記事内に広告が含まれています

森博嗣『新版 お金の減らし方』要約・感想

森博嗣『新版 お金の減らし方』表紙

  1. 森博嗣の哲学は「欲しいもの」を優先して買い「必要なもの」を我慢し、社会の常識から解放されて自分を楽しませる生き方を提唱。
  2. お金を増やすより自分に投資し、能力を高めて仕事で稼ぐことを重視し、株式投資などには興味がない。
  3. ストイックな生活を送り、夫婦間の「防衛費」で互いの趣味を尊重し、作家業をビジネスとして冷静に分析。
  4. 自己満足を人生の目標とし、自分の判断さえも疑い、望んだ通りの人生を築くことを強調。

森博嗣の略歴・経歴

森博嗣(もり・ひろし、1957年~)
小説家、工学者。
愛知県の生まれ。東海中学校・高等学校、名古屋大学工学部建築学科を卒業。名古屋大学大学院修士課程を修了。三重大学、名古屋大学で勤務。1990年に工学博士(名古屋大学)の学位を取得。1996年に『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞しデビュー。

『新版 お金の減らし方』の目次

新版のまえがき
まえがき
第1章 お金とは何か?
第2章 お金を何に使うのか?
第3章 お金を増やす方法
第4章 お金がないからできない?
第5章 欲しいものを買うために
第6章 欲しいものを知るために
あとがき
解説(古市憲寿)

『新版 お金の減らし方』の概要・内容

2024年6月15日に第一刷が発行。SB新書。電子書籍197ページ表示。紙版256ページ表示。

2020年4月7日に発売された同名の書籍『お金の減らし方』を加筆、修正・再編集した新版。

解説は、社会学者でコメンテーターの古市憲寿(ふるいち・のりとし、1985年~)。

京都墨田区の生まれ。埼玉県川口市の育ち。埼玉県越谷北高等学校、慶應義塾大学環境情報学部を卒業。

大学時代の2005年から2006年の間は、ノルウェーのオスロ大学に交換留学。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻相関社会科学コース修士課程を修了している。

『新版 お金の減らし方』の要約・感想

  • 「欲しいもの」を買い「必要なもの」は我慢する
  • 人生の基本は自分を楽しませること
  • 森博嗣が株式投資に興味がない理由
  • 夫婦円満の秘訣?独自の予算「防衛費」
  • 1日16時間勤務、執筆3時間、睡眠3.5時間の生活
  • 作家業をビジネスとして捉える冷静な視点
  • 引退後も続く驚異的な生産性
  • 自分の判断を疑うことから全ては始まる
  • 後悔しない生き方と一日一食の生活
  • 「欲しいもの」は自分の価値を見つける方法
  • 人間は望んだとおりの者になる
  • 「自己満足」こそが人生の目標である
世の中には「お金の増やし方」を説く書籍や情報が溢れている。だが、本書のタイトルは真逆だ。『新版 お金の減らし方』。この挑発的とも言える書名に、思わず手に取った人も少なくないだろう。著者は、工学博士にして小説家の森博嗣(もり・ひろし、1957年~)。彼の語る「お金の減らし方」とは、単なる浪費のススメや刹那的な消費を推奨するものでは断じてない。それは、現代社会の常識や同調圧力から自らを解放し、「自分にとっての価値」を見極め、人生をより豊かにするための、極めて実践的な哲学である。本書は、お金というフィルターを通して「あなたはどう生きたいのか」を鋭く問いかけてくる。この記事では、『新版 お金の減らし方』で提示される森博嗣流の思考法と生き方を、引用を交えながら深く掘り下げていく。読み終える頃には、あなたのお金に対する価値観、ひいては人生観が大きく揺さぶられているかもしれない。

「欲しいもの」を買い「必要なもの」は我慢する

本書の根幹を成す、最も衝撃的で重要な方針が、まえがきでいきなり提示される。

多くの人が持つであろう価値観を、心地よく裏切る一文だ。

たとえば、「欲しいものはなんでも買えば良い、でも必要なものはできるだけ我慢をすること」という方針。それは反対だろう、と思われるのにちがいない。また、どんなに貧乏なときでも、僕は収入の一割を、自分の趣味のために使った。同様に、奥様にも「一割を遊ぶために使いなさい」と言った。(P.21「まえがき」)

「欲しいものを買い、必要なものは我慢する」。

これは、一般的な節約術や資産形成の考え方とは正反対である。

私たちは通常、「必要なもの」を優先的に購入し、余裕があれば「欲しいもの」に手を伸ばす。

しかし、森博嗣はその順序を逆転させろ、と説くのだ。

この考え方の背景には、「必要」という言葉の定義に対する深い洞察がある。

一体、何が「必要」なのだろうか。

森博嗣は、その多くが外部からの圧力によって生まれていると指摘する。

必要という条件は、多くの場合、他者の要請であったり、社会の常識や習慣であったりするが、事実上、本当に自分の生活に必要かどうかは疑問である。その交換で何が得られるのか、と考えたとき、実質的な効果、つまり価値が見出だせないこともある。自分のお金をつぎ込むのならば、確実に価値のあるものと交換すべきだろう。(P.83「第2章 お金を何に使うのか?」)

「みんなが持っているから」

「この年齢ならこれくらいは必要だから」

といった理由は、他者の価値観や社会の常識に過ぎない。

それは、本当に自分の人生を豊かにするのか。

森博嗣は、そこに疑問を呈する。

他者の要請に応えるためにお金を使うのではなく、自分の内から湧き出る「欲しい」という純粋な欲求にこそ、お金を投じるべきだと主張するのである。

自分の欲望に忠実であること。

それが、自分だけの価値基準を築く第一歩となる。

外部の圧力に抵抗し、内的な欲求を優先する。

この姿勢こそが、森博嗣流の生き方の核心と言えるだろう。

人生の基本は自分を楽しませること

なぜ、「欲しいもの」を優先すべきなのか。それは、人生の目的そのものに関わってくる。

しかし、そんな社会的な一般論はここでは無関係である。あなた一人、自分がどう考えるかが、あなたの人生の基本であり、自分を楽しませるために、あなたは生きているのだから、素直に自分の思うとおりに、つまり自由にすればよろしい。(P.45「第1章 お金とは何か?」)

人生の基本は、自分を楽しませること。

この非常にシンプルで力強いメッセージは、本書全体を貫いている。

私たちは、他人の評価や社会的な成功のために生きているのではない。

自分自身が楽しみ、満足するために生きている。この大原則に立ち返れば、お金の使い方も自ずと見えてくる。

自分を楽しませてくれるもの、心が躍るもの、それこそが「欲しいもの」である。

そこにこそ、投資する価値がある。

他人の目を気にして「必要なもの」を揃える行為は、自分を楽しませることからは程遠い。

まずは自分を満足させる。

そのためのツールとして、お金を捉え直す必要があるのだ。

森博嗣が株式投資に興味がない理由

「お金を増やす」という観点では、株式投資や資産運用が一般的な選択肢として挙げられる。

しかし、森博嗣は、そういった行為にはまったく興味がないと断言する。

僕自身は、この金を運用する行為には、まったく興味がない。増えたところで微々たるものだと考えている。仕事で稼ぐことに比べて、期待値が低すぎる。むしろ、自分に投資をして、勉強をするなり、修業をするなりして、自分のポテンシャルを上げ、それを活用してより効率の高い仕事に就いた方が得策だろう。(P.52「第1章 お金とは何か?」)

彼にとって、お金を働かせるよりも、自分自身が働く方が遥かに「期待値が高い」のである。

金融市場の不確実性に身を委ねるのではなく、最も確実でポテンシャルの高い投資先、すなわち「自分自身」に投資する。

これが彼の基本的なスタンスだ。

勉強や修業によって自身の能力を高め、仕事の効率や単価を上げる。

そうして得た収入で、また自分を楽しませる「欲しいもの」を買う。

このサイクルこそが、最も合理的で満足度の高い人生の送り方だと考えているのだ。

これは、単なる精神論ではなく、極めて現実的かつ戦略的な資産形成術と言えるだろう。

ただし、あくまでも森博嗣は天才であり、優秀であり、有能であるという点も考慮しなければならない。

夫婦円満の秘訣?独自の予算「防衛費」

「欲しいもの」を優先し、収入の一割を趣味に使うというルールは、夫婦間でも徹底されていた。

そこには、互いの価値観を尊重するための、ユニークで優れた仕組みが存在した。

遊びに使うもの、自分が欲しいものは、全体の一割の金額をやりくりして、それぞれが自分の好き勝手に使えば良い。もしその額を超える大きな買いものがしたかったら、そこから貯金をすれば良い。どんなものを買おうが、けっして口出しはしない。
僕たちは、これを「防衛費」と呼んでいた。(P.58「第1章 お金とは何か?」)

「防衛費」。

なんと秀逸なネーミングだろうか。

これは、自分の趣味や嗜好、つまり「自分らしさ」を守るための予算である。

夫婦であっても、互いの領域に干渉しない。

収入の一割という決められた範囲内であれば、何にどう使おうが完全に自由。

このルールによって、互いの価値観の違いが争いの火種になることを防ぎ、個人の尊厳を守ることができる。

これは、お金の管理術であると同時に、極めて高度なコミュニケーション術でもある。

相手の「欲しいもの」を理解できなくても、その権利そのものを尊重する。

この「防衛費」という概念は、家庭内に限らず、あらゆる人間関係に応用できる、普遍的な知恵を含んでいるように思える。

1日16時間勤務、執筆3時間、睡眠3.5時間の生活

「自分に投資する」という言葉を、森博嗣は文字通り体現してきた。

その生活は、常人には想像を絶するほどストイックでハードなものだった。

僕は一日十六時間は大学に勤務していたから、家には寝るためだけに帰っていた。子供の面倒もまったく見なかったし、幼稚園へ行くようになっても、父母参観などに行ったことはない。これは小学校に上がっても同様で、僕は自分の子供の学校へ一度も行ったことがないのだ。運動会も参観日も、である。(P.61「第1章 お金とは何か?」)

1日16時間、大学での研究や業務に没頭する。

家庭を顧みず、ひたすら仕事に打ち込む。

これは、現代の価値観からすれば批判されるかもしれない、昭和の企業戦士のようなスタイルである。

しかし、彼はこれを他人に強制するわけではなく、自らが選択した生き方として淡々と語る。

さらに驚くべきは、作家としてデビューしてからも、この生活が10年間も続いたという事実だ。

作家になっても、十年間は大学に勤めていて、それまでどおり、まったく休みなく働いた。夜の十時頃に帰宅し、そこで夕飯を食べ、風呂に入り、すぐに寝る。二時間寝たら起きて、三時間くらい作家の仕事をした。そのあと、出勤までまた一時間半くらい寝ることができた。そういう生活をしていたのだ。(P.62「第1章 お金とは何か?」)

1日の合計睡眠時間は、わずか3.5時間。

これを10年間も継続したというのだから、凄まじい精神力と体力である。

多くの兼業作家が、執筆活動との両立に苦心する。

例えば、作家の新田次郎(にった・じろう、1912年~1980年)は、新人賞受賞から15年、同じく作家の逢坂剛(おうさか・ごう、1943~)は17年もの間、兼業を続けた。

彼らもまた、並外れた努力家であったことは間違いない。

もっとも、無理が祟ったのか、残念ながら新田次郎は67歳で急逝している。

超人的な活動には、相応のリスクが伴うことも忘れてはならない。

ただ、その反面、圧倒的な労働量によって、大きな業績を残せる場合もあるので、難しいところではある。

以下、参考まで。

作家業をビジネスとして捉える冷静な視点

これほどまでに執筆に時間を費やしながらも、森博嗣は自身の作家活動に対して極めて冷静で、ビジネスライクな視点を持ち続けていた。

そこには、創作活動にありがちな感傷や自己陶酔は微塵も感じられない。

初めから十作のシリーズを書くつもりだったので、その後は、つぎつぎに作品を発表した。僕は有名人になりたかったわけでもないし、ファンレターをもらっても特に感慨もなかった。そういうことのために書いたのではないからだ。(P.62「第1章 お金とは何か?」)

デビュー作『すべてがFになる』の執筆時も、その冷静さは変わらなかった。

このときも、どうせ売れるわけがない、と思った。自分だったら、こんな小説は絶対に読まないだろう、と思える作品になった。案の定、まったく売れなかった。それでも、僕が予想したよりは売れて、出版社も続編を依頼してきた。(P.154「第5章 欲しいものを買うために」)

「まったく売れなかった」というのは、おそらく彼の非常に高い基準から見た場合の話だろう。

実際には続編の依頼が来る程度の商業的成功は収めていたはずだ。

重要なのは、彼が自身の作品に対して主観的な思い入れを排し、客観的な視点を保っていたことである。

そして、その視点は、読者という市場の分析へと繋がっていく。

ただし、読者がどんなものを望んでいるのか、という需要把握には時間を使った。当時からネットがあり、読者の声を聞くことはできたから、それに応じて、このビジネスをどのような方向へ展開していくのが良いか考えた。そして、その考えたとおりに、その後も実行している。(P.62「第1章 お金とは何か?」)

自身の書きたいものではなく、読者が望むものを提供する。

作家業を「ビジネス」として捉え、需要を的確に把握し、それに応える形で作品という「商品」を供給する。

この徹底したプロフェッショナリズムとマーケットインの思考こそが、彼が作家として成功し続けた大きな要因の一つであろう。

これもまた、彼の理系的なバックグラウンドが色濃く反映されたアプローチと言えるかもしれない。

引退後も続く驚異的な生産性

大学を退官し、作家業からも「引退」を宣言した後も、彼の創作活動は続いている。

その生産性は、やはり常軌を逸している。

引退後も、一日一時間以内の範囲で、執筆は続けていて、だいたい毎月一冊は新刊が出ている。(P.64「第1章 お金とは何か?」)

1日1時間以内の執筆で、毎月1冊の新刊。

にわかには信じがたいペースである。

森博嗣は1時間に最大で6,000字ほど書けるという。

仮に平均4,000字としても、1ヶ月(30日)で12万字。

これは書籍1冊分に相当する文字数だ。

頭の中に構築された世界を、ただキーボードを通してアウトプットする作業に集中すれば、これほどの速度も可能になるのかもしれない。

我々凡人が数時間かけて数千字を捻り出すのとは、思考のプロセスそのものが違うのだろう。

執筆速度や業務内容、作家の金銭面に関しては以下の著作に詳しい。

自分の判断を疑うことから全ては始まる

森博嗣の思考法の核心には、「自己を疑う」という姿勢がある。

彼は、自分自身の感情や信念、習慣といったものにさえ、常に疑いの目を向ける。

とにかく、自分の感情、自分の信念、自分の習慣のようなものに囚われないことが大切だ、と僕は感じている。いつも、「どうして自分はこう感じるのか?」という疑問を持つこと。自分の判断を疑う目を持つことにしている。(P.132「第3章 お金を増やす方法」)

私たちは、無意識のうちに自分の感情や過去の経験に基づいた習慣に流されて判断を下しがちだ。

しかし、その判断は本当に合理的だろうか。

森博嗣は、一度立ち止まり、自問することを促す。

なぜそう感じるのか、その判断の根拠は何か。

自分自身を客観視し、分析する。

このプロセスを経ることで、より最適で後悔の少ない選択が可能になるのだ。

そして、この「疑う」姿勢は、未来への備えにも繋がっている。

仕事が順調であっても、常に未来のことを考えて、事前に策を講じておくこと。いつも悲観的に考え、次の手を秘めておくことが大事だと思う。(P.133「第3章 お金を増やす方法」)

現状に満足せず、常に最悪の事態を想定する。

この悲観的な思考法は、経営学者の楠木建(くすのき・けん、1964年~)などもその重要性を説いている。

楠木建の著書には『絶対悲観主義』という題名の作品もある。

順調な時こそ、次の一手を準備しておく。

先を見越して複数の選択肢を用意しておくことで、不測の事態にも冷静に対処できる。

森博嗣が天才であることは間違いないだろうが、その成功は、このような地道で周到な準備に支えられている部分も大きいのである。

後悔しない生き方と一日一食の生活

徹底した自己分析と合理的な判断を積み重ねた結果として、彼は「後悔というものをしたことがない」と語る。

これもまた、彼のユニークな人生観を象徴する言葉だ。

これは、買いものだけではない。そもそも、僕は後悔というものをしたことがない。この話をすると、「自分に都合良く解釈しているだけじゃないか」と言われることがるのだが、自分に都合悪く解釈するなんて、可能なことだろうか。もしできたとしても、僕には理解できない行為である。どうして、そんなことをしなければならないのだろうか。(P.176「第6章 欲しいものを知るために」)

「自分に都合悪く解釈する」行為は、確かに自傷行為にも等しい。

過去の選択を悔やみ、自分を責めても、何も生まれない。

その選択をした時点での自分にとっては、それが最善だったはずだ。

全ての出来事を「自分に都合良く」解釈し、未来への糧とする。

この徹底した自己肯定こそが、前進し続けるための原動力となっている。

また、彼の生活スタイルは食生活にも及んでいる。

タレントのタモリ(たもり、1945年~)が実践していることでも知られるが、森博嗣もまた一日一食の生活を送っているという。

たとえば、昼食を抜いたくらいで死ぬことはない(もともと、僕は一日一食だが)。(P.141「第4章 お金がないからできない?」)

常識に囚われず、自らの身体と向き合い、最適なスタイルを構築する。

食事という根源的な行為においてさえ、彼は自分自身の価値基準を貫いているのだ。

ちなみに私は一日に二食である。

「欲しいもの」は自分の価値を見つける方法

さて、本書の核心である「欲しいものを買う」という行為に話を戻そう。

この行為は、単なる物欲の発散ではない。

それは、自分自身を深く知るための、極めて重要なプロセスなのだ。

お金は、自分の欲しいものに使う。必要なものよりも、欲しいものを優先しなさい、というのが本書の主な内容だが、それはつまり、自分にとって価値のあるものを得るために使う、ということであり、結局は、それが自分の価値を見つける方法だ、と僕は考えている。(P.180「あとがき」)

あなたが「欲しい」と感じるものには、あなた自身の価値観が色濃く反映されている。

なぜ、それが欲しいのか。それを手に入れることで、どんな感情が満たされるのか。

それを突き詰めていくと、自分が人生で何を大切にしているのかが見えてくる。

例えば、私の場合は、GibsonのレスポールやMartinのアコースティックギターが欲しいと思う。

それは音楽を奏でること、自己を表現することに価値を見出している証拠かもしれない。

堅牢な書庫のある家が欲しいなら、静かで知的な環境に身を置くことを望んでいるのだろう。

このように、「欲しいもの」は、自分の内面を映し出す鏡なのである。

人間は望んだとおりの者になる

本書の最後は、力強く、そして希望に満ちたメッセージで締めくくられる。

それは、人生の主導権は、他の誰でもない自分自身が握っているという宣言だ。

いつも書いていることだが、人間は、書いていることだが、人間は、望んだとおりの者になる。望まない者にはならない。誰もが、日常において、常に自分の欲望を基本として選択し、自分が望む道を選んで歩いている。(P.185「あとがき」)

今の自分は、過去の自分が望み、選択してきた結果である。

もし現状に不満があるのなら、それはどこかの時点で「これで良い」と望んだか、あるいは「諦めよう」と望んだからに他ならない。

もし、それが実現しなかったとしたら、それは、「諦めよう」という道を選択したときである。これも、その希望のとおりになるはずだ。(P.185「あとがき」)

厳しい言葉にも聞こえるが、裏を返せば、これから先の未来は、今の自分が何を望むかにかかっているということだ。

シンガー・ソングライターの大森靖子(おおもり・せいこ、1987年~)が「ハンドメイドホーム」で「毎日は手作りだよね」と歌っているように、私たちの毎日は、日々の膨大な選択によって形作られていく。

強く望み、そのための選択を続ければ、人間は望んだとおりの者になれるのだ。

「自己満足」こそが人生の目標である

本書が伝えたいのは、結局のところ、「自己満足」の追求である。

そして、それは決して利己的な行為ではない、と森博嗣は言う。

自己満足は、人生の目標としても良いほど立派なことだ、と僕は考えている。ただ、社会で生きていくためには、まったく他者を切り離してしまうことは難しい。自分を大事にするためには、他者に迷惑をかけないことが第一であり、しれもまた、回り回って自分の利益となるだろう。(P.182「あとがき」)

他者に迷惑をかけない範囲で、徹底的に自分を満足させる。

これこそが、人生の目標として掲げるにふさわしい、立派な生き方なのだ。

社会学者の古市憲寿(ふるいち・のりとし、1985年~)も、本書の解説で次のように述べている。

本書が世に溢れる「お金の増やし方」といった類いの本や動画と違うのは、タイトルが真逆というよりも、他ならぬ「あなたの人生」についての本だという点だ。繰り返し問われるのは、「あなた」は何が好きで、何が欲しくて、どのように生きたいのかということである。(P.194「解説(古市憲寿)」)

『新版 お金の減らし方』は、お金の本の皮をかぶった、人生の哲学書である。

社会の常識や他人の価値観に振り回されず、自分だけの「欲しいもの」を見つける。

それを手に入れるために時間と労力、そしてお金を使う。

そのプロセスを通じて、自分自身の価値を発見し、自己を満足させる人生を歩む。

もしあなたが、日々の生活に息苦しさを感じていたり、自分の進むべき道に迷っていたりするのなら、本書は強力な羅針盤となるだろう。

さあ、まずはあなた自身の「欲しいもの」リストを作ることから始めてみてはいかがだろうか。

書籍紹介

関連書籍