『命の器』宮本輝

宮本輝の略歴

宮本輝(みやもと・てる、1947年~)
小説家。
兵庫県神戸市の生まれ。私立関西大倉中学校・高等学校を卒業。追手門学院大学文学部を卒業。広告代理店で勤務後、1977年『泥の河』で、第13回太宰治賞を受賞しデビュー。1978年に『螢川』で、第78回芥川賞を受賞。本名は、宮本正仁(みやもと・まさひと)。

『命の器』の目次


吹雪
父がくれたもの
わが心の雪
大地
東京は嫌い
雨の日に思う
かぐや姫の「神田川」
正月競馬
改札口
十冊の文庫本
精神の金庫
蟻のストマイ
命の器
馬を持つ夢


街の中の寺
私の愛した犬たち
「内なる女」と性
南紀の海岸線
貧しい口元
潮音風声


アラマサヒト氏からの電報
成長しつづけた作家
坂上楠生さんの新しさ
「川」三部作を終えて
芥川賞と私
命の力
「泥の河」の風景
「泥の河」の映画化
小栗康平氏のこと
「道頓堀川」の映画化
私の「優駿」と東京優駿
「風の王」に魅せられて
錦繍の日々

あとがき
宮本輝さんの仕事 水上勉

概要

1986年10月15日に第一刷が発行。講談社文庫。180ページ。

宮本輝の第二のエッセイ集。幼少期から現在までのさまざまな出来事が叙情性豊かに描かれた自伝的な内容。1980年~1983年の書かれたものが掲載。

宮本輝の年齢で言えば、33歳~36歳の時期。

1983年10月に刊行された単行本を文庫化したもの。2005年には、新装版として再び講談社文庫から刊行され、電子書籍版も発売。

第一弾エッセイである『二十歳の火影』に続く、第二弾エッセイがこちらの『命の器』

目次に登場してくる人物の詳細は以下の通り。

荒正人(あら・まさひと、1913年~1979年)…文芸評論家。福島県南相馬市の生まれ。旧制山口高等学校、東京帝国大学英文科を卒業。

坂上楠生(さかがみ・なんせい、1947年~)…日本画家。三重県伊勢市の出身。東京芸術大学美術学部絵画科油絵専攻を卒業。

小栗康平(おぐり・こうへい、1945年~)…映画監督。群馬県前橋市の出身。前橋高等学校、早稲田大学第二文学部を卒業。

解説は、水上勉(みずかみ・つとむ、1919年~2004年)…小説家。福井県の生まれ。寺の小僧を経て、旧制花園中学校を卒業。立命館大学文学部国文学科を中退。1961年に『雁の寺』で直木賞を受賞。

感想

第一弾エッセイ『二十歳の火影』に続く、第二弾エッセイの『命の器』

幼少期から現在までのことが書かれているので、多少重なる部分はある。

父親や母親、文学の目覚め、学生時代、広告代理店での勤務時代、退職後に小説を書き始めたこと、現在のことなど。

あとは、かなり作家や詩人、評論家の名前、あるいは作品名も多く出てくる。

その中でも驚いた人物名が次の評論家である。

小林秀雄(こばやし・ひでお、1902年~1983年)…評論家。東京都の出身。東京帝国大学文学部仏蘭西文学科を卒業。

宮本輝に対して、小林秀雄を連想させる感じはしなかったから。

小林秀雄氏が亡くなられた。私は決して小林教の信者であったことはないが、氏の書かれた文章のほんの一行に(それはよせ集めれば無数の一行になる)、ある具体的感動と共感、ある不思議な叱咤と啓発を受けつづけてきたことを改めて感じる。(P108:潮音風声「それは僕等だ」)

上記のように、正確にその影響を書いている。

心酔をしたことはないが、大きな影響を受けていると。

宮本輝に対しては、評論というよりも詩の方が連想されやすい。

小説の題名などは、ほぼ詩だと言っても良いかと思う。

そして、小林秀雄の文章もある種の詩に近いものとも呼べる。

するとなると、宮本輝と小林秀雄の共通項もあるのか。

レマルク「凱旋門」、ドストエフスキー「貧しき人々」、カミュ「異邦人」、ダビ「北ホテル」、石川達三「蒼氓」、高山樗牛「滝口入道」、樋口一葉「たけくらべ」、三島由紀夫「美徳のよろめき」、井上靖「猟銃・闘牛」、徳田秋声「あらくれ」。この十冊であった。(P.47:十冊の文庫本)

露店で中学二年生の宮本輝が初めて買い求めた十冊の文庫本であり、この順番で読み終えたという。

さらに繰り返して読んで、後の作品に影響を与えたとも。

以下、作家の詳細。

エーリヒ・マリア・レマルク(Erich Maria Remarque、1898年~1970年)…ドイツの小説家。

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(Fyodor Mikhailovich Dostoevsky、1821年~1881年)…ロシアの小説家。

アルベール・カミュ(Albert Camus、1913年~1960年)…フランスの小説家。

ウージェーヌ・ダビ(Eugène Dabit、1898年~1936年)…フランスの小説家。

石川達三(いしかわ・たつぞう、1905年~1985年)…小説家。秋田県横手市の生まれ。早稲田大学文学部英文科を中退。

高山樗牛(たかやま・ちょぎゅう、1871年~1902年)…評論家。山形県鶴岡市の生まれ。東京帝国大学哲学科を卒業。

樋口一葉(ひぐち・いちよう、1872年~1896年)…小説家。東京都千代田区の生まれ。私立青海学校高等科を首席で卒業。

三島由紀夫(みしま・ゆきお、1925年~1970年)…小説家。東京都新宿区の生まれ。東京大学法学部法律学科を卒業。

井上靖(いのうえ・やすし、1907年~1991年)…小説家。北海道旭川市の生まれ。 京都帝国大学文学部哲学科を卒業。

徳田秋声(どくだ・しゅうせい、1872年~1943年)…小説家。石川県金沢市の生まれ。第四高等中学校を中退。

上記の作家たちの作品を選んだ宮本輝少年。

当時既に文学に目覚めて、学校の図書館や府立中之島図書館に通って、かなりの本を読み漁っていた。

ある程度の文学の下地が出来ていたかもしれないが、かなり素晴らしいセンスである。

実際に、宮本輝自身が、この引用の文章の後で、その選択を称賛しているのも面白い。

芥川賞のおかげで、私は小説家として生活が出来るようになった。それを私はたとえようもなく幸福に思う。同時に芥川賞は、受賞前の数倍、数十倍の努力と戦いと不安を、私につきつけた。(P.143:芥川賞と私)

これは、努力と才能についての言及の後の文章。

芥川賞までは努力でいけるが、芥川賞の受賞以降は才能というもの。

小説家・正宗白鳥(まさむね・はくちょう、1879年~1962年)の「文筆生活五十年わが痛感した事は努力の効乏しくて偏に天分次第である」という言葉も引用されている。

広告代理店を辞めて、小説家を目指し、芥川賞を欲していた宮本輝。

なかなか芽が出ずにいた頃に、同人雑誌を編集していた池上義一(生没年不詳)と出会う。

叱咤激励をされながら、“これはいい作品だ”と言われるまで、7回も書き直して「泥の河」が仕上がる。

1977年『泥の河』で、第13回太宰治賞を受賞し、デビューに繋がるという逸話。

かなり濃密なドラマであり、また文章を書くことの厳しさも感じられる部分である。

宮本輝ファンだけではなく、文学や随筆、エッセイ好きな人には非常にオススメの本である。

読む順番としては、『二十歳の火影』の次に、この『命の器』に進むのが良いかも。

書籍紹介

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関連スポット

宮本輝ミュージアム

宮本輝ミュージアムは、大阪府茨木市の追手門学院大学付属図書館にある宮本輝の文化施設。学校法人追手門学院の創立120周年を記念して2008年に開設。宮本輝は、追手門学院大学の第一期の卒業生。

公式サイト:宮本輝ミュージアム

以前に行ったことがある。なかなか綺麗な感じの館内。宮本輝の講演会の映像を個別で借りて、館内で視聴できたのは、とても良かった。

ファンであれば、一度は訪問してみるのが良いかと思う場所である。

大阪府立中之島図書館

大阪府立中之島図書館は、大阪府大阪市北区中之島一丁目にある1904年に開館の公共図書館。

宮本輝は浪人生時代に通って、ロシア文学とフランス文学に耽溺したという。

実際に訪問したことがあるが、ルネッサンス様式の外観もバロック様式の内観も、非常に素晴らしく、知的な雰囲気に満ち溢れた場所。

公式サイト:大阪府立中之島図書館