 人間関係と恩師の影響
- 大陸での出会いと遊牧民
- カルピスの誕生と文化的交流
山川徹の略歴
山川徹(やまかわ・とおる、1977年~)
ノンフィクションライター。
山形県上山市の出身。東北学院大学法学部を卒業、國學院大學文学部2部に編入、卒業。
三島海雲の略歴
三島海雲(みしま・かいうん、1878年~1974年)
実業家。カルピスの生みの親。
大阪府箕面市の生まれ。教学寺の住職の息子として生まれる。京都の西本願寺文学寮(現在の龍谷大学)を卒業。英語教師として山口県の開導教校に赴任。1901年、東京都高輪の仏教大学(現在の龍谷大学)三年に編入、翌年に中退し大陸へ。1903年に日華洋行を開業。1916年に醍醐味合資会社を設立し、モンゴル遊牧民の乳製品を醍醐味と名付けて商品化。1917年にラクトー株式会社を設立。1919年にカルピスを販売。1923年に社名をカルピス製造株式会社に変更。
『カルピスをつくった男 三島海雲』の目次
序章 カルピスが生まれた七月七日に
第一章 国家の運命とともに
一 仏像を焼き棄てた少年
二 学僧たちの青春
三 日本語教育の名の下に
四 山林王と蒙古王
第二章 草原の国へ
五 死出の旅路
六 遊牧民という生き方
七 別れの日
第三章 戦争と初恋
八 カルピス誕生と関東大震災
九 健康と広告の時代
十 焦土からの再生
十一 東京オリンピックを迎えて
第四章 最期の仕事
十二 仏教聖典を未来に
十三 父と子
終章 一〇〇年後へ
あとがき
文庫版あとがき
解説 モンゴルで充ち足りよ 片山杜秀
年表/参考文献
『カルピスをつくった男 三島海雲』の概要・内容
2022年1月7日に第一刷が発行。小学館文庫。電子書籍版。328ページ。
2018年6月15日に刊行された単行本を改稿、文庫化・電子書籍化したもの。
解説は、政治学者、音楽評論家の片山杜秀(かたやま・もりひで、1963年~)。慶應義塾大学法学部教授で専門は政治思想史。宮城県仙台市の生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科を卒業、慶應義塾大学大学院法学研究科博士後期課程を単位取得退学。といった経歴。
また、多岐に渡る人物たちが登場するので、以下に簡易的に本書の構成の流れで紹介。
杉村楚人冠(すぎむら・そじんかん、1872年~1945年)…新聞記者、随筆家、俳人。
土倉五郎(どくら・ごろう、1879年~?年)…林業家・土倉庄三郎(どくら・しょうざぶろう、1840年~1917年)の五男。三島海雲と北京で雑貨貿易商「日華洋行」を設立。
羽田亨(はねだ・とおる、1882年~1955年)…東洋史学者。
大隈重信(おおくま・しげのぶ、1838年~1922年)…政治家。第8代・第17代の内閣総理大臣。早稲田大学の創設者。
桜井義肇(さくらい・ぎちょう、1868年~1926年)…仏教者。
与謝野鉄幹(よさの・てっかん、1873年~1935年)…歌人。
与謝野晶子(よさの・あきこ、1878年~1942年)…歌人。
岡本太郎(おかもと・たろう、1911年~1996年)…芸術家。
土倉龍治郎(どくら・りゅうじろう、1870年~1938年)…実業家。土倉家の二男。
山田耕筰(やまだ・こうさく、1886年~1965年)…作曲家・指揮者。
フリッツ・ハーバー(Fritz Haber、1868年~1934年)…ドイツ出身の物理化学者、電気化学者。空気中の窒素からアンモニアを合成するハーバー・ボッシュ法のハーバーの方。
『カルピスをつくった男 三島海雲』の要約・感想
- 仏教的理想と近代的知性
- 学僧たちの青春と師弟関係
- 大陸での運命を変えた出会い
- 遊牧民の生き方に触れる
- 支援者との出会い
- カルピス誕生と試飲と名前の由来
- 仏教聖典を未来に伝える
- まとめ:多彩な人物たちが織り成す物語
仏教的理想と近代的知性
覚行窮満 (P.22)
ここで紹介された「覚行窮満」(かくぎょうぐうまん)とは、思い立ったらすぐに行動するという意味であり、理想とする仏様の姿をも表す言葉である。さらに、続く引用では、社会改善を目指して禁酒をスローガンに活動した反省会の話が紹介されている。
反省会は、もともと普通教校の教員や学生によって組織されたサークルだ。禁酒などをスローガンにして社会改善を目指して機関誌『反省会雑誌』を発行した。さらに反省会は『反省会雑誌』を『反省雑誌』と改題して、一八九六年一二月に東京に進出。その後、一八九九年に宗教色を抑えた誌面にリニューアルし、『中央公論』と誌名を変える。(P.33)
このエピソードからは、当時の社会の動きや知識人たちがいかにして時代の課題に立ち向かったかが伝わってくる。中央公論という雑誌の成り立ちに関する背景が示す通り、宗教的な要素と近代的な知性が複雑に絡み合いながら、時代を動かしていったのだった。私としては、シンプルに『中央公論』の成り立ちを知って驚きもあった。
学僧たちの青春と師弟関係
次に紹介するエピソードは、三島海雲が文学寮での経験の中で出会った人物との絆についてである。本文ではこう記している。
三島は、文学寮で英語教師兼舎監として働いていた楚人冠と出会う。三島は六歳年上の楚人冠を親兄弟以上に信頼し、生涯にわたる恩師と慕った。(P.35)
このエピソードは、三島海雲が単に一代で起業に成功したというだけでなく、人との出会いや信頼を大切にしていたことを示す。恩師との深い関係は、後の事業展開においても大いに役立ったと考えられる。実際、杉村楚人冠という人物は新聞記者、随筆家、俳人としても活躍しており、彼との人間関係は文学やジャーナリズムの世界にも大きな影響を与えていたのである。
大陸での運命を変えた出会い
書籍の中盤に差し掛かる部分では、三島海雲が大陸での事業に乗り出したきっかけとなる人物との出会いが語られている。特に注目すべきは、土倉五郎との邂逅である。以下の引用を見てほしい。
土倉五郎との出会いがきっかけとなり、大陸で事業をはじめた三島は、モンゴルと邂逅する。(P.72)
この記述は、三島海雲が大陸へと旅立つにあたって、偶然ともいえる出会いや支援が重要な役割を果たしたことを示している。土倉家との関係は、当時のビジネスにおける人脈の広がりを感じさせる。
吉野山と川上村を案内してくれたのが、土倉庄三郎の評伝『樹喜王 土倉庄三郎』(芳水塾)の著者で日本唯一の森林ジャーナリストの田中淳夫である。(P.73)
実は、土倉家といえば、田中淳夫(たなか・あつお、1959年~)の名前を連想していた。田中淳夫による土倉庄三郎の書籍を既に読んでいたため。しっかりと登場してくるとは思わなかった部分である。土倉庄三郎も非常に興味深い人物で、掘り下げていくのも面白いので、機会があれば色々と調べて欲しい。
遊牧民の生き方に触れる
さらに、三島海雲はモンゴルという草原の国で、独特な遊牧民の生き方にも触れている。以下の引用はその一端を示している。
モンゴルの旅を続けていた三島がのちに「東洋史の世界最高峰」と呼び、京都帝国大学の総長を務めた羽田亨と出会ったのは、一九〇七(明治四〇)年のことである。この年、東京帝国大学を卒業した羽田亨と、大陸から一時帰国していた三島は、共通の友人が暮らす下宿で出会う。(P.129)
この部分で特筆すべきは、単なるビジネスパーソンとしてではなく、広い視野で学問と文化に接し、異なる価値観を尊重する姿勢であったということである。羽田亨という人物との出会いは、彼自身の思想や事業の推進力に大きな影響を与えたに違いない。遊牧民の生き方、すなわち自然と共に生きる彼らの暮らしからも、多くのインスピレーションと学びを得たのである。
支援者との出会い
続いて、三島海雲の人生において大きな転換期を迎えたエピソードである。以下の引用は、三島の家畜ビジネスに対して支援を示した大隈重信との出会いを描いている。
三島の家畜ビジネスに興味を示し、支援する人物があらわれたのだ。明治の元勲大隈重信だ。一九〇九年、三島は東京で、文学寮の先輩で仏教学者の桜井義肇に大隈を紹介される。桜井は『中央公論』にたずさわった人物である。(P.147)
大隈重信は、明治時代の重要な政治家であり、その支援は三島海雲がこれから歩む事業の発展にとって極めて大きな意味を持っていた。また、桜井義肇との出会いも、当時の知識人や文化人との人脈形成に大いに寄与したと言える。こうした出会いが、彼の人生と事業を彩る重要なエピソードとなっているのである。
カルピス誕生と試飲と名前の由来
ここでは、三島海雲がプロトタイプのカルピスを多くの人に試飲させ、意見を求める様子が描かれている。以下の引用を確認してほしい。
三島は様々な人にプロトタイプのカルピスを試飲させている。親交があった歌人の与謝野鉄幹、晶子夫婦にも飲んでもらった。与謝野晶子は日本初の乳酸菌飲料の感想を三島の前で筆を執り、二首の歌にした。
<カルピスを友は作りぬ蓬莱の薬というもこれにしかじな>
<カルピスを奇しき力を人に置く新しき世の健康のため>(P.170)
さらに、続く部分では三島海雲が杉村楚人冠や龍治郎を通じ、芸術家や文化人たちと交流を深めていた様子が詳細に綴られている。
三島は杉村楚人冠や龍治郎を通して、時代を代表する文化人たちと知己を得ていたのである。芸術家の岡本太郎も試飲したひとりだった(P.171)
この節は、カルピスが単なる飲料の枠を超え、文化的、社会的な交流の中で生まれたものであることを示している。与謝野鉄幹や与謝野晶子、そして岡本太郎など、数多くの文化人と深い繋がりを持った三島海雲の人間力が感じられ、読む者に強い印象を与えるのである。
仏教では牛乳を精製する過程の五段階を五味という。乳、酪、生酥、熟酥、醍醐。サンスクリット語でそのうちの醍醐がサルピルマンダだ。(P.172)
当初の名前はカルピル。カルはカルシウムのカル。ピルは、サルピルマンダに由来。
その後、熟酥(じゅくそ)のサンスクリット語、サルピスと組み合わせて、カルピスに修正。
作曲家の山田耕筰に確認をすると、「響きがいい。音声学的にみてもいいですよ」とお墨付きをもらう。名前は「カルピス」に決定。これがカルピスの由来である。
仏教聖典を未来に伝える
三島は日本滞在中のハーバーと知己をえた。ハーバーが星製薬創業者の星一の招きで来日した一九二四年のことだと思われる。(P.255)
交友関係の幅広い三島。国内だけではなく海外の人物とも交流する。ハーバー・ボッシュ法で知られるフリッツ・ハーバーとも会っているのである。ちなみに星一(ほし・はじめ、1873年~1951年)の長男はSF作家の星新一(ほし・しんいち、1926年~1997年)である。
また、『仏教聖典』についての記述もあり、これは三島海雲が未来へ向けたメッセージであったと解釈できる。こうした試みは、ただ単にビジネスとしての成功を追い求めるだけでなく、文化や信仰、そして精神的な遺産を後世に伝えようとする意志が感じられるのである。
まとめ:多彩な人物たちが織り成す物語
総論として、本書『カルピスをつくった男 三島海雲』は非常に面白く、読み応えのある内容である。登場する人物たちは多岐に渡り、その背景や関係性が豪華に描かれている。実業家としての一面、文化人としての側面、また人間としての熱い情熱や三島海雲の生涯におけるエピソードは、すべてが時代の流れと密接に関連しており、時に厳しく、時に温かい感動を呼び起こすものであった。
私が読んで感じたのは「登場人物たちの人間力」「人間強度の凄さ」である。歴史の中で個々の人間がどのように絡み合い、支え合い、時に別れ、そして新たな未来を創り出していったのか。こうしたエピソードは、現代のビジネスマンにも大いに学びとなるだろう。
単なる冒険物語や起業物語といったエンターテインメントではなく、ビジネスの現場でも役立つ「人間関係の築き方」や「行動の大切さ」を教えてくれる一冊であった。多くの方々が本書を手に取り、そこに記された数々の逸話を楽しみ、時代の鼓動を感じ取っていただけたならと思う。
書籍紹介
関連書籍
関連スポット
カルピス みらいのミュージアム(アサヒ飲料・群馬工場)
群馬県館林市にある「カルピス みらいのミュージアム」。工場見学では、カルピスの歴史や想いが分かる展示物や製造工程を見学でき、カルピスの試飲も。
公式サイト:「カルピス みらいのミュージアム」
教学寺
大阪府箕面市にある浄土真宗本願寺派の寺院。三島海雲の生誕の寺。
公式サイト:教学寺