高見澤潤子の略歴
高見澤潤子(たかみざわ・じゅんこ、1904年~2004年)
作家。文芸評論家・小林秀雄(こばやし・ひでお、1902年~1983年)の妹。漫画家・田河水泡(たがわ・すいほう、1899年~1989年)の妻。
旧姓は小林(こばやし)。本名は冨士子(ふじこ)。東京都の生まれ。東京女子大学英文科を卒業。クリスチャン。
小林秀雄の略歴
小林秀雄(こばやし・ひでお、1902年~1983年)
文芸評論家。
東京都千代田区の生まれ。白金尋常小学校、東京府立第一中学校(現在の日比谷高校)を卒業、第一高等学校の受験に失敗、翌年に合格し、第一高等学校文科丙類に入学。東京帝国大学文学部仏文科を卒業。
『兄 小林秀雄』の目次
一 こんなに悲しいことはないね
二 僕はたうとう逃げ出した
三 それでおんはかいせるのです
四 ニイサンノバカヤラウ
五 めがね、めがね、よく見えるぞ
六 乱読は、人間に失われがちな柔軟性を育てる
七 説教は出来ない、告白するだけだ
八 なぜ一緒に住めないの
九 不平不満で毎日を送るぐらい時間の浪費はない
十 たまらないから、来ないでくれ
十一 幸福とは、恐ろしいほど平凡なもの
十二 人間には、心情というふものが一番大切だ
十三 学問とか芸術とかは、どんな環境でも出来る
十四 絶対に誰にも知らせるな
十五 おふくろには、恩を返せなかったよ
十六 のらくろは残る
十七 愛のない批判ほど間違っているものはない
十八 優しい心とは、感じることである
十九 見るということは、魅入られることだ
二十 頭で反省して、自分がわかるもんじゃない
二十一 個人的な義理でしか動かないよ
二十二 気に入ったものは、感謝して手放すのが本当だ
二十三 俺は怪我っぽい
二十四 男と話すのは、死ぬほど退屈だ
二十五 困難があるから楽しいのだ
二十六 批評は生活教養である
二十七 諸君が諸君流に信ずることです
二十八 情緒のないところには、真実も美も信仰もない
二十九 ありがとう、また来て下さい
あとがき
『兄 小林秀雄』の概要
1985年3月1日に第一刷が発行。新潮社。ハードカバー。263ページ。127mm✕191mm。四六判。
カバーの装画は、表・裏ともにジョルジュ・ルオー(Georges Rouault、1871年~1958年)の作品。小林秀雄が気に入って応接間に飾っていたもの。
『兄 小林秀雄』の感想
結構前に購入していて、そのまま積読状態だったこの作品。何となく手を伸ばしたら、一気に引き込まれて読み終えてしまった。
流石というべきなのかどうか分からないが、高見澤潤子の文章が上質である。小林秀雄の妹の名に恥じない巧みさ。構成も素晴らしい。もちろん、編集者のサポートもあるとは思うけれど。
全体的に小林秀雄の考え方、生き方、人間性が身近な家族という視点で描かれている。小林秀雄の文章が、ちょっととっつきにくい人や、初心者にはオススメの内容。小林秀雄についての大枠が分かる形である。
割と最初の方に書かれていたが、小林秀雄の父親・小林豊造(こばやし・とよぞう、1874年~1921年)についても記載がある。
兵庫県の出身の技術者、経営者。兵庫県師範学校を経て、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)を卒業。同校の助教授を経て、文部省の派遣で欧米へ貴金属界の視察。
帰国後に、御木本貴金属の工場長となり、社長・御木本幸吉(みきもと・こうきち、1858年~1954年)に見込まれて、欧米各国の視察をして、技術を国内に広めた人物である。
事業をやっていたのは知っていたけれど、インテリであり、ミキモトの創業者・御木本幸吉と深く交流していたのは驚いた。
ただ50歳前に亡くなっている。小林秀雄が18歳の頃のことである。第一高等学校の受験に失敗し、浪人している時期か。
第一高等学校の受験に落ちた時に高見澤潤子が馬鹿にしたら、机に突っ伏して泣いたというエピソードは何だか心に残った。強気で言い返すかと思ったら、泣いてしまって驚いた、みたいなことを高見澤潤子も書いている。
若かりし頃の人間、小林秀雄が描写されている。
それでは、引用なども含めて、色々と述べていきたいと思う。
「小林の著作をいかに読んでも、そこに絶対にみえて来ないのは、『不平家の顔』だった」
と山本七平は書いていたが、作品ばかりではなく、兄の言葉、顔、態度、行状すべてがそうであった。(P.110「十二 人間には、心情というふものが一番大切だ」)
評論家の山本七平(やまもと・しちへい、1921年~1991年)の言葉を借りて、小林秀雄の言動を肯定している記述。
確かに、小林秀雄の印象や、その文章などから“不平家の顔”というものは感じられない。
妹・高見澤潤子は、さらに続いて、作品だけではなく、人間・小林秀雄からも、そういったものは感じられないと言っている。
物凄い信頼感というか、兄への愛情も見て取れる部分である。高見澤潤子のこの姿勢は、この著作を通底しているので、盤石な安定感も与えている。
井伏鱒二のいうところによると、小林秀雄、中島健蔵、河上徹太郎、井伏自身の四人はみんな「父が早く死んだ母親育ち」なのだそうである。こういう母親育ちは、父親に頼れない代りに、父の影響も受けないから、早くから、ひとりで生きる強さを持ち、老成してしまう。(P.201「二十三 俺は怪我っぽい」)
小説家の井伏鱒二(いぶせ・ますじ、1898年~1993年)の発言。井伏鱒二は、5歳の時に父親を亡くしている。
文芸評論家の河上徹太郎(かわかみ・てつたろう、1902年~1980年)。兵庫県立第一神戸中学校から東京府立第一中学校に編入学。一学年下に小林秀雄。30歳の時に父親を亡くす。
フランス文学者の中島健蔵(なかじま・けんぞう、1903年~1979年)。16歳の年に父親を亡くす。小林秀雄と同様に東京帝国大学文学部仏文科に入学している。
河上徹太郎に関しては、ちょっと父親を亡くすのが大人になってからで、無理矢理付け加えた感が否めないが、まぁ言わんとしていることは分かる気がする。
また父親の影響下から脱出しようとする青年期のエネルギーが、父親へと向かわずに、自分へと向かってしまうとか。そのため、一種の凄惨な内なる自己との闘争が展開されるとの指摘が井伏鱒二がされているようだ。
早逝した父親の影響というのは発想が無かった。確か平野啓一郎(ひらの・けいいちろう、1975年~)も1歳で父親(享年36歳)を亡くしている。でも、それくらいしかパッと思い付かないな。
どちらかというと、母親を早く亡くした人物たちの話とかは記憶にいくつかある。
種田山頭火(たねだ・さんとうか、1882年~1940年)は11歳、芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ、1892年~1927年)も11歳、茨木のり子(いばらぎ・のりこ、1926年~2006年)も11歳の時に、母親を亡くしている。
早逝した母親の影響というのは気にしたことがあったけれど、早逝した父親の影響というのは考えたことが無かったな。今後は、この視点も持つとしよう。
「自分のことばっかり考えてるから、いけないんだよ。不安になったり、孤独を感じたりする奴は、必ず自分のことしか思わない奴だ。もっとひとのことを思え。一生懸命ひとのために何かしようと考えてみろ。不安なんかなくなっちまうから」(P.209「二十四 男と話すのは、死ぬほど退屈だ」)
更年期障害で、精神が不安定になっていた妻への言葉。同じように妹にも接する。陰口を言わず、面と向かって文句を言う人が、小林秀雄。
また一般的な人達にも通用するようなアドバイスでもある。自己について考え過ぎることから不安が生じる。自己ではなく他者へと意識を向けて、その人のためになることを考えるべきであると。
なかなか面白い発想である。自己中心的になり過ぎてはいけないのである。
あとは陰口を言わずに、文句というか、意見はしっかりと表立って相手に向かって言う、というのも清々しいというか、ああ、何だか小林秀雄っぽいなと納得できる。
男女問わず、そのような態度を取っているのも、らしいなと。
言葉を選び、文章を工夫し、表現にみがきをかけるために苦しむ。そのために難解にはなるが、詩のように言葉に盛られた内容は重い。詩の評論とも、評論の詩ともいえるのではないだろうか。(P.223「二十五 困難があるから楽しいのだ」)
確かに小林秀雄の文章は難しい。だけれども無駄がない。削ぎ落とされた言葉。
これは自分も前々から思っていた。まるで詩のような文章である。
そのような詩情を持ち合わせていたからこそ、中原中也(なかはら・ちゅうや、1907年~1937年)との深い交流があったのかもしれない。
中原中也の恋人であった長谷川泰子(はせがわ・やすこ、1904年~1993年)との関係についても、高見澤潤子の筆で諸々と描かれている。
小林秀雄も、長谷川泰子のことでは、相当な苦労をしたようだ。妹の視点から描かれた状況や手紙などが、なかなか興味深い。
「批評とは無私を得んとする道なり」
という言葉は、兄が色紙を頼まれた時に、よく書いた言葉である。この言葉にも私は、形而上的なものを感じる。(P.225「二十六 批評は生活教養である」)
無私であること。さらに、大きな自然、大きな力に任せることという意味の話も。そして、愛情。親身になること。
何だか凄い、おおらかな宗教というか、道徳というか、倫理というか、そういったものの話のような。
その流れで、小林秀雄は、小説家であり文芸評論家でもある正宗白鳥(まさむね・はくちょう、1879年~1962年)に魅力を感じていたという話も。正宗白鳥は、親身になって他の人を作品を読んでいると。
なるほど、正宗白鳥は読んだことが無いから読んでみよう。というよりも、小林秀雄の文章も全てを読んでいるわけではないので、色々と漁ってみようと思っているけれど。
というわけで、兄・小林秀雄について、妹・高見澤潤子が温かな愛情を持った視点で描いた非常に素晴らしい作品である。いくつかシリーズ的に続編も出ているので、そちらもチェックしたい。ご興味があれば是非。
書籍紹介
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天ぷら ひろみ
神奈川県鎌倉市にある天ぷら料理店。小林秀雄が好きな食材を使った天ぷら丼「小林丼」がある。鎌倉にゆかりのある文豪などが通ったというお店。
注文から提供までは、時間がそれなりに掛かるので、心の準備をしておくと良い。私の場合はランチの時間帯で、注文してから「小林丼」が出てくるまで、40分くらいは掛かったかも。
公式サイト:天ぷら ひろみ
東慶寺
東慶寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗・円覚寺派の寺院。小林秀雄の墓、また父親・小林豊造の墓がある。その他に多くの文人の墓も。駆け込み寺、縁切り寺としても有名。
公式サイト:東慶寺